読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

二輪と深夜とロックンロール

ジャズとロックとバイクと喫茶店とそれらが出てくる本が好きです。元『東京文系大学生』。

最果タヒ『渦森今日子は宇宙に期待しない。』は読者に強烈な敗北感を喚起する。

少し前に読んだ本、『渦森今日子は宇宙に期待しない。』はヤバイ。何がヤバイって、徹底してライトな文調で構成されているというのにそこに確かな牙が存在していること。そもそも僕はあんまり砕けた言葉遣いの小説が好きではなく、それは例えるなら、初期衝動という言葉に安易に甘えたロックバンドに覚える同族嫌悪、に近いものを感じるからです。本を書くならそれなりのスタイルが必要だ。と常々思っていたのです。

しかし、この本にはかなわない。言葉の選び方に詩人としてのボキャブラリーがある時点で負ける(当然ですが、素人がプロに勝てるも負けるもないだろうなどという意見は生ゴミだ)。日本語の最大の武器であるところの、ひらがな・カタカナ・漢字の組み合わせを縦横無尽に操って、かつ女子高生の視点と偽りつつも主人公は宇宙人なのでそれはメタ視点そのものといった語り口(だけど作者最果タヒは地球人であることも垣間見える)で、現代の若者である僕達の世代への皮肉が1ページに5個くらいある。そして勿論小説として引き込まれるストーリーも有る。描写も比喩的で非現実的なのにリアリティが半端ではない。何より、これらは些細なポイントでしか無く、描かれた高校生の生活そのものが眩しすぎる。なんだあれは。こちとら中高一貫男子校だったぞ。

 

これは悔しい。一見するといかにも若者向けという文章に、若者がまんまとハマってしまうことほどダサいことはない。SNSに猫の写真を載せるやつはザコ、と言いながら猫カフェに行くと幸せになってしまうような。

ただでさえ最近僕は時期が時期で、間近に迫った将来に焦り、自分にとって何が大切なのか・自分は何者なのか、などという問いを余儀なくされているというのに、そこへ『あの日の、無根拠で曖昧な、ただ衝動的だった焦りを、不安を、あれこそお守りだった』(あとがきより)などと言われてしまっては打つ手もないッス。

今後何度も再読するか、と言われると自信がないけれど、自分が9割9分「大人」で構成されてしまった今、読んで良かった。

 

渦森今日子は宇宙に期待しない。 (新潮文庫nex)

渦森今日子は宇宙に期待しない。 (新潮文庫nex)