アイルランド成分は目に見えないが、確実に影響をもたらしているので、そのうちに、「アイルランド成分で健康になる」とかいう本を書こうと思う。英文サイトにアップするつもりの急ごしらえのβ版のプロフィールによると、私はフィオナ・オサリヴァン・いけだ。ボストンに生まれ、レプラコーン教授に師事し、コティングリーで妖精の写真撮影に成功。現在、国連認定ハナアルキ保護委員会常任理事をつとめる、新時代(ニュー・エイジ)の理論家。
というわけで、普段「アイルランド成分」とは関係のない日本の芸能ゴシップが、3点目を入れたメッシ程度に効いている。
経歴詐称疑惑で活動自粛を発表した経営コンサルタントの「ショーンK」ことショーン・マクアードル川上氏(47)の本名が「川上伸一郎」であることが16日、分かった。所属事務所の社長が、「ショーン―」の名前について「ビジネスネーム」と説明した。
……社長は「本人から父親がハーフで、自身はクオーターだと聞いています」と説明した。ただ、父親の国籍や「ビジネスネーム」の由来、整形疑惑については「プライベートなことなので」と明言を避けた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160316-00000192-sph-ent
「ショーン」はアイルランドの男性名で、英語のJohnに呼応する(「ジョン・レノン」が自分の息子に「ショーン」と名づけたのは、本質的には「自分と同じ名前を息子につけた」ことになる)。
本当にご本人がおっしゃる通り「父親がハーフ」だとして、その父親がジョンなりショーンなりという名前を持っていたことはありうるが、「ショーン某」が「ビジネスネーム」(笑。「芸名」と言えないのが苦しいが、nom de guerreのようなものだろう)と説明しているということは、川上伸一郎さん本人は「ショーン」という名前は特に持っていなかったのだろう。
さらに「ビジネスネーム」で名字の一部を構成している「マクアードル」。これについて、空気中の成分濃度がピークに達しつつあるなか、私ことフィオナ・オサリヴァンは次のように書いた。
「マクアードル」はMcArdleだと思うけど、苗字としてはモナハン、アーマー、ラウスのあたりに多いとの由。https://t.co/Yz8nC8BlxJ
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) March 17, 2016
(改めて確認すると、この方の「ビジネスネーム」は英語では Sean McArdle Kawakami と綴っているそうなので、上記のツイートには何も問題ない。)
今、「マクアードル」をウェブ検索すると川上氏の話しか出てこないので「-川上」と「-ショーン」で除外検索をすると確認できるが、「マクアードル」姓の有名人にはエイダン・マクアードルというアイルランドの俳優がいる。といっても私は顔も思いつかない。テレビでの仕事が多い俳優さんだ。個人的に「よく見るような気がする名字」なのは、ニュースで見かけているからだろう(北アイルランドでインタビューを受けている警察官や一般人に、いかにも多そうな名字だ)。川上氏が「ビジネスネーム」を(親の名前であるなどの理由ではなく)思いついた・考えたとして、この「マクアードル」という名字は、実に、「いい線」だと思う。
というわけで、「ショーンK」氏のあれこれは、まず単に「笑える」のだが、「英語」という点に注目してみたら、同世代の者として哀愁が感じられてきた。同情はしないが。
私はテレビ見ないし、ラジオもJ-Waveのビジネス番組は聞かないので、この騒動が起きるまで、「ショーンK」という名前で活動しているパーソナリティのことは、まったく知らなかった。顔も名前も、声も知らなかった。(え? パーソナリティじゃないんですか? 経営コンサル? ま、今回話題になってるのはテレビ番組のパーソナリティとしてなので、そういうことで)
