モニに会いにいく

DSC00104

モニに会いにいく。
10年前の「おれ」。
都会という砂浜の、ちっちゃな一粒。
迷子の粒子。

ちっちゃな粒が、この世界につぶされてしまわないで生きていくには、たくさんの「支え」が必要なんだよ。
小さな頃の、親の溺愛の記憶。
裏庭の小川を友達たちと行ったりきたりした思い出。

ガメは、いいもわるいもないでしょう?
あなたは、そのままでいいのよ。
よりよい人間であろうとすることに、どんな意味があるの?
ガメが、世界で最悪の人間でも、でもわたしは、それでも、わたしはあなたを最高に愛しているとおもう。
ガメこそが人間であると考える。

そのままで、いい。

モニに会いにいく。
10年前の「おれ」。
都会という砂浜の、ちっちゃな一粒。
迷子の粒子。

クリスマスプレゼントを抱えて、雪が降るマンハッタンで、
おれは、こんなふうに考えていたのさ。

ダメでもいい。
もう、身捨てられても、別れて別別に暮らすことになったっていい。
でも、どれほど自分がモニを愛しているかだけは、どうしても伝えたい。
あなたのためなら、死んでもいい、と考えたことを伝達したい。

雪が降って。
雪が降って。

個人が幸せになること以上のことが、
モニが幸せになって
ぼくが幸せになる以上のことが、この世界に、あるのか。

モニに会いにいく。
10年前の「おれ」。
都会という砂浜の、ちっちゃな一粒。
迷子の粒子。

チェルシーの南の端にある、おれの馬鹿アパートを出て、パークアベニューの、クソ通りを歩いて、アップタウンをめざす。

(雪が降って)
(降り積もって)

わたしどもの息子がご迷惑をおかけして

(畳は沈む)
(畳は沈む)

やさしい女びとたち。
世界を肯定するひとたち。

肯定。
(それも100%の全肯定なんだぜ!)
(女びとたちの、天賦の才能である)
(きみや、おれの、ケチな男たちに、あるわけがない才能だとは思わないか?)

モニに会いにいく。

10年前の「おれ」。

(宇宙がどうなったって、構いやしない。
ぼくは、モニと一緒にいたいだけさ)

(畳は沈む)
(畳は沈む)

もののけたち、中空に佇んでいる。

眺めている。

(でも、それは、自分達の骸かもよ)

波打ち際では、破砕された帆立貝の貝殻や、「浸蝕された夜」が、
モニさんが述べた、「耳を澄まさなければ聴こえない音楽」として流れている。
「聴き取りにくい声」が闇の隅から聞こえてくる。

われは求め訴えたり
われは求め訴えたり
われは求め訴えたり
われは求め訴えたり
われは求め訴えたり
われは求め訴えたり
われは求め訴えたり

Posted in Uncategorized

福島第一事故がもたらしたもの

IMG_6032

(自分のなかの)日本語は、まだ健全なままだという気がするが、日本の社会については思い出せることが、とても少なくなってしまった。
去年、欧州の帰り途、数日だけ日本に寄った。
楽しかったが、その「楽しさ」は完全に観光客のもので、日本語の捷径を伝って、日本の人たちの心のなかへ歩みいっていくような、むかし、もっと日本の人たちに心が近かった頃の、あの不思議な感覚は、もう失われていた。

あれだけの時間とエネルギーをつかって理解しようとした見知らぬ文明が、こうもあっさり心に広がる野原のようなところから、根を失って、書き割りのような、比較文化の研究対象のような、生命のない絵画に変わってしまうのは寂しいような気もするが、いっぽうで、「そんなものか」という気もする。
もともと仕事でも学問の対象でもなくて、ただのひまつぶしだったのだから、相応の終わりかたであるのかもしれません。

日本の衰退は、例えば経済においては人口減少が根本原因だが、その人口減少さえ、より根底的な理由の結果にしかすぎなくて、もともと無神論的文明である日本の文明が、アニミズム的な「畏れ」のある精神のありようや、武士道という全体主義的な倫理規範を失って、「真実への畏怖」の気持をもてなくてなってしまったことが文明の衰退の原因ではないかと思うことがよくある。

