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“「1939年3月5日付の「毎日新報(ママ)」
(京城発行のハングル新聞)によると、
逮捕された河允明は、妻と共に32年から各地の農村を
歩き回り「生活難であえぐ貧しい農夫達」に良い仕事が
あるとだまして、約150人を満州や中国本土などに
700円から1000円で売ったという。
ついでに河から50余人を買った京城の遊郭業者を
警察が呼び出すと、それを察知して彼女達を
牡丹江や山東省に転売したことも判明する・・・・」
当時、大事件として報道されている。
(1939年3月15日 東亜日報)
「河允明誘拐事件波紋拡大」
「悪辣な遊郭業者」
「警察の救出を念慮」
「続々と外国に転売」
「人事紹介所に検察のメス!」
「特別調査隊編成内探」
(1939年3月15日「東亜日報」)
「誘拐した百余の処女」
「貞操を強制蹂躙」
「河允明余罪は続出」
(1939年3月9日「東亜日報」)
河允明事件を受けて遊郭業者が娼妓を地方に
転売していったことを報じる記事。
18歳の趙鶴南という少女が「山東省の畓鏡慰安所」に
転売されたと報じている。
河允明事件も鬼畜ですが
他にも鬼畜な事件は起きています。
(1934年7月16日 東亜日報より)
「売られた養女 涙の訴え~
11歳少女売春強要」
記事によると、
「7月17日に市内本町署保安係(?)に
泣きながら保護を懇願する事件があった。
宋相奉(11歳)は・・・養父という者が
ハンドン里の金弘植に250ウォンを受け、
(宋嬢を)売ってしまった・・・・」
慰安婦だったというお婆さんの中にも
「養父にキーセン養成所に売られた」と証言
していたケースが有りましたね。
恐らく、転売目的で貧しい人達から
幼女を”養子にする”と言って買ってきたのでしょう。
朝鮮総督府は、1916年に
「貸座敷娼妓禁止規則(総監部令第四号)を施行して、
娼妓になれる年齢条件を十七歳以上としています。
11歳の幼女に売春を強要する事は、
当時も法律違反です。
貧しい農家の口減らしに売られた幼女達は
直ぐには転売できないので、一旦養子にして
売れる年齢になるまでブローカーに育てられていた?
恐ろしい人達ですね・・・
こうした転売目的の養子縁組に対して
朝鮮総督府は厳しく取締りを行っています。
(1939年5月27日 東亜日報)
「支那人の朝鮮収幼女
養育は断固禁止」
人身売買防止の為、中国人が養女を取ることを
禁止したという記事です。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
朝鮮の人身売買事件は、日本から解放されて
”日帝”が居なくなっても続く・・・
「少女二名誘拐
売淫「ブローカー」拘束」
(1956年4月11日「東亜日報」)
※記事では「就職させてやる」とだまして
誘引したことが述べられている。
「田舎の処女誘引
醜業を強要した老婆」
(1956年7月11日「東亜日報」)
「田舎の処女を誘引
売春窟に売った女人を検挙」
(1959年8月6日「東亜日報」)
そう、
戦前から現在に至るまで
この悪習は続いている・・・
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
朝鮮戦争が始まると、韓国政府は
UN軍や米軍相手の慰安所を開設し慰安婦を募集する。
(1961年9月14日 東亜日報)
UN軍相対慰安婦
13日から登録実施
ソウル市警では、市社会局に
「国連軍相手慰安婦性病管理士業界」計画によって、
三日から国連軍相手慰安婦の登録を
官下一線署に伝達して実施している。
ところで、今度の登録対象は
▲法的婚姻関係がなくただ一人の外国人と同居している女性
▲国連軍相手慰安婦などだと言う。
↓
(1961年1月31日 東亜日報)
慰安婦教養講習
伊淡支所主催で
【東豆川】
去る27日正午一時、ここ東光劇場では、
伊淡支所主催で800余名の慰安婦に対する
教養講習会が開かれた。
当地、駐屯米第7師団憲兵部 司令官、及び同民事処長等、
米韓関係者が多数参席した同講演会では、
慰安婦に対する徹底した性病管理を強調したところがあり、
同講習会が終った後、慰安婦によって構成された
歌と踊りの余興が異彩を放った。
★米国の現地調達方式
http://blogs.yahoo.co.jp/osteospermum518/65448864.html”