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支援願いの行為がそのまま功徳に結びつく、と思ってるならハッキリ間違いというしかないです。
そもそも功徳は『感謝の一念』の効果で起こっていることです。
表面的には様々な種類の活動でも『感謝の一念』をテーマにした、それぞれの活動ということなんです。
『法戦』での功徳というのは、『感謝の一念』を元にした行動の効果として現れるものです。
当たり前の話だけど、イヤイヤ従うように支援しても『功徳はない』んです。
無駄骨になるだけです。
『功徳』という点では「空転してるだけ」です。
むしろ罰の現象ばかりにすらなりかねない。
表面上の行動内容ではなく、どんな『一念』で自分が行動しているか。
その『一念』に功徳があります。
その一念にするための自行でもあります。
逆にいえば、イヤイヤ従う活動は、イコールで感謝の一念ではない行動です。
「数」の結果が出ていても功徳がありません。
まして強制されての活動なんていうのは『論外』です。
『一念』のことゆえ、役職の有無には関係なく平等にそうなります。
こんな一念の活動では功徳とは関係の無い苦行です。
『無限地獄』そのものでしかありません。
日常を「感謝」をテーマに変革するところに、功徳が現象として現れます。
これが功徳の起きる原点で基本です。
まとめというか。
『感謝』をテーマにした日常へ変革しゆくところに功徳が現れます。
その修行のひとつとして、具体的方便のひとつに『法戦』があったのです。
折伏にしても基本的に同じことで表面上の違いがあるだけです。
『感謝』を元にした日常からできた、福運の生命の共鳴、それが下種であり『折伏』です。
『共鳴した生命』は、相手の状態で早いか遅いかの違いはあっても、いずれ芽を出し成仏への因となることから下種ということかと経験的に感じてます。
『感謝の一念』で御本尊様に向かってる時の心境のまま、その生命の共鳴を他者へ促すことが『下種』であり『折伏』の功徳として現象化します。
それが『法戦』では表面上、具体的方便の違いがあるだけです。
選挙の票の数の目的だけで、協力して頂ける方へ「感謝」もないのでは功徳とはなんら関係の無い、単なる選挙支援でしかないものです。
数だけのための活動は信仰活動ではないです。
まして強要なんてのは『論外』です。
究極的には、自分の自由意志の元で、自主的に『感謝』をテーマにした日常が功徳へ結びつきます。
さて、擁護派の方で『感謝』をテーマにした日常になられてる学会員さんはいったいどれだけいることでしょうか?
掲示板に賛同してない方で、ちゃんと福運のある方は、この点がみんな共通しています。
『感謝』には程遠い、むしろ念仏・浄土を信仰してるも同然の「諦め感」では功徳どころか罰の現象になるだけです。
本質的には日蓮仏法ではなく、念仏・浄土を一念の次元で信仰してる状態だからです。
どうやら除名が本格的になりつつある様子ですが、意固地に「諦め感」のなか活動をすれば、顕正会員によくみられる『修羅の命の丸出し』が当然の姿になります。
顕正会員がどういう実態か、学会員さんならよく情報を知りえてるでしょう。
いうまでもなく徹底的に人間関係が壊れます。
私生活はおろか、組織内でも「利己」の人しか寄ってきません。
福運が尽きたらみんな「利己」になって簡単にそっぽを向いてしまう宿命です。
人生の全てが壊れていく流れになるのです。
顕正会員のマネゴトは終わりにしましょう。
擁護派の方の話を聞いてると、まるで顕正会員と話してる錯角を感じられてしまうんです。
この掲示板の状態自体も最高幹部の指揮による結果のひとつになってる事実です。
掲示板のこの状態自体も最高幹部の責任の範囲ということです。
タテマエでも一切衆生の幸福の追求する活動の最高幹部であれば当然の責任の範囲です。
責めるならば相手が違うでしょう。
http://www.geocities.jp/bosatu2015/
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