みなで一緒に見てきた身近な例をあげると、ぼくを攻撃し誹謗中傷することを繰り返すトロルの最も悪質な3人の、現実社会における正体をしらべると、それぞれ、
私大講師、数理科学研の准教授、理研研究者で、
もちろん英語世界にも無数にトロルは存在するが、トロルの正体が「知識層」と分類される人間であることはありえないし、仮にこの3人のように正体が露出してしまえば、社会の側がさまざまな「見えない圧力」をかけて、税金で食べている寄生虫とみなして、職業もキャリアも、間違いなく、そこで終わりになるが、日本では、「裏の顔」でやっていることについて「表の顔」で呼ぶことも失礼だとかの、とんでもない未開社会の理屈で、3人とも、相変わらず、「自分は秀才だが、おまえらみんなバカ」の楽しい人生を過ごしている。

日本社会の根本原因が理解されるのと一緒に、それが死に至る他はない病で、日本のひとびとがどんなにジタバタしても、日本のアイデンティティそのものである「日本文化」が、関節が硬くて、お辞儀の動作しかできない、動的な現代社会に対応できない「天然全体主義」で、それこそが原因なのだと判ると、「なにを言ってもむだ」と考えるほかはない。
真実を指摘されると、判で捺したように、いっせいに相手をウソツキ呼ばわりして、reliabilityを足下から掘り崩して、みなで顔を背ければ大丈夫という日本では通用する手が、慰安婦問題でも、南京虐殺でも、性差別でも、そして福島第一事故処理でも、日本社会の外では、かえって日本全体への不信を起こして、それこそ日本語社会全体のreliabilityの喪失となって現れてきていることは、言うまでもない。

しかし、そんなことを議論して、どうなるというのだろう?

この頃、この零細なブログで、日本社会について「ほんとうのこと」を述べるのをやめてしまったのは、無論、ぶざまなくらい頭の悪い上記の3人トロルのようなおっさんたちを揶揄かうのに飽きたことよりも、言ってもムダなことは言う必要がない、という30歳を越えた人間の老化現象で、おなじ日本語でも「ちゃんと言葉が通じる友達たちと遊ぶ」ことにしぼったほうが楽しい、というところに退化したからだと思われる。

零細なブログだが、アクセス数でいうと、年がら年中「閉鎖・引越」を繰り返したあとのいまのブログで250万を越えるくらいはあって、読んでいる人の数は、分析を見たことはないが、多分、アクセス数なりで、「友達たち」が引用するtweetの殆どがブロックしているせいで見えないという、とんでもない使いかたのtwitterのテレビ視聴率みたいな思想であるらしい「フォロワー数」が、とても小さいので、よくトロルたちが嘲笑しにくるが、自分のほうからすると、嘲笑されている「7000」という数字でも多すぎて、相変わらず1000くらいのフォロワー数で、「友達たち」が100人くらい、がいちばん良いのではないかと思っている。

振り返ると、単純に受け狙いで遊んでいた以前の英語ツイッタアカウントは、ここに書くのが気恥ずかしくなるような、ものすごい大数のフォロワー数だったが、後半はうけるのが返って苦痛で、いかにもムダな時間の過ごし方におもえて、ときどきは、チョー面白い人と知り合えたりもして、現実社会でも会って、もったいないと思わなくもなかったが、閉鎖してしまった。
母語でSNSなんて学べることがなくて時間の浪費である、という吝嗇な気持もあったかもしれません。

日本が抱えている最悪で最も根底的な問題は、意外に思うかもしれないが、ぼくから見れば福島第一事故と、その処理で、この問題を(いま社会全体がそうしているように)故意に軽くみつもって知らないふりをして看過していくか、正面から対策して国家の財政が破滅するか、ふたつにひとつしか選択肢はない。
支配層の奥深くで意思の決定を行っている人間たち…それは決して首相や大臣たちではないが…が考えたのは、要するにそういうことで、ゴルバチョフがインタビューで「チェルノブルで私が直面した問題は、国民を犠牲にするか国家が破滅するかという選択で、私は国家の破滅を選択する以外に方法がなかった」と述べていたが、日本支配層はゴルバチョフとは正反対の選択を行(おこな)った。

ところが日本におけるthe best & brightest であるはずの秀才たちが予期しなかったことが起きた。
人間の「真実への畏怖の本能」を甘くみたことで生じた「言語の空洞化」で、マスメディアをはじめ、目立ちたがりの科学者や知識人、はては芸能人まで動員して、戦前からのお家芸の「世論形成」に成功したのはいいが、その次に起きたことは、言語の真実性の全面的な崩壊で、日本語による思考そのものの信頼性が破綻してしまった。
言語全体の詭弁化、と言ったほうが判りやすいかもしれません。

