グリモワールとしてのEvernote

本家のEvernote Blogに面白い記事がありました。

Taking Note: How to Create Commonplace with Evernote – Evernote Blog

Evernote上でCommonplaceを作るための方法が紹介されています。で、Commonplaceって何じゃらほいなわけですが、記事によると記録を管理するためのシステムなようです。

Last week, we outlined the deep roots of commonplace. The system of recording anecdotes, ideas, quotes, and reading has been an important method of observational learning that has withstood the test of time.

逸話・着想・引用・読書からの学びといったものを記録していくわけですね。

これは、アイデア・思考・知識を育んでいくためのシステムでもあり、言い換えれば、知的生活(知的生産)のためのシステムでもあります。

過去の優れた作家、教授、科学者たちが似たようなシステムを構築していたという点からも、Commonplaceの有用性は想像できます。もちろん、そうですよね。彼らこそ記録の力を十分に理解している人たちでもあるのですから。

知の力のありか

記事には、Commonplaceの以下のような機能(というより効果)が紹介されています。

  • Remember things.
  • Write to recall.
  • Understand reading.
  • Personal reference system.
  • Filter ideas.
  • Unleash creativity.

おそらくこのようなシステムは、モレスキン上で構築されている方も多いことでしょう。もちろん古きよき京大式カードを使う手もあります。でもってEvernoteでも実現できるわけです。

具体的な作り方については__すごく簡単なので__上の記事を直接参照してもらうとして、ここで思い出されるのは次の文章です。

継続は力なりと言います。また、知は力なりとも言います。では、継続する知の蓄積はいったいどれほどの力を持つのでしょうか。

ズボラな僕がEvernoteで情報の片付け達人になった理由

ぶっちゃけると、私が『ズボラな僕がEvernoteで情報の片付け達人になった理由』で書いた文章なのですが、これはもうしみじみと本当にそうだな〜と実感します。

私は着想のメモに重点をおいていて、単にアイデアを書き留めてあるノートの数が4000近く、直近で考えているアイデアが約300、本の企画の骨子となるアイデアですら100以上のストックがあります。Evernoteを使い始めてから、少しずつ蓄えてきたものたちです。

気になった言葉の引用もたくさんありますし、時間があれば読書メモも作っています。数年分の自分の(知的)体験がここに__つまり、Evernote上に__蓄積されているのです。

逆に私は逸話(面白いエピソード)の記録にはやや無頓着でした。だから、「あぁ、あれどういう話だったかな」とエピソードのとっかかりを思い出しても詳細が思い出せないので、文章を書くときに使えなかったりします。そして、そういう思い出し方では、Googleはほとんど役には立ちません(※)。
※たとえば「翼 燃える」は、ぎりぎりイカロスの翼がひっかかりますが、結構危ういです。

この「引き出せるもの」と「引き出せないもの」の落差に、私は驚嘆を覚えます。その差を生み出しているのは、私が記録しているかどうかだけなのです。

人と記録と人

図書館や文章館、そしてインターネット・アーカイブの重要性は論を待ちません。そして、その重要性は「記録」の重要性も同時に物語っています。

その構図をフラクタルに捉えて、個人に応用したものがノート術であり、手帳術であり、カードシステムであり、Commonplaceです。なんならそこにブログを加えてもよいでしょう。

ときどきファンタジー作品に「グリモワール」が登城します。魔術師が自身の研究や奥義のすべてを記した魔導書です。ある意味では、その魔導書は魔術師そのものです。そこには彼の魔術のすべてが載っているのですから。いや、引き継がれ、受け継がれる点を加味すればそれ以上の存在と言えるかもしれません。

もちろん、書物そのものに何か価値があるわけではありません。魔術師が一生をかけて書き上げたからこそ、それは魔導書となります。また、魔導書だけがポツンとあっても特に意味はありません。それを読み解く人がいるからこそ、価値が生まれてくるのです。もっと言えば、そこに新しい価値を「書き足す」人がいることも重要です。

これはまあ、大げさな話に聞こえるかもしれません。でも、人と記録の関係を(デフォルメであるとは言え)見事に表現しています。

さいごに

もし、刹那にしか興味がないのなら、記録などまったくの無用に感じるでしょう。でも、実際私たちの生活はさまざまな記録に支えられています。「身一つ」で生きているつもりでも、たいてい大きな勘違いです。

だからこそ、記録とうまく付き合う方法を学びたいところです。記録を使うことで、今の瞬間(つまり刹那)をより良く生きられるのならば、それにこしたことはありません。

とは言え、記録の蓄積は長丁場です。言い換えれば、習慣の産物です。だから、まず身近なところから、手近なところから記録することを始めてみるのがよいでしょう。

そこでは(魔術師にとっての魔術のように)自分が興味を持てる対象、というのが一番良いスタートになるはずです。

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