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どうも。いつもはロム専の者です。
私は、現体制に対し、反対するわけでもないし、かといって無自覚にコミットするわけでもない、ある種の中立的位置におります。まずそのことを念頭に。
yさん支持さんとのやりとりで、貴方は、「先生が表に出ないことをいいことに、現執行部は先生を利用している」との現状認識を示されます。
掲示板にも、「最高幹部が巧妙に結託している」ともあるように、大枠は「最高幹部の先生利用」が前提で議論が編まれているとうのが私の理解です。
私としても、今の学会に対しては、中立的という表現が当てはまるかどうかは別に、自覚的な参画を心掛けながら活動しているものです。
さて、ではまず、なぜ「先生は表に出ない」との前提が絶対になってしまっているのか。ここでの「表に出ない」とは、「なんらかの事由により、不随意な形で意思表示できうる状況に置かれておらず、また、会内の情報に触れる機会を削がれている状態」と認識します。
掲示板諸兄が崇め、自らの正統性の担保にするほどの「先生」が、なぜそうした状態に、いとも容易く陥る程度の存在と暗に蔑むのか。ここが理解できないのです。これは批判ではありません。単に私の理解の問題です。
54年問題で先生は会長を辞任した。でもそれは、深く掘り下げれば、永遠の広宣流布観に立脚された先生の自在の境地でのお振る舞いなのではないか。
掲示板諸兄の言うように、それを、「会長辞任=最高幹部の企てによる先生の敗北」と弟子が考えていいものなのかどうか。もちろん、その事件の印象論的次元での理解においては、弟子の敗北であり、先生を辞任に追い込んでしまったという歴史的事実です。しかしながら、事件を存在論的次元で語るならば、むしろ先生の、仏界の境涯で振る舞われた、今日の世界宗教としての学会を構築する跳躍台にしていかれたメルクマールに捉え返すべきなのではないか。そう考えているのです。
「第3代会長を守れ」という戸田先生のご指導も、教条的に「先生の会内的ポジションを維持せよ」として解釈してしまう程度の読みで果たしていいのか。
掲示板のやりとりを見、こうした内紛の様相を敵に利用されてしまう状態が事実あることを考えても、「第3代会長を守れ」との戸田先生の必死の叫びを、真に血肉として理解している人は少ないのではないか。そうしたところは、中立者であっても、創価の教義を信仰する一宗教者としては嘆くものであるわけです。
一方的な仮定で自分に都合よく解釈し、それを前提として議論を運ぶということは、知的に不誠実な営みであるというのは論をまちません。
本当に最高幹部が掲示板諸兄のいう状況なのか。原田会長が先生と直接会っていないと、なぜ言えるのか。先生とお会いしていることを会員には伏せるということを、先生のご指示でなさっている可能性はゼロなのか。先生がどう指示され、指導されているか、そうしたことを含めて先生が、それを全ての会員に開陳されてない可能性だってあるんじゃないのか。
そういった前提も含め、フラットな議論をすべきではないでしょうか。
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