歴史上、初めて、というわけではなくて、古代ギリシャの最後期の日々、あるいは朱熹が起こした学問に支配された東アジア社会というような言語が真実性から乖離することによって社会全体が真実性を失って停滞・崩壊した例は歴史上いくつかある。
日本の近代が、衒学的訓詁的で秀才崇拝という悪い病気をもちながら、比較的健全な世界でありえたのは、現代日本語自体が原典を読むための「注釈言語」で、「外国の考えを珍重する」という社会的習慣をもっていたからで、「知識人」自体が「外国文明の翻訳・紹介者」という性格を色濃くもっていた。
日本の近代文学・近代言語が「イワン・ツルゲーネフの小説を翻訳しうる語彙と文体」をつくることで誕生したのは典型であると思います。

福島事故を正語によって正視することによってしか、日本の倫理規範、ひいては言語能力の再建は出来るはずがない。
アベノミクスが見事なくらい徹底的に基礎を破壊して貯えを干あげてしまい、「他国なみ」に脆弱にしてしまった経済と財政よりも、この日本語の言語としての崩壊のほうが遙かに深刻で、いったいどんな解決の方法があるのか、いっそ英語に言語を変えてしまうのか、あるいはエズラ・パウンドに倣って沈黙の民になるほかないのか、見当もつかないが、まだ日本語をおぼえているあいだは、少しおくれたり、道路からそれて、森のなかに彷徨いこんだりしながら、日本の人の傍らを歩いていければいいと願っています。

昇る太陽の姿が見えないので、どちらに向かって歩いているのか、方角すらわからないけれど。

(画像は大庭亀夫の「遊んでばっかし」の日常がよく判る。ダービーの画像。ワインを3本飲んで、なあーんにも、判らない午後)

Posted in Uncategorized

勇者大庭亀夫はかく語りき2

IMG_0187_171143

「目がさめる」って、こんなにぼんやりした感覚のものだっけ?
(生きているのか、死んでいるのか)
(それに、ここは、いったいどこだ?)

毛唐というけどな。
どうして、おれの腕には金色の産毛が生えているのか。
妙に長い腕、長い指、おおきな手のひら…
第一、こいつは、どんだけ長い身体なんだ。

いったい、おれは誰だ?

おおお。
思い出したぞ。
こいつ、この鏡に映っている、ふざけた野郎は「ガメ・オベール」とか自称している奴だ。
ニセガイジンなのか。
おれを、バカにしているのか。
どんなバカでも「ガメ・オベール」がGameOverで、もう終わっているおれの人生へのあてつけなのは判る。

終わっている?
なに言ってんだ。
あいつら。
「世界」とかいうものを代表しているつもりの、気取り屋のマヌケたち、
あいつら。

あいつらは、おれがもう死んだのだという。
「大庭さんも良い人だったが、精いっぱい生きてみたが、
報われなかった。
でも、それなりに全力をつくした立派な一生だった」

馬鹿野郎!
勝手に、おれを葬るな。
おれは、ここにこうして生きて…
あれ? おれの肉体は、いったいどこにいったんだ?

庶務の早苗ちゃんに会いにいかなくてわ。
「年の差なんて、たいしたことじゃないじゃないか」と言いに行かなくてわ。
早苗ちゃんは、おれが寄り添うたびに、なんだか嫌そうな顔をするが、
きっと、おれが好きなので、好きすぎて、防御反応を示すのだろう。

俺はなあ。
こら、お前、聞いてんのか。
頑張ったんだよ!
それなのに、ちょっと会社が傾いたら….えっ? 傾いたら、どうしたって?
言いたくねえよ、そんなもん。

いかん。
ついコーフンしてしまった。
なんだっけ?
ああ、そうか。
あの反日外人ガメ・オベールの話だった。

何より許せんのは、このガキが金持ちらしいことだ。
僻(ひが)みじゃないかって?
僻みなんかじゃねえよ!
だって、この野郎のブログ読んでみろよ。
「わっしはビンボーなのでビジネスクラス」って、なあああーんだとおおお、
ビジネスクラスって、俺の会社、いやもういまは「俺の会社」じゃねーけど、
まあ細かいことは言うな、
俺の会社でも部長以上じゃないと乗れないクラスのことだろーが。
こーゆーところだけでも、「反日外人監視サイト」の仲間が言うとおり、こいつがほんとうは北朝鮮のスパイだというのがわかるな。
ガメ・オベールの検索語でたどった「反日外人を見守るスレ」に書いてあるとーりだと思う。
西洋人版の金玉姫(ガメ・オベール謹注:「金賢姫」の間違いらしいです)に決まっておる。

