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「体感・体験」1
私たちは、生かされている、「自ずと然なり」という「自然の働き作用」により
日々を享受している。この現実を知る事は、「真理」を知ることとなる。「自分
自身」を通し「真理」を学んでいるのだ。その付随運動として「自我機能」の働
き作用がある。
自分自身を知る入り口として感覚器官がある。「六根」である。身体(からだ)
は、感覚器官の働き作用と外界(環境)の相互作用により、「刺激⇒反応」とい
う繰り返し、生成発展、新陳代謝によって自己が形成されてきて「今」がある。
「今」を感じるというフィードバック現象・感覚を「おろそか」にしているから
、いつも「今」は無い世界を生きているのだ。
現代人は「今」を体感できない、現象が起きた後に思考し、現象が起きる前に思
考し「今」が無い世界を作り上げてしまっている。「自我機能」の働き作用の中
にいる。つまり現代人は、過去に生きて、未来に生きている。「今」が無いのだ
。「今」という現実を無視している。ここにあらゆる心身の不適応・身体機能の
不良不全の要因があるのだ。
釈尊の「生老病死」を現代人は思考で学び、思考で反応している。本来は「体感
・体験」なのだが、わからないことを選択している。
例⇒不登校が昨年、増加したとのこと、「不登校」現象は当事者の「体感・体験
」の反応である。馬鹿な大人は理屈をこねて暇をつぶしている。引きこもり現象
も同様である。理屈をこねて他人事(ひとごと)ゆえに眺めている。問題の解決
はできない、なぜならば妄想の世界で戯れているからである。「今」が無いとい
うことは、このような不良不全現象をもたらせているのである。
「悟り」現象も理屈ではない。しかし「理屈」を通して「理解」しようとする愚
考が常に働き作用している。そうした人々がほとんどであるので、私の投稿も「
理屈」を通して語っている。パラドックスである。しかし読み手は、これまた「
理屈」で考えるから、本質から外れた理解しかできない。愚考の世界を選択して
いるからだ。
古今東西の「悟り」現象をいくらわかりやすく伝えても、難しく見てしまう、硬
直した思考の囚われにあるからである。この現実が「悟る人」「悟れない人」の
差となっているのだ。「体感・体験」は「自分自身」の問題なのである。まとも
な健康水準にある者であったら既に「思考観察」ができているはずだが、そうで
はないということは、それだけ愚考がである「自我」と「自己」の癒着が大きい
ということである。
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