〈九勝六敗を狙え〉(『うらおもて人生録』新潮文庫)。名うての雀士としても知られた作家の色川武大(別名・阿佐田哲也)は、人生を大相撲に擬(なぞら)え、勝ちすぎても負けすぎてもいけず、ほどよく勝ち越すくらいがちょうどいいのだと説いた。しかし、その「ほどよく」が難しい……。勝ちすぎた挙句、負けすぎてしまった伝説のプロ野球日本シリーズの「主役」が、〈3連勝4連敗〉人生を振り返る。
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1989年、近鉄バファローズ(当時)と巨人による日本シリーズは、今でも語り草となっている。
近鉄が初戦から3連勝を飾り、3戦目に先発した加藤哲郎投手(51)は試合後のヒーローインタビューで、
「打たれそうな気がしなかった」
「シーズンのほうがよっぽどしんどかった」
と、豪語。すると、翌日のスポーツニュースで彼の発言は、
〈巨人は(パ・リーグ最下位の)ロッテより弱い〉
こう報じられた。
これでプライドに火がついた巨人は、その後、怒濤の4連勝を成し遂げ、世紀の「逆転日本シリーズ」となったのだ。なお、近鉄の負け越しが決まった最終戦に先発したのも加藤氏で、この試合で彼から本塁打を放った巨人の駒田徳広に、グラウンド上で「バーカ!」と言い返される始末。加藤氏は戦犯としてどん底に落ちたのだった――。
「仮に今、同じ舞台で投げたとしても、同じことを言うでしょうね。だって、3連敗している相手に『強いですね』なんて言ったら完全なお世辞で失礼でしょ」
大阪市内にある雀卓に囲まれた現在の「職場」で、加藤氏はこう語った。ビッグマウスは相変わらずだが、一方で、
「とは言っても、『トータル』で私は負けたということになるんでしょうね。日本シリーズの翌年、肩を壊して1試合しか投げられず、リベンジを果たせませんでした。結局、95年に引退するまで、巨人を見返すことができなかった。だから、野球人生トータルで、私は負けてしまったと言わざるを得ないと思います」
プロ実働10年での彼の通算成績は17勝12敗と勝ち越しているものの、89年の「後遺症」があまりに大きく、どうやら加藤氏自身は、数字はともかく野球人生は実質、負け越しだった、との感慨を持っているようである。
引退後、飲食店経営などを経て、彼は今、麻雀教室で生計を立てている。
「5年ほど前から、初心者に牌の種類を教えるなど、アマチュアとして麻雀講師をしています。野球に通じる『ゲーム性』に惹(ひ)かれるんです。野球も麻雀も理不尽なゲーム。どれだけ自分が最高のパフォーマンスをしても、思うようにいかない。それが魅力です。ちなみに、私の麻雀の打ち方は、顔のいかつさのわりに繊細だと言われます」
しかし、89年の時点で加藤氏はこの繊細さを持ち合わせておらず、まさに「ゲーム性」に翻弄され、シリーズの流れを変えてしまった。
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