あれっ?
興奮したら、なんの文脈だかわからなくなったな。
そうか、夢の話だな。
このガメ・オベールという反日外人にはわからんことがいっぱいある。
どうやらアパートに住んでいるらしいが、アパートのくそ贅沢な階段を下りてくそみたいに飾り立てたくそデカイ、くそ扉を開けると、いきなりどこかのスペインの街に出る。
どこだかわからんが、絶対スペインだ。
街はイタリアのようにも見えるが、バス停の広告が「¿倒産はてな?」だからな。
夢の中ではいつも隣に誰かがいて、どうも、あの、夢の中でも明瞭ななんだかこの世のものとは思われない良い匂いは、その人間からしているようだ。
第一、 現実の世界に、こんな綺麗なねーちゃんがいるのか?
第二、 この不思議な、部屋を満たす、圧倒的な、「静かな音」は、どこからくるのか

「夢を見続けるのは異常だが、そのくらいいーじゃないか」って?
バカ野郎!
そーゆーわけには、いかんのだ。
昨晩の夢は、細部まで結構はっきり見えた。
このクソ反日外人は毎日いくつかの言語で「ブログ」を書く。
それもコンピュータを言語別に持っている、ヘンな仕組みだ。
俺はこいつが台所のテーブルらしいところで「日本語コンピュータ」に向かい合っておるところにたまたま、こいつの頭のなかに居合わせた。
そのとき初めて気が付いたのだ。
こいつのブログ、
「大庭亀夫の生活と意見」というタイトルが付いておる。
ガメ・オベールだから、Game Overで、 Game->亀 Over->大庭(おおば)
というつもりのジョーダンなのだろうが、ひとの名前を虚仮(こけ)にしやがって、
俺は絶対許さない。
氏名僭称罪にあたるのではないか。

ふざけやがって。
俺様の名前を騙るなんて、とんでもない奴である。
俺が、ほんとーの日本人、真人にして勇者大庭亀夫のブログを書いてやる。
俺の人生をバカガイジンに乗っ取られてたまるかよ。
ガメ・オベールよ。
真の勇者大庭亀夫の名前を騙(かた)ったことを懼れよ。

近所のガキは、「あのおっちゃん背広着てっけど、ほんとは会社クビなんだって。
フローシャだって、ママ、言ってだぞ」とか、バカ親にゆわれてバカにしやがるが、
ガメ・オベールよ、第三小学校(近所の小学校です)のクソガキどもよ、思い知れ、その真実を。
失業した中年サラリーマンとは我の世を忍ぶ仮の姿、
われこそは暗闇世界の君主、人間の悪徳と欲望を糧として栄える、暗黒世界の真実の王なるぞ。
ありとあらゆる幸福を断罪せよ。
太陽を処刑せよ。
光に死を。

エロイムエッサイム、我は求め、訴えたり。

画像は、1月に俺の夢に現れたガメ・オベールが見た夜明け。
なんで、そんなものが写真に残ってるのかって?
うるせーなー。
念写だよ、念写。
そんなことも知らねーのか、ボケ。

2025年のことをおもいだす。

庶務の早苗ちゃんに会いに行かなくては。
32歳の年の差がなんだというの。
(あの胸の小さな膨らみ)
(おれを少年にもどす、あの微笑み)

早苗ちゃんは、真剣におれを愛しているので、あの夜、午前2時に早苗ちゃんのアパートのドアを、おおきな音をたてて叩いたときには、警察を呼んだりしていたけど、
あれも、もちろん、おれへの愛情の屈折した表現であったにすぎない。

そうして、おれの身体じゅうには、精気が甦ってみなぎる、
二次元絵の、「金剛さん」の短いスカートから、ちらと白い下着が見えたときのように、オダキン的にコーフンする。

(オダキン? オダキンって、誰だ?
この考えているおれは、いったいおれなのか、このガメ・オベールとかいうクソガイジンなのか)

お前たち若造に、おれの悲哀がわかるものか。
タクシー代をけちって、というか、もっと正直に言うと、そんなカネは残っていないので、会社から、遠い、地下鉄の駅まで傘もなしに、
ずぶ濡れになりながら歩く、おれの気持がわかるものか。

牡蠣もホタテ貝も、「Porn Hub」の日本人ねーちゃんたちも、黙りこくっている!

