教科書は、時の政権の言い分を教え込む道具ではない。

 来年春から高校で使う教科書の検定結果が発表された。

 文部科学省は、新しいルールを高校に初めて適用した。

 教科書編集の指針を変え、検定基準も政府見解があれば、それに基づいて記すよう改めた。自民党の意向に沿ったものだ。

 今回も、昨年の中学の検定と同じようなことが起きた。

 領土問題で、日本政府の立場を記すよう意見をつけた。戦後補償のコラムには、政府見解に基づいて書くよう指摘した。

 目立ったのは、自衛隊や憲法、原発など賛否の分かれる問題で、安倍政権の姿勢に沿う記述を求めたことだ。

 例えば「現代社会」で、積極的平和主義の記述がある。原本には「憲法解釈を変更し」「広範な地域で自衛隊の活動を認めようという考え方」とあった。

 ここに「誤解するおそれがある」と意見がついた。「主義」なので、もとになる目的を書くように、というのだ。

 その結果、自衛隊活動をめぐる憲法解釈の変更により、「国際社会の平和と安定および繁栄の確保に、積極的に寄与していこうとするもの」となった。

 政府の立場を知ることは悪いことではない。ただ、それを唯一の正解として扱うのは押しつけだろう。戦前の国定教科書に近づいていないか。

 国はそもそも教科書の影響力を大きく考えすぎている。

 子どもは教科書だけで学んでいるのではない。図書館で調べれば、反対の見方や違った視点の本を知ることができる。

 文科省は、次の学習指導要領の議論を進めている。

 高校で「歴史総合」「公共」(ともに仮称)などの科目をつくり、多面的、多角的に考える力を育てようというのだ。

 こうした科目では、政権の見方、考え方を相対化し、野党や市民、他国など様々な立場を伝える教科書が求められよう。

 いまのままの検定の姿勢で、果たして対応できるだろうか。

 現在の検定制度は、紙の教科書を前提にしている。

 だが、参考になるサイトのアドレスを書く教科書が増えてきた。検定でもその内容を確認しているが、ページの内容はどんどん変わる。国が中身を吟味し切れるものではない。

 教科書の一言一句に目くじらを立てる検定は、もはや時代遅れではないか。幅広い教材を認め、教師の指導の裁量を広げ、子どもが多角的に考える機会を増やす。検定も、その方向に踏み出してもらいたい。