夢を持ってキラキラとしている人はまぶしいけれど、まねをして夢をでっちあげている人も多いように感じます。
私は昔の自分を見ているようで、そういう人がとても不毛に思えます。
でっち上げた「好き」にすがるほど、本当は趣味どころか自分さえ好きになれない自分への否定につながるのです。
夢をでっち上げるとき、本当は心細くてさみしい
私は今でこそひとりでどこへでも行きますが、かつてはひとりでいることがさみしくて仕方がない人でした。
一生懸命飲み会を開いたり、趣味をでっち上げてそれに合ったサークルに入ったりしてその寂しさを埋めようとしていました。
けれどそれがなくなるとまたさみしくなるのです。
穴の開いた器に必死で砂を詰めたところで、砂が落ちきればまた穴が見えるのです。
他人といる時間を増やしたところで、根本的な解決になっていないのです。
寂しいのは、心が本当の自分を否定しているから
就職なんかしたくないとか、
お母さんに言われるがままの生き方は辛いとか、
人との連絡を絶って遠くへ行きたいとか、
それが本音ではやりたいことなのに、そんなこと思っている自分は死んだらいいと考えていました。
一生懸命、そういう自分はなかったことにしていました。
それが積み重なって、消したい自分が消えなくて、「あるべき自分」がどんどんそれを憎んで怒るようになっていって、最終的に壊れてしまいました。
あんなに自分を押えてがんばって、その結果残った自分がただのクズだったとき、自分も親も世間も、ありとあらゆる否定がどうでもよくなりました。
それは悟ったとかではなく、ヤケでした。
自己肯定の第一歩
世界に否定されて私が消えるか、私が自分を否定する世界を消すか。
極端な話ではありますが、追い詰められて私は初めて、人より自分を選ぶことができたのです。
「人の話をきかないのはよくない。」
と言われることもあるけれど、自己肯定感のない人間は、そうでもしないと自分を守れないのです。
自分を守るために、たくさんの人をつっぱねるしかないのです。
たくさん自分を守って誰も邪魔しない一人の世界を作ることで初めて、自分の意見を考えるようになるし、それを積み重ねることで初めて自己肯定感は生まれます。
そしてそれができて初めて人のことも本当の意味で肯定できるようになるのです。
おわりに
「好きなことをして生きよう。」
「きちんとしたサラリーマンになろう。」
「自分の人生を生きよう。」
「早く結婚して親を安心させよう。」
「夢を持っていきよう。」
「家族のために夢は捨てよう。」
みんな好き好きに言うけれど、影響を受ける前に今一度自分に問うてほしいのです。
あなたは自分が好きですか?