サンフランシスコ訪問記 だいぶ更新滞ってたけど、
こっからどしどし いきまっす!
ちなみに、サンフランシスコは
障害者雇用をメインに据えながら、世界を代表する社会変革カンパニーを目指す
ウイングルの長谷川敦弥(あつみ)社長と一週間、各企業を訪問してきました!
(25歳で歳も近いあつみさんから学んだ教訓は、また別途!)
さあ、つーわけで 訪問記 一発目は
Seattle で訪問した FareStart のAmy がゴリ押しするもんだから訪問してみたら
ここが すごかった。。
ここ Delencey Street Foundation は、元受刑者の方々の社会復帰を支援する機関で
施設として Delancey Street (ディランシー通り)の一帯に それはそれは ドでかい オシャレな
元受刑者の居住アパート 兼 居住者運営の商業施設
をもっています
総工事費用 なんと 10兆円!w
それも Bank of America が貸してくれたらしく、すでに4年前に完済したとのことでした
とにもかくにも 施設が綺麗ですよねー
施設内には、車修理工場からミュージックホールまであるんです
いやはや・・
そして建物内には、過去の表彰状がずらり・・
全米にも他5拠点、同じモデルで展開しています
立地も海辺なので最高の景色!!
そして驚くべきが創業ストーリー
もちろんこの建物のあった場所、40年前の創業時には何もありませんでした
あったのは創業者のMIMIさんのパッションのみ
創業時、四人の家族と、元受刑者の方二人と住み始めただけ
その中で ちょっと料理ができるひとは 調理をまかせ
大工仕事ができるひとは 何か大工仕事をしてもらい・・
というスケールからはじめて、まず家の中の仕事や役割分担を
元受刑者の方々の中で割り振って生活を始めたそうです
そしていまや 単なる元受刑者の居住地という枠を大きく越え
レストラン
カフェ
本屋
ケータリング
クリーニング
リムジン・タクシー
映画館
等々
たくさんの事業を抱える 大きなグループ会社となり
運営費の7割は事業収益で賄う 巨大NPOとなっています
各グループ会社のトップも、この施設の卒業生が役員として入ってるものが多いです
こちらは施設一階にある、経営しているレストラン
写真は撮りそこねましたが、同じく経営しているオープンタイプのカフェは
なんとこのサンフランシスコのエリアで売上が一位にもなった年もあったのだと!
こちらは、本屋とカフェを融合させたタイプの店舗
いや、まじでオシャレw
従業員はもちろん全員居住者である元受刑者で、
基本的にこちらで二年間居住しながら、
社会復帰のトレーニングと、こうしたの実社会での職業経験を積んで
施設を卒業していきます
さあ そしてだよ
とにもかくにも
きちゃったんですよ
いやはや
人前で
二度目。
このひとが ぼくとあつみさんを案内してくれた キャロル
このひとも元受刑者でこの施設の卒業生で 今はマネージャー職
とにもかくにも このひとのストーリーが破壊力ありすぎた・・
写真ではこんなニコニコしてるし
実際もしゃべりだしたらとまんないくらい 元気なお姉ちゃんなんだけどw
実際彼女が抱えている過去は とても笑えるようなもんじゃありませんでした
キャロルは、薬物中毒でつかまって刑務所に入りました
しかし、もうそこでの生活が本当に壮絶だったとのこと
そして そこで毎晩泣きながら必死に このDelancey Street Foundation 宛に手紙を書き、
入居を何度も頼んだのだそうです
(Delancey は基本的に刑務所からアプライ。ほぼ全員が受け入れられる)
ただ そのときの様子を ぼくらに語るときの彼女が
それはそれは もういまにも泣きそうで
本当に辛かったんだなあと 心打たれました
「だけど」
と彼女は続けます
「やっとの思いでここに入居して私はかわったの
ここでは自分を人として認めてくれるこんなに素晴らしい建物があり
自分の痛みに共感してくれる最高の仲間がいた」
入居するとそこには 自分と同じようにつらい過去をバックグラウンドとしてもつ
共感しあえる仲間がいて
彼らとともに毎日生活を共にし、仕事を共にする中で
次第に閉ざしていた心も溶け、人としての自信を取り戻すことができたと
キャロルは目をキラキラさせて語ってくれます
そしてです
「もっと大事な瞬間は その後に訪れたの
自分のあとに、新しく刑務所から出てきた子が入ってきて
この世の終わり のような顔をしていた
そこで気づいたの
これは入居したての過去の自分の姿だと」
「そしてそこで 私は自分のつらい過去や苦しい経験を彼に話したの
そうすると次第に顔つきもよくなっていって
自信をとりもどしていったのよ
そこで気づいたのが
こんな自分でも、ひとに伝えられるものがあるんだ ということ
<社会に悪い影響を与えるひと>
として烙印を押された自分でも
ひとに良い影響を与えることができるんだ
って気づけたのよ」
目をキラッキラさせて自分の体験を語るキャロルを前にして
ぼくは ボロボロ 泣いていた
こればっかりは なんでか ほんとうにわからない
キャロルも しゃーねーな ってかんじで笑ってた
いっしょにいた あつみさんも 驚いた顔
それでも なんか とまらなかった
バングラでGCMPのみんなを見送ったとき以来の涙
あの 「気づいたら」 流れてて
もう何が溢れ出てるのかもわからない感じ
そしてキャロルが言うには まさにこうしたキャロルが体験したことこそ
Delancey Street Foundation のコンセプトなのだそうだ
“Each One, Teach One”
「ひとりひとりに、伝えられるモノがある」
まさにキャロル自身が体験したように
自分は 「ひとに良い影響を与えることが出来る人間なんだ」 という自尊心
そしてそれは決して 過去を否定することから できることではなく
どんな過去であろうと 必ずその経験から その経験だからこそ
人に伝えられるものがある 人に良い影響をもたらすことができる
そこなのだと
いやあ 教えらてもらいましたね
最高にしびれました
そしてやっぱり おれのやりたいことも こーゆーことなんだっておもったんだ
「こんな自分でも 良い影響を与えることが できるんだ」
っていう この 「できるんだ」 の瞬間
こういうひとの胸高鳴る瞬間に立ち会っているのが おれはたまらなく好きなんだ
最高に幸せなんだ
きっと 今回の涙は バングラでの とは ちょっと意味が違うんだろう
きっと一度目は 弱い自分を初めて受け止めることのできた
今まで無理してきたものも貯めこんできたものも 受け入れた
それで吹き出した モノ だったと思うんだ
そして今回のは たぶん
心からの共感
「同じように弱い自分と必死に退治して向きあって、それでも乗り越えて、
自分にもできるんだ とつかんだその過程」
その一部始終が、全部ではないけど、それでもリアルに
自分の体験の中から 追体験・同期できたからこそ
溢れでたモノだったんじゃないかなあ っておもう
そして今回は、絶対一度目のバングラの体験がなければ
溢れでてこなかったんだとも わかる
まあ なんだかんだ ふりかえってみると
しっかり 転びながら 泥に塗れながらでも
ちょっとずつ 人間らしくは なりながら 前に進めてるのかなって思います
自分次第で こうも目の前の景色の色は かわるんだ
さあ 人生まだまだ これからだ
もっともっとこういう体験ができるような人間になろう
そうやって どんどん自分の中の原色をかきまぜて 色濃くしてやろう
キャロル、本当に最高の出逢いをありがとう!
だいすけ@ボストン