竹宮恵子さんが自伝出版 少女漫画に革命、情熱今も

福岡県朝倉市の自宅アトリエで、漫画について語る竹宮恵子さん。右上の作品は「風と木の詩」の一場面
福岡県朝倉市の自宅アトリエで、漫画について語る竹宮恵子さん。右上の作品は「風と木の詩」の一場面
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少年の名はジルベール ジルベールは「風と木の詩」の主人公。四六判240ページ。1400円(税別)。小学館=03(5281)3555。
少年の名はジルベール ジルベールは「風と木の詩」の主人公。四六判240ページ。1400円(税別)。小学館=03(5281)3555。
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竹宮恵子さんの作品が並ぶ朝倉市中央図書館の特設コーナー
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 漫画家で京都精華大学長の竹宮恵子さん(66)が先月、自伝「少年の名はジルベール」(小学館)を出版した。福岡県朝倉市の自宅で西日本新聞のインタビューに応じ、創作秘話や漫画への思いを語った。

 竹宮さんの自宅アトリエには、本を抱えて眠る少年をそっと見つめる別の少年を描いた複製原画が飾られている。40年前、タブーとされていた少年の同性愛を描き、少女漫画界に衝撃を与えた「風と木の詩(うた)」(1976~84年)の一場面だ。

 「男性の編集者が思い浮かべるかわいい少女が主人公で、ハッピーエンドで終わる旧態依然の考えを打破したかった」。精神的な愛と肉体的な愛という微妙なせめぎ合いを描き、女性が避けようとする性的なことを知ってほしかった。それは、少女漫画の間口を広げるための「革命」でもあった。

 17歳のデビュー後、上京し、歴史スペクタクルやSFなどヒットを連発。少女漫画界の「巨匠」と呼ばれるが、20代前半にはスランプに陥り、体重が42キロまで落ちた。抜け出すには、自分自身と向き合うしかないと考え、ペンを持ち続けた結果、名作「ファラオの墓」が生まれた。「私の経験が若い漫画家の役に立てば」と、自伝に思いを託した。

 女性漫画家たちが集い「大泉サロン」と呼ばれた東京のアパートで、萩尾望都さん=福岡県大牟田市出身=と共に暮らした。萩尾さんの才能への嫉妬、憧れがない交ぜになり自分を見失った過去や、モチーフとして少年愛を認めない編集者との確執も包み隠さず記した。

      *  *

 2000年にマンガ学科を創設した京都精華大に教授として招かれ、描き手から教える立場になった。学長の今でも、描き出す前にプランを立て、完成形をイメージし、物語を制御する「脚本」の重要性を学生に伝える。何を描き、目に見えないものまで含めて、どう伝えるのか。大学では時代に合わせ、液晶タブレットを使った作画などデジタルの技術も教えるが、漫画制作の根幹は変わっていないという。

 「都会の喧噪(けんそう)にへきえきし、引退後は静かな地方でのんびり暮らしたい」と、インターネットで偶然見つけた朝倉市の高齢者向け住宅地「美奈宜(みなぎ)の杜(もり)」に、神奈川県から引っ越して2年半が過ぎた。京都で働くため、2週間に4、5日しか暮らせないが、朝は小鳥がさえずり、夜は満天の星が楽しめるほどよい田舎を気に入り、住民主体の阿波おどりサークルにも積極的に参加する。「教えることは楽しいので、将来的に漫画教室ができれば」

 10年ほど制作から離れており、新作については「学長を引退後、自分が描きたいテーマがあれば。ただ、体力的に厳しい商業誌に描くことはないかな」。漫画の可能性を追求し、ネットでの発表も視野に入れる。

 「漫画が日本だけでなく世界中で残るように活動を続ける」。少女漫画の革命に挑んだ旗手の情熱は、衰えることはない。

 たけみや・けいこ 徳島市生まれ。1968年漫画家デビュー。「風と木の詩」(76~84年)と「地球(テラ)へ…」(77~80年)の2作品で、80年に小学館漫画賞を受賞。2000年から京都精華大教授、14年学長に就任。同年紫綬褒章を受章。

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 図書館に竹宮コーナー 朝倉市

 福岡県朝倉市甘木の市中央図書館には竹宮恵子さんが寄贈した漫画や著書が並ぶ特設コーナーがある。代表作や絶版本もあり、市民から親しまれている。

 竹宮さんが紫綬褒章を受章したのを機に、同図書館が昨年6月、「何らかの連携をしたい」と連絡すると、8月に本70冊と直筆のサインが寄贈された。

 「風と木の詩」や「地球へ…」のほか、2006年に徳島市で開催された作品展の図録などがある。同図書館が購入した20冊を合わせた計90冊のほとんどを借りることができる。休館日は月曜日。

=2016/03/11付 西日本新聞朝刊()=

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