なんで大人になっても「理系」「文系」の2つに人を分類するのか?
いわゆる「理系」の僕にはこれが不思議でしょうがない。弊害すらあるとおもっている。「理系」「文系」なんて、学生のときに大学に入るために試験にあわせて分かれたコース以外のなにものでもないはずなのに、なぜ大人になっても「あなたは理系、わたしは文系」みたいな会話がはびこっているのか。
森博嗣『科学的とはどういう意味か』にはまさに「大人になっても理系文系に分ける弊害」が書かれている。
《目次》
研究者で作家の森博嗣
森博嗣は工学系の研究者でありながら、作家の顔を持つ。しかし僕は決して安易に「理系作家」とは呼ばない。森さんはそういう特徴と能力のある人、ただそれだけで真実を十分に表しているからだ。
当たり前だが理系だからといって研究者になれるわけではないし、文系だからといって作家になれるわけではない。逆に研究者だからといって理系的とは限らないし、作家だからといって文系的とは限らないのだ。
レッテルを貼るのは楽
ようするに、「文系」「理系」というのは、絶対的な位置ではなく、それぞれの立場から、「あちらは文系っぽい」「こちらの方が理系っぽい」という相対的な(多くは主観的な)観測による「印象」でしかない。
森さんも指摘しているが、文系の方が「理系っぽい」という形容をすることが多いと僕も実感している。どういうときに発されるセリフかというと、少し論理的な話題になったとき。「文系だから分からない」と壁をつくるためだ。
でもそれってただ「一見分からないものについて思考したくない」という怠慢な考え方が根底にあるだけじゃないだろうか。
自分自身に「これはできない」とレッテルを貼るのは実は楽だ。問題に向き合わなくて済むし、プライドも傷つかない。プライドが傷つかないというのは、理系の話題「は」不得意なのであって、文系の話題は得意かもしれないという雰囲気を出しているからだ。
しかし大人の世界、つまり受験勉強ではない実社会では「理系」や「文系」とはっきり話題を分けることができるのだろうか疑問である。例えば経済、金融なんかは文系科目だが、統計リテラシーが必要でよっぽど理系っぽい。ライフサイエンスは理系科目だが、倫理がからむことも多く文系っぽい要素も含んでいる。
学生のころの理系文系の選択
理系科目よりも文系科目の方が評価があいまいだ。前の見出しで「理系の話題「は」不得意なのであって、文系の話題は得意かもしれない」と書いたが、この「かもしれない」が学生のころの理系文系の選択に影響を及ぼしている気がしてならない。
テストで点数がとれなかったとき、その不出来な結果はたまたまで実は勉強自体はできる可能性があると希望を持つことができる。そんな科目が文系科目だ。理系科目は言い訳がつかないから、少し点数がとれないと自己防衛のために「理系科目は苦手だ」と決めつけてしまう。そして文系に流れる。
結局、勉強ができない人は数年後に文系でもダメなことが分かり、本物の落ちこぼれになるのだが。
理系って全然すごくないから「逃避」はやめよう
考えたくないし、感じたくない、というこれらの症状も、元を辿れば、「面倒なことはいいから、とにかく結論だけ教えてくれ」という「逃避」の表れである。
文系の人が「理系っぽい」発言をするとき、理系の僕は「別に理系って全然すごくない。自分でよく考えてみれば分かるのに!」と大抵おもう。そろそろ「面倒なことはいいから、とにかく結論だけ教えてくれ」はやめにしないか?
本著で書かれていたことを含め、科学的に考えるコツをあげておく。
- 話題の種類で壁をつくらない。一見分からなくても、すぐに諦めずじっくり考える。
- 自分で何も考えもぜすに「どう思いますか?」と人に尋ねない。
- 情報にふれたときは「本当にそうなのか?」と疑ってかかる。クリティカルシンキング(批判的思考)。
- 数字を数字のままで認識する。「喩え」や「感想」にしてしまうと事実が曲げられる。
ちなみに子供の教育では「かわいいね」などと感情を押し付けてはいけないと森さんは書いている。感情を押し付けると、自分で考える力、好奇心がつぶされてしまうからだ。
森博嗣の小説とエッセイの読者層
ところで作家森博嗣の本は2冊目だ。以前読んだもう1冊は『作家の収支』。
【作家の収支】作家「森博嗣」の金のことが正直に書かれた本 - 引用書店
つまり、エッセイは読んだことがあるが小説は読んだことがない。そもそも小説を読む習慣がほとんどないのだ。
これって変なのかな?森博嗣を読むなら小説も読んでおかないとマナー違反かな、とおもったのだが、森さん自身、本著で小説とエッセイの読者層は違うと書いている。一部の森ファンは例外として、一般的に森さんの作品でも僕みたいな「エッセイを読んだが小説は読んでいない人」や逆に「小説は読むけどエッセイは読まない人」が多いのだそう。なんだか妙に納得した。