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【社説】

高校教科書 心配な国の出しゃばり

 多文化共生が求められるグローバル化の時代である。高校生ともなれば、教科書の記述や内容について、多様な視点から考えることができる力が大切になる。教える側ももちろん、そうありたい。

 文部科学省はきのう、主に高校一年生が来春から使う教科書の検定結果を公表した。自民党の意向を踏まえて二年前、政府見解などを明記するよう見直した編集ルールに即してチェックされた。

 案の定、とりわけ地理歴史や公民では、国の立場が前面に押し出され、それにそぐわない見方や立場は薄められた。領土の記述が現行教科書の約一・六倍に増えている。

 もっとも、教科書会社が萎縮して、まるで国の顔色をうかがったような痕跡も読み取れる。右傾化の空気や表現行為への抑圧的な動きをおそれた面もあったのか。あってはならないが、憂うべきは自主規制の風潮である。

 国旗掲揚や国歌斉唱への「強制の動きがある」とした現行教科書の記述をあらかじめ消して、検定に申請した出版社もあった。背景には、東京都や神奈川県などの教育委員会が異を唱え、シェアが落ち込んだ経緯があるようだ。

 教科書会社にとって検定の合格はもとより、販売競争での生き残りは大きな課題に違いない。とはいえ、戦前の国定教科書に基づく軍国教育の反省に立ち、戦後は民間に編集が任された歴史がある。その意義を忘れてはなるまい。

 教科書の自主性や多様性が危ぶまれるなら、以前にも増して試されるのは現場の先生の力量だ。

 教科書にとらわれず、高校生がさまざまな立場に身を置き、自らの考えを形づくるための創意工夫が重要になる。先生が思考を停止して教科書をなぞるようでは、国の“代弁者”になってしまう。

 目下の教育改革の目標のひとつに、独創的な授業への転換がある。先生が一方的に知識を伝えるのではなく、学び手が問いを立て仲間と議論して解を探る。狙いは主体的に学ぶ力を培うこと。先生も発想を変えねばならないのだ。

 選挙権年齢の引き下げに伴い、高校生は政治活動にも参加できるようになった。学校で配られる分厚い本ばかりが教科書ではないことに気づきたい。

 今度の結果を見てあらためて素朴な疑問が浮かぶ。義務教育でもない高校に、なぜ学習指導要領が必要なのか。なぜ教科書検定が強いられるのか。国民的議論を巻き起こす時期ではないだろうか。

 

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