わたしは1995年生まれで、今年からついに就活生という称号を手に入れてしまった。
長くなってしまったし、性/的/虐/待表現もあるから、注意してね。
わたしが保育園のころ、親が離婚した。母はわたしと二つ下の弟を捨てたらしい。だから父親に引き取られた。父親にはわたしの母以外にも家族がいたらしい。よく分からんよな。わたし達を引き取った父がどこでどうやって私たちを育てたのかは良く聞けていない。その家族の元で育てたのか、それとも1人で育てたのか。それとも、母と暮らしていた家で自分の親と子育てをしたのか。
とにかく、結果的にわたしと弟は、父にも捨てられたようだった。育児がままならず、このままではわたし達がまともに育たないとの結論だったようだ。当時のシングルファザーに対する風当たりは冷たかったろう。他の子供もいるのだから、私たちが近くにいなくても寂しくはなかったんだろうな。
そしてわたし達は母にもう一度引き取られ、母方の祖父母の家で暮らすこととなった。わたしが覚えている記憶はこの家からだ。
祖父母の家には、伯母もおり、伯母も子どもを連れて帰ってきていたのでわたしと弟は従姉妹と共に4人で育った。伯母もかわいがってくれ、祖父母も孫を平等に愛し、叱り、育ててくれた。楽しいものだった。母は夜の仕事をして私たちを育ててくれた。父は養育費をくれなかったみたいだった。
小学校の頃に、母が再婚した。新しいお父さんはわたし達を本当の子供のようにかわいがってくれた。かわいがるだけでなく叱ってもくれたし、わたしはお父さんには本当に感謝しているし、尊敬もしている。母は水商売をやめ、事務員になった。
そのうち弟が生まれ、妹も生まれた。わたしは4人兄弟の長女になった。弟妹はみなかわいかった。二つ下の弟とは歳が近い分やはりよく喧嘩をした。わたしの方が口が上手く、弟はよく理不尽に言いくるめられていたようで、反省している。
わたしはお父さんというものにずっと憧れており、やっとできたお父さんに本当によく懐いていた。お風呂も一緒に入ったし、膝の間にもよく座った。お父さんのベットにもよく潜り込んだ。小学五年生のある日を境にベットに潜り込むのを止めた。
察しがつくかもしれないが、お父さんはわたしを性的な目で見ることもあったようだ。前から体をまさぐられる事はあったが気にしていなかった。わたしも多少、エッチなことに興味があり、お父さんを放置したことも悪かったと思う。とにかくその日、わたしはお父さんに処女を奪われたのだった。エッチは気持ちいいと思ってたのに痛くてびっくりして、その瞬間にわたしは何てことを許してしまったんだと後悔した。わたしはいつも寝たふりをしていたから、お父さんは寝ているであろうわたしにごめんなと声をかけて、やがて寝た。
翌朝はお父さんと上手く話せなかった。でもわたしの元来の、忘れっぽく、大雑把な性格と、母が手に入れたこの幸せな家庭を壊してはいけないという思いから、あの夜を忘れお父さんとも普通に接した。いつの間にか普通に接することが当たり前になっていた。
挿れられたのはあの一度だけだったが、中学生二年生の頃にリビングで寝こけていたらやはり体を触られた。翌日メールで昨日みたいなことはやめて、そう送った。分かった、ごめんなさい。そう返事が来た。でも、高校一年生の時にまた触られた。クリトリスを執拗にいじられて痛かったことを覚えている。その日からわたしは決してリビングで寝こけないようにした。それ以降は触られていない。初めて挿れられたのも、なめられたのも、指を挿れられたのも、全部お父さんだ。仲のいい友達にも彼氏にも、もちろん家族の誰にも、誰にも、言っていない。
でもわたしは性行為はトラウマにならず、セックス大好きである。毎日したい。話が逸れた。
まぁ、そんなことがあったけど、お父さんとわたしは、仲良しだし、わたしはよその子を育ててくれた父を尊敬しているし、ユーモアのあるお父さんのことが好きだ。評価できない部分があることも、もちろん理解しているんだ。でもわたしは家族の手前、お父さんと仲良しな娘でいなければならなかった。日常生活で思い出すこともなかったからそれでよかった。過ぎたことはもういいんだ。
ここで突然だが、母の性格を書いておく。母はプライドが高く、完璧主義者で、人にもそれを押し付ける部分がある。本当に最近改善されてきた部分もあるが、まだまだ自分にも他人にも厳しい。叱るだけでなく、自分の怒りに任せて怒鳴ることもあったし、今振り返ると一歩間違ったら虐/待なんじゃないかなってこともあった。閉じ込められたりごはんを抜いたり殴ったりはしなかったけど、言葉の暴力は二日に一回は必ずあった気がするな。
まぁとにかく、わたしと二つ下の弟は、よく母の言葉のサンドバッグになっていた。弟は気が弱く、そこが母の気に障るようでわたしよりも当たられていた気がする。今のわたしなら庇ってあげられるのに、当時のわたしは庇ってあげられなかったなあ。 怒鳴られていたピークは小学生までだと思う。
中学生の時は私も弟も尖っていた。家の空気はギスギスしてた。いつの間にか落ち着いたけど、本当に空気は重かった。高校生になってからは楽しい仲良し家族だったなあと思う。たまに喧嘩もあったけど。
さて、わたしが大学生に上がってからのことだ。二つ下の弟が部屋で首を括って死んだ。前から患っていた病気と、受験のことが重なってのことだった。家はめちゃくちゃになった。多感な時期の弟妹には辛い思いをさせた。弟妹には自殺という事実はまだ伏せてある。母は特にボロボロだった。母の自殺騒動も起きたが、半分本気、半分は悲劇のヒロイン気分になった構ってちゃんだったんだろうな、なんて冷めた目でしか見れなかった。悪い娘である。でもそういう人なんだ。
母が親と絶縁したり、お父さんのお金遣いが荒くなったり、私に彼氏が出来たり、当時一緒に住んでた祖父がストレスから弟妹をいじめたりいろいろあった。自分で言うのもなんだけど、私のがんばりで家族は立ち直ったと思う。祖父から弟妹を救うのは親の役目だったと思うんだけど、私しか気付かなかったから私が始めに動いて父母も巻き飲んで解決した。辛かったな。
今は母に怒鳴らないで教育しなきゃだめだよって諭してるところ。弟妹が、死んだ弟のように追い詰められないように私が弟妹のフォローをしている。弟が自殺したのは別に母のせいではないけれど、弟の性格を作ったのは間違いなく母だから。
まぁこんな感じ。
私の癒しである彼氏とは遠距離になった。続くかわからない。遠距離最悪。
そして私はシューカツ生の一員としてがんばりはじめたところ。
私はがんばって生きていくよ。みんなも、できる範囲でがんばって生きてね。
自殺は、できれば、やめてほしいな。
ここまで読んでくれた人ありがとう。