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 太平洋戦争の激戦地、硫黄島(東京都小笠原村)で19日、日米合同の追悼式が開かれた。元日本兵の出席は高齢化もあって数年前から途絶えていたが、今年は島の守備隊に食糧や弾薬を届けていた90歳の元海軍兵が72年ぶりに島を訪れた。

 「多くの先輩たちが亡くなった。いつかは行きたかった」。沖縄県宜野湾市の仲里真義さん(90)。追悼式に出席した日米の関係者約270人の中で唯一の元日本兵として、島に眠る仲間に花をたむけ、手を合わせた。

 戦争中は輸送艦の乗員として1943~44年、3回にわたって硫黄島に食糧や武器を運んだ。島の守備隊は慢性的な水不足と食糧不足に悩んでいた。仲里さんは、輸送艦を迎える兵士らの喜ぶ顔が忘れられない。配給のたばこの箱を船から投げると、「ありがとう」と手を上げて受け取ったという。

 44年9月19日、乗っていた海防艦「五百島(いおしま)」が硫黄島に向かう途中、米軍の魚雷攻撃で沈没した。仲里さんは吹き飛ばされた衝撃で両足を骨折、漂流中に味方の軍艦に救助された。日本軍は45年3月に玉砕。仲里さんが終戦後、島を訪ねたことはなかった。

 式典では、在沖縄米海兵隊トップのローレンス・ニコルソン中将から「ぜひお会いしたかった」と話しかけられ、「永久に戦争がないようお願いします」と応じた。

 出席後、仲里さんは「私は結婚し、子どもも5人できた。島に残った(守備隊の)人たちは妻子に会うことも出来なかったと思うと、自然と涙が出てきた。戦争さえなければ、硫黄島も広島も長崎も沖縄もあんなことにならずに済んだのにと思った」と語った。

 45年2~3月の硫黄島の戦いで日本側の戦死者は約2万1900人、米軍も6821人に達した。日本兵で生還したのは1千人ほど。島には、なお1万柱以上の遺骨が残る。(安倍龍太郎)