おまえなんかに、おれの気持がわかるものか。
おれはな、おれはな、おれはな!
おまえなんかが考えるよりも、まして、この、ふざけた毛唐野郎のガメ・オベールが考えるよりも、ずっと偉大な人間なのだ。
なにを笑ってやがる。
お前が笑うのは、こんなにも長いあいだ生きてきた人間が見てきたものを知らないからだろーが。

おれは、銀河と銀河が衝突するのを見た。
小隕石が惑星を破壊する一瞬や、太陽が、
死の一瞬、巨大に膨張して、須臾の栄光のなかで爆発するのを見た。

おれは、もう何もかも知っている。
宇宙の秘密を。
もう、すみずみまで知っている。

おまえなんかに、それがわかるものか!
I am ripper… tearer… slasher… gouger.

おい。
ガメ・オベールよ、
聞こえるか?
James F.よ

I am the teeth in the darkness, the talons in the night.

聞こえるか?
わしの魂の声。
(映画Beowulfの科白だけど、だから、なんだというのだ)

I am the teeth in the darkness, the talons in the night.

そうでも思わなければ、人生なんてやっていけるかよ。

いったい、この世界で、知性的であることに意味なんてあるのか?

Posted in Uncategorized

友達に会いにいく

IMG_0278_91231

クイーンワーフに立って、友達を待っている。
友達、と言っても、50歳も上なんだけど。
もう、あと3ヶ月、と医者に言われたガンになって、飛行機は無理だからクルーザーで会いに行くよ、と電話がかかってきたのが、2ヶ月前のことだった。
いつ頃に着く船なら会えるか?というから、
いつでも、いい、と応えた。
誰かが死ぬ前に会いにきたいというのに、都合が悪い日がある人は、この世界にはいないだろう。

クルマ椅子の人が出てくるのを期待していたら、本人は、杖をついて、歩いて船から出て来た。
考えたよりも歩きかたもしっかりしていて、早足で、まるで若者のようです。

やあ、という。
やあ、と述べて、ふと観ると、口の端に、このひとの、ぼくが子供のときからの直らない癖で、なんだか固まったような唾がたまっている。
唾がかたまってるよ、相変わらずだな、と述べてハンカチをさしだすと、苦笑いもしないで、口の端をぬぐっています。
そういう無頓着なところが、20年経っても少しも変わらない。

道を渡って、ぼくが、この頃よく立ち寄るカフェに行った。
ものすごくよく気が付く、中国系のウエイトレスがいて、ほんとは心のなかを読み取っているんじゃないの?と言いたくなるように、なにもかも、いたれりつくせりで、いちばん「安全」であるような気がしたからだった。

オークランドは、ずいぶん変わったなあ、と友達は空をみあげるように、背の高いビルを見上げて、足を止めている。
前には、いつ来たの?とぼく。
さあ、10年前か、20年前か、と桁外れにテキトーな応えの友達。

ブリトマートという、へんてこな名前がついてしまったCBDのターミナル駅の前を通って、バスターミナルを歩いて、カフェに行く。

例の中国系の、表情からして機敏なウエイトレスの人が、こっちを観て、明然と、友達を見て、おおきな声で、ああ、こちらです、という。
木陰のテーブルに案内してくれる。
でも、ほんとうは、このカフェには「予約する」というシステムがないんだよ。

あの人は、やはり弱っていることが隠せない友達の様子を見てとって、長いテーブル待ちの行列につらなるのは無理だと判断して、何回か来た事がある人にとっては明白な嘘を述べて、友達とぼくを、ひとつだけ空いた、テーブルに案内してくれたのに違いない。
マネージャーも、見ていて、知らん顔をしている。
これだから、この店が好きなのさ、と考える、ぼく。

席について、友達はオムレツを頼んで、ぼくはサラダに埋もれたようなチキンカツレツを頼む。
それから、ワインをください。
ワイヒキ島の、うんといいSyrahがいいな。
メニューにないのは知ってるけど、オリブもください。
ほら、いつかシェフの人がつくってくれた、あたたかい、ニンニクと炒めたオリブ。