J-Waveの番組のサイトにある「一口英語コーナー」的なところを見ると、ものすごくいい声(クリス・ペプラーのような低音)で、英語(米語)もすばらしい。落ち着いて堂々と、ためらわずに言葉を口にすることが重要というのがよく伝わってくる内容で、この人、CD教材の吹き込みができるんじゃないかなと思ったら、実際にそのお仕事もされていたようだ(レビューがわかりやすくてよい)。
http://www.j-wave.co.jp/original/makeit/archives/words_in_motion/
ECCのCMと思われるクリップもある:
見事な英語だ。このような「見事な英語」を話す人は、「普通の日本人」とは違って、「何か特別な理由」があるに違いない……という正体不明・根拠不明の「期待」に、川上氏はこたえようとしたのではないか、とふと思った。
というか、「普通とは違う、何か特別な理由」を "プロデュースする" ことが、周囲から「期待」されていると本人が思っていたのではないか。あの風貌を見ると、ほんと、そう思う。「ちょっと盛る」程度で何とかなる範囲に留めておけなかったのだろう。その過剰さに哀愁を感じざるを得ない。コーエン兄弟で映画化してほしい。
高校のとき、英語の試験の結果、「成績上位者リスト」に入ったことがある。同じくらいの成績を取っていた人たちには、(本当に根拠になるかどうかは別として)当事者以外の外野が「なるほどねえ」と納得する「特別な理由」があった。例えば1年間の留学プログラム参加経験がある人。子どものころを外国で過ごした、いわゆる「帰国子女」(その人が過ごしたのが非英語圏であっても、「帰国子女」なら「英語はできて当然」と外野は納得する。本人にはいい迷惑だが)。親が大学教授。……そういう背景のない私は、私の知らないところで、「親が英語の専門家」ということにされていた。どこからそんな噂が出たのか、私には見当もつかなかった。普段、あまり話をしたことがない人から聞かされて、「えっ? 何それ?」と言ったら、「えっ、違うの?」と向こうも目を点にしていた。
こういうふうに、たかが学校のテストで上位に入っただけで「普通とは違う、特別の背景」をでっち上げられてしまうのが、うちらの高校時代の「英語」だった。私は東京だったが、川上氏の過ごした熊本でも事情はあまり変わらないだろう。数学や物理で上位に入った人は、「頭いいなあ」と思われはしても、こんなふうに「みんなとは違う、特別の事情がある」という扱いは受けなかっただろう。必死で単語を覚えたり、自分の情けなさに泣きながら辞書を引いたり、例文をうんざりするほど暗記したりしているからテストの点数がよいのだ、と考えるのではなく、「環境が違うから」と理由付ける。それも勝手に。人間、そんなもんかもしれないが、「英語」に関しては、学校を出たあとであっても、「その人の背景」との関連付けが、特に目立つ形でカジュアルに行なわれる。「ハーフなのに英語できないんですよ〜」というタレントに期待されている「ハーフなら英語ができるのだろう」という思い込みも同根だ。
学校での根拠のない噂話なら、卒業してしまえば終わりだが、仕事をしていくとなるとそのような噂話に終わりはない。「普通とは違う、特別の背景」を求められることにも、終わりはない。「そんなに英語ができるのは、留学していたからですよね?」とかいうのが延々と続く。そのときに「いいえ、日本で努力して身につけました。ラジオで『100万人の英語』や『基礎英語』のシリーズを聞いて、がんばりました」と答えても、「それだけじゃないでしょう?」と続いていく。
そういうことも、あの「虚像」の背景にあったのではないかと、あの作り上げた風貌を見て見事な英語を聞きながら、思うのである。
でも、うちらが英語を勉強してた時代、「英語ペラペラ」であることと、風貌は関係なかったっすよね。下記は偉大なる大先輩、小林克也。字幕頼りに見ている『ベストヒットUSA』のインタビューでちょっとでも聞き取れると、嬉しかったなあ。
「英語はネイティヴじゃなければダメだ」という思い込みが社会の中に確立されたのは、1990年代以降のことだ。「駅前留学」というコンセプトで英会話学校を展開する企業が、「講師は全員外国人」という宣伝文句でテレビでCMを流しまくった時代、「英語は習うならネイティヴに」というのが「常識」になっていた。
