雪が降っていた。
吐く息は真っ白で、ダッフルコートについた雪を払った。
隣で白い雪がよく似合う、天使みたいな子が笑っていた。
手のつなぎ方がわからず、戸惑う。
「嫌われたらどうしよう」なんて考えながら、恐る恐る左手を差し出し、彼女の様子を伺う。
彼女はフフフと笑いながらチラリとこっちを見て、うつむいた。
彼女の右手が僕の左手に触れる。
僕は勇気を出して、その手を握り返した。
人生で初めて彼女ができた中学二年生の冬。
14歳のことだった。
僕は左手で彼女の手を握り、そして右を向いて唾を吐いた。
僕は、ヤンキーであった。
正確に言うと、ヤンキーのパシリだった。
道に唾を吐くのが漢のファッションだと思っていた。
あ、あのよー
ペッ
KAGEROWのユウヤさんがよー
※KAGEROWは暴走族の名前
ペッ
緑中の中野ってヤツをボコッてよー
ペッ
マジつえーんだってばよ
ペッ
彼女は聞いているか聞いていないのか、返事はなかった。
吐いた唾は雪の中に消えた。
★ ★ ★
あの頃の僕は清く正しく童貞で、キスをしたら女の子は妊娠すると思っていた。
中学男子の本分は女子にモテることであり、それ以外に人生の目的などない。
僕はどうかというと、言い訳がましい言い方が許されるならば、他校の女子にはけっこうモテていたと思う。
現代の若者は知らないと思うが、家電と呼ばれる家の電話に、知らない番号からたまに電話がかかってきたのだ。
それも女の声で、だ。
なぜかナンバーディスプレイに番号が表示されていなかったけれど、あれは決してイタズラではないはずだ。
その証拠に、僕の名前を呼んでクスクスと笑っていたからだ。
僕は他校の女にモテていたのだ。
一方で、自分の学校ではまるでモテなかった。
喧嘩が弱かったからである。
中学のモテカーストは一番喧嘩の強い番長を頂点にピラミッドが作られており、
当時身長が153cmしかなく、体重も軽かった僕はヤンキー界では全く出世できなかった。
中学二年生の僕は、スクールバッグに「喧嘩上等」と書き殴り、
たまに高校生にイチャモンをつけられ、
番長のタバコを買いに走り、
新卒のサラリーマンのように使い走りを頑張っていたが、幸せだった。
人生で初めて、彼女ができたからだ。
僕の初めての彼女は、ミクちゃんという。
中学生なのに巨乳で、しかも顔が可愛かった。
ある日の部活が終わった夕暮れ時に、
「ミクが話したいことがあるって」
とミクちゃんの取り巻きの女に声をかけられたとき、僕は天地がひっくり返るような感覚に陥った。
もしかして、これが、「告白」ですか?
巷で話題の、初めて彼女ができるときに発生するイベントと話題の「告白」。
頭の中にGLAYの「TOMADOI」が流れ、僕はときめきメモリアルの記憶を振り返った。
「好きな人がいるの」
夕日が差し込む教室で、ミクちゃんは言った。
僕は水色のジャージを着たまま、息を飲んだ。
「ヒデヨシ君のことがすごく気になるんだけど」
脳に血がのぼりすぎて、目の前が真っ暗になったことを今でも覚えている。
目の前が真っ暗になるのは、絶望したときだけではないのだ。
「付き合ってほしいな」
希望の光が眩しすぎて、目の前の風景が暗く見えた。
「一日、考えさせて」
もったいぶって一日返事を待たせ、僕はまっすぐに家に帰り手紙を書いた。
そこには4時間かけて書いた愛が綴られていた。
当時流行っていたGLAYの歌詞を織り交ぜながら。
絶え間なく注ぐ愛の名を
永遠と呼ぶことができたなら
言葉では伝える事がどうしてもできなかった
愛しさの意味を知りました
ミクを永遠に愛します。
However Love. Miku.
中学2年生のヤンキーだった僕は、HOWEVERとFOREVERの違いがよくわかっていなかったのだけれど、真心は伝わったはずだ。
僕はそう信じていた。
★ ★ ★
初めてのデートはダブルデートだった。
その日のデートのために僕はPUMAの赤いジャージを親に頼み込んで購入した。
ダボダボのプーマのジャージと黄色いスウェットは当時の最先端のファッションだったのである。
ヤンキー界では「プーマジャージ」と呼ばれていた。
僕はヤンキーに入門したくせにタバコが吸えなかったので、寒い冬の白い吐息で「タバコの煙の輪っか」を作る練習をした。
どんなに輪っかを作ろうとしても、白くなった吐息はあっという間に空に向かって消えた。
同級生のアツシ君と、その彼女とミクちゃんでのダブルデート。
土曜日のことだった。
思い出すと、15年以上経った今でも胸が痛くなる。
僕はアツシ君にお願いをした。
「お、おれは...キ、キスを...してみたい」
アツシ君は快諾してくれた。
「おれに任せろ」
4人の中学生が、日中親がいないアツシ君の家に集まり、みんなでお菓子を食べながら中身の無い話をした。
僕はキスのことで頭がいっぱいだった。
初めてのキス。
妊娠したらどうしよう。
俺がこいつを守る!絶対に守る!