それから、友達とぼくは、世間話を始めたんだ。
まるで、もういちど会えるひとたちのように。

いや、ぼくは物理じゃなくて、化学だよ。
同じレーザーで、きみの大叔父が物理だから、きみは混同しているんだ。

きみが、ほら、バララットに金を掘りに行くのだと行って、十歳のとき、突然メルボルンのぼくの家に、メタルディテクターを持って現れたことがあったでしょう?
あの頃、ぼくはもう、大学人であるのはいいが、研究者としての自分には見限りをつけていた。

いや、その「2050」という本は読んでいないな。
エコノミストが、そんな本を出しているのかい?
ぼくは聞いたことがない。

人類にブレークスルーがうまく作れるかどうか、おれには判らない。
きみが言う通り、人類はここまで、おもいもかけずうまくやってきたが、これからもやっていけるのか、どうか、おれにはほんとうに、もう判らないんだよ。
第一、 きみには、人類に生きていく資格があると思うかい?

2本目のワインが空になる頃には、ふたりとも、だいぶん酔っ払っていて、ぼくと友達は、神の実在や、悪魔の実在、あるいは死後の世界について、スウェーデンボルグが見た人型の宇宙や、時間の意味、意識の流れの不連続性、この世界の実在性の頼りなさについて、ふたりの飲んだくれそのまま、周囲の喧噪に対抗して、ばかみたいにデカい声で、夢中になって話し続けた。

件の中国系ウエイトレスのひとが、途中で、少しも嫌味でない調子で、おや、あなたがたは、もう5本もワインを空にしている、と述べたのを微かにおぼえている。

夜になって、ふらふらと立ち上がって、ぼくと友達は帰ることにした。
気が付いて、そう言えば娘さんと一緒に来たんじゃなかったんだっけ?と聞くと、友達は、ごく上機嫌の様子で、「うん、別行動なのさ」という。
怪訝そうな顔をしていたのでしょう、ぼくの顔を見ると、
「おれが悪いんだよ、ガメ」と述べる。

研究者の宿命で、あちこちを転転として、嫌われたのか、親子と言ったって他人なのだから、反りがあわないのか、おれには判らないし、もう、そんなこともどうでもいい。
…いや、こんなことだから、ダメな父親なのかも知れないんだけどね。

(雨が降ってきた)
(雨が降って、友達の眼鏡を濡らし始めている)

ワーフまで来ないで、ここで別れよう、と友達がいう。
きみとぼくは半世紀も年齢が違うが、会えてよかった、と言う。
今日のことですか?とマヌケな質問をすると、笑って、
違うさ、むかし、きみが子供のとき、初めて家にやってきて、いきなり古典物理について質問をしたときのことを話しているんだよ。
ぼくは、あのとき、ぼくがいつかどうしても会いたかった友達に会えたんだ。

さよなら、友達。
きみと会えて、よかったよ。
いつか、この時間と宇宙のどこかで会おう。

Good luck!

不思議な挨拶を述べて、ぼくの友達は、少し足をひきずりながら、でも颯爽とゲートの奥に消えていったのでした。

Posted in Uncategorized

日本語twitterで学んだこと

IMG_5797_107989

英語人が仮に日本語という壁を透視できる視力を持っていたとすると、そこに見えてくる日本人の姿は「すごくヘンなことを集団で信じているひとびと」だろうと思う。

日本語の習得に有害に思えたのでブログもツイッタも英語をいっさい使わないようにしていたが、ツイッタでは英語を「解禁」にしたのは、もう日本語は大丈夫なのではないか、といううぬぼれと、ツイッタの英語アカウントはずっと前にやめていたので、いまの日本語専用アカウントを使って少しづつ日本語と英語を近づけていけば、インターネットを通して知り合った日本語人の友達たちにも良いことがあるか、と考えたからでした。
長い文章は、二度ほど書いて「日本人が書きやすい英語のお手本」を示そうと思ったが、「教えよう」という態度が災いしたのか、いつものおっさんトロルが大量に発生して「日本人の英語」「下手で見た途端に母語でないとわかる」が始まったので、うんざりしたのと、もともと英語世界でも「文章はオカネくんないと書かない」方針でやってきて無料で書くと、損をしたような、吝嗇な気持が湧いてくるので、この先は判らないが、いまのところ「大庭亀夫名義の英語の文章」は、お目にかからないのではないかと思う。
余計なことを書くと、トロルおっさんたちのなかには、マジメな口調で「英語で長い文章を書かないから判定できないが」と滑稽なことを述べている人がいたが、
どんな言語にも共通な原理を知らない無知をさらけだしているだけのことで、
短い文ほど、(へんな言い方をすると)書く人の「実力」があらわれる。
たとえば外国語ならば、長い文章のほうがぜんぜん楽で、他人の表現を丹念にコピーして書いていくのならともかく、特に日常の話題になると、外国語では、うまくいっても「性格が異常な人」にみえてしまう。
大庭亀夫という人のツイッタなどは、その良い例であると思います。

多分、「大学受験」というもののせいで、どうにも歪んだ性格の、陰険な人が多い日本の社会だが、清明な性格のひともたくさんいて、観察していると、他の社会とおなじで、どこかのんびりしたところがある人が、もともとの日本語社会の根底にある「マジメさ」とのバランスがとれて、よい人格を醸し出すもののようで、この夏の晴れた空のような人格のほうの日本のひとびとは、一般的に述べて、英語人よりも内省と明るい外向性の釣り合いがよくて、このうえのない魅力をもたらしている。
そういう日本語人友達と付き合いをやめる理由はないので、案外ずるずると付き合って、一緒にお互いの一生に起きる変化を共に生きることになるのではなかろうか。

この5年ほどはオークランドの家でのたのたしていることが多かったのは、つまりは産休と育児休暇で、小さい人たちが、これからの気が遠くなるほど長い人生を生きていくためには、財産よりなにより、毎日ぎゅっと抱きしめてもらったり、無条件に、四六時じゅうチヤホヤされる、圧倒的な愛情の記憶が、なによりのセキュリティだったからで、そのあいだは机に向かって正面のディスプレーでベンキョーしながら、右側にあるディスプレーで日本語と、ここにあまり書きたくないもうひとつ自分にとっては外国語の言語で、遊んでいた。

英語と日本語とX語のみっつがみっつのディスプレーにそれぞれ出ているわけで、言語間で思考そのものに癖が出来ていることは一目瞭然で、それが面白かった。

年齢から言って「日本のおっさん」というくくりかたが、いちばんいいと思うが、このグループには特徴があって、
「冗談は、まったく通じない」
「からかわれる、ということに弱い」
「他の人間をのべつまくなしにウソツキ呼ばわりする、とんでもない失礼が習慣になっている」
「性差別は無意識化して、差別していることすら気が付いていない」
「英語能力を人間の能力指標だと思っている」
で、並べてみると、なんのことはない、英語人が日本人に持っている先入観そのもので、いまの英語人たちがもっている「日本人像」は、この年代のおっちゃんたちが築き上げたものだということが判る。
これに「自分の生活がない」という項目を付け加えてもいいが、これは案外インターネットだけのことで、仕事に熱中していなければならないことがモラルの根源らしい日本社会のなかで、現実社会で失敗して、現実の生活で失われた自己評価をインターネットの世界で獲得して、代償的に自分の誇りを保つ、ということなのかも知れません。

年中ウソツキ呼ばわりされて、愉快なわけはないので、日本語でものを考えているときには、不愉快で、瘴気祓いで、スカイプやなにかで居合わせた友達たちと話して日本人おやじトロルたちのバカっぷりを述べて、大笑いするということはある。
もっとも、始めたばかりの英語のツイートで、もう気が付いた人もいるとおもうが、英語人から見ると、まるで三流ハリウッド映画に戯画化されて描かれる「日本人の頭の悪さ」を誇張して演じているようなひとびとなので、深刻に嫌悪されているわけではなくて、オートツイートで(自分では自分が何をやっているか判らないらしいが)トロル行為にひたりこんでいる人などは、いっそスラップスティックな豪快なバカッぷりと受け取られて、ひたすら大庭亀夫の英語をくさしている人のほうも、大庭亀夫のtweetを、わざわざ図解までして自分の英語が受験英語でしかないことを示すに及んで、到頭、「日本の人の不思議な頭の構造の見本」としてフォーラムに本人の背景や履歴とともに永久保存されるに至った。

英語人の根源的なひとの悪さをしらないので、見えない所でなにが起こっているか、起きうるかということへの想像力が働かないのでしょう。

もっとも日本に興味がある英語人たちにとっては、この「おやじトロル」たちは