「学校英語は役に立たない」とグチる人が、その「学校英語」で5段階評価の5を取ってたのに海外旅行ではろくに話せない(私のその経験は既に本に書いてある)というのなら「学校英語批判」もわからんでもないのだが、「学校英語」で評価が2だった人が海外旅行でろくに話せないのは、学校英語云々とは関係がない。しかし、「講師はネイティヴ」のマーケティングが対象としていたのは、「学校英語で英語が身につかなかった人々」だった。
そういう人が、「ネイティヴに英語を習ったら」突然英語ができるように……なんてのは幻想ですよ、という現実に泣かされ笑わされた「エイカイワのセンセイ」は大勢いる。あまり多くは語れないのだが、YouTubeに「AVON」(笑)のスティーヴさんの実体験に基づいたビデオがある。
↑これだけ例示しておくと「日本人をバカにしているのか」と怒鳴り込んでくる人がいるかもしれないから、スティーヴさんの「日本語でやっちまった」ビデオも。「日本語学習者あるある」で、おもしろい。
話がずれそうだが、スティーヴさんの1本目のビデオの1分50秒からのところに、"We had a teacher here once. He was black" というのがある。この「人種差別」は、往年の「中曽根発言」や、最近の「丸山議員の発言」にも通じるものがあるが、要は、「ネイティヴというなら白人を雇うべき」という「消費者の要望(あるいはニーズ)」があったことを示している。2010年代も後半に差し掛かった今はそうでもないのかもしれないが、「エイカイワ」最盛期の「講師は全員ネイティブ・スピーカー」という喧伝の時代、「ネイティヴ」とは「金髪・青い目」というステレオタイプで描写されるような、わかりやすい「外人(外国人)」だった。
実際に、「見た目がネイティヴっぽくない」という理由で不採用になったケースを、信頼できる筋から聞いたことがある。英語を教えるために必要な知識やスキル、それらを持っていることを証明する資格よりも「イメージ」が重視されていたことは、当時、残念ながら事実だった。
そのような「イメージ」への高い期待に応えようとした結果が、「ショーン・マクアードル川上」氏のあの風貌なのではないかと、思ったのだ。あの美声と見事な英語からイメージされる通りの顔。それを手に入れれば、もっとできることが広がると考えたのではないか、と。
『ヘルター・スケルター』か。
たぶんそんな大げさな話ではない。
ドラマチックに考えてしまうのも、アイルランド成分が今私の向かっているモニタの周辺にまだ充満しているせいだ。
なお、川上氏の「急ごしらえのベータ版」のプロフィール(英語版)に記載されていた「ハーバードでMBA」とかいうのはただのホラかもしれないが、「ハーバードで講座に通った」と言ったら、勝手に「ハーバード卒」にされた、というようなことは実際、よくあると思う。私も旅行で「オックスフォードに行った」ことを話したら、伝言ゲームの先のほうで「オックスフォード大に行った(通った)」ことになってたことがある(「旅行でオックスフォードという町を訪れた」と明確化した)。人の話は正確に聞き、人に話をするときは明確に言うようにしましょう、ということを改めて肝に銘じたい。
英語は、あそこまでできるようになるためにはたいへんな努力をされてきたはずで、そこはニセモノではないだろうとは思うけど、詐欺師であることと語学を身に着けていることとは何ら矛盾なく両立するので(宇宙エレベーター関連でJAXAに入り込んでた詐欺師は「トルコ初の宇宙飛行士」を自称するなどすさまじい経歴詐称をしていたが、多言語話者であることは確実だった。その上、「シュメール語ができる」とかいうことにもなっていたのが失笑ものだったが)。
以上、本日の雑談と「あとで探しておきます」ビデオ(AVONのスティーヴ先生)をまとめておきました。
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※この記事は
2016年03月19日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。