なんて誓っていた。
僕はミクちゃんのの唇だけを見つめていた。
今日が僕のサラダ記念日だ。
冬の夜は早い。
周りが暗くなった16時頃、アツシ君が言った。
「王様ゲーム、してみない?」
僕は一瞬耳を疑い、そして心臓が止まりそうになった。
お、王様ゲーム...
あの...アイズでやってたアレか...
王様ゲームは出来レースだった。
アツシ君とアツシ彼女は二人仲良くイチャイチャとしながら、僕達をハメ撃ちにした。
当然、ナニをハメることはなかったのだけれど。
ヒデヨシとー
ミクがー
キスー
そんな命令が下された時、僕は王様に一生の忠誠を誓った。
人類で一番最初に王様ゲームを発明した男に敬意を表したい。
緊張で震えた。
薄暗い部屋で、何かを覚悟した顔でミクちゃんが目をつぶっている。
お母さん、
僕は、
今日、
初めての、
キスをします
僕は歯を当てないように細心の注意を払いながら、痛くないように、でもちゃんと唇が触れるように、
そっと口づけした。
この時のミクちゃんの言葉を僕は一生忘れることはないだろう。
意外と、うまいね♡
僕はこの言葉の意味に気付かなかった。
ミクちゃんも初めてだと思っていた。
その後何を話したのかも、どうやって解散したのかも覚えていない。
僕が覚えているのは、その日の夜に一人で風呂に入り、キスの感触を思い出して、チンチンが勃ったということだけだ。
今では何をされても勃たないのに、あのときはキスを思い出しただけでチンチンが勃ち上がったのである。
これが「若さ」というものなのだろう。
★ ★ ★
次の月曜日、有頂天で学校を歩いていた。
ヤンキーに冷やかされたり蹴飛ばされたり消しカスを投げられたりしたが、全く気にならなかった。
僕には彼女がいる。
思い出の中に、彼女の唇がある。
ただそれだけで、全てが明るく見えた気がした。
ミクちゃんにすれ違った。
僕は「彼氏」としての自信が出てきたので、自信満々に挨拶をした。
「お、おはよう」
ミクちゃんは顔を背けて、教室に入ってしまった。
聞こえなかったのかな、と僕は不思議に思っていた。
休み時間に手紙を書いた。
手紙は丁寧にハート型に折られ、プリント倶楽部のシールで封をした。
巡りあう恋心 どんな時も
自分らしく生きてゆくのに
あなたがそばにいてくれたら
AH 夢から覚めた
これからもあなたを愛してる
BELOVED. Miku.
僕はありったけの想いを込めて手紙を書いたが、返事は来なかった。
僕は本当は Be loved されてないんじゃないかと一瞬疑念を抱いたが、溢れる想いを信じた。
この想いはきっと、報われるはずだ。
3日間、ミクちゃんの家に電話をしても、1回も出てもらえなかった。
非通知でかけると居留守を使われ、最後の方は電話線を抜かれた。
これは...どういうことだってばよ。
目の前が暗くなった。
絶望が濃い藍色をしていることを初めて知った。
真実を知ったのは、一週間後のことだった。
★ ★ ★
ヤンキーのたまり場は地元のスーパーだった。
僕はたまたま用事があってスーパーに行くと、見慣れた白いダッフルコートを見つけた。
ミクちゃんだ。
僕は心臓が止まりそうになったけれど、意を決して後をつけることにした。
アラサーになった今でもこの日のことを思い出して苦しくなるのは、
人間の記憶に奥深く刻まれたトラウマはその後の人生に大きな影響を及ぼすという証拠だろう。
過去の失恋のトラウマが自分の心に殻を作る。
もう傷つかないように、苦しくならないように、殻の中を守ろうとする。
僕が初めて付き合ったミクちゃんは、
初めてキスをしたミクちゃんは、
番長と手をつないで歩いていた。
幸せそうな顔で笑っていた。
僕が唾を吐いて歩いていたときとはまるで違う顔をしている。
僕は振り返り、雪が降る街を走り、家に帰った。
途中で3回滑って転んだけれど、全く痛くなかった。
心のほうが痛かった。
こうして僕の「はじめてのれんあい」は2週間で終わった。
心に消えない傷を残して。
彼女を手に入れ、失った冬。
その二ヶ月後、人生で初めて「かのじょのおっぱい」を見ることになるのだが、その話はまた次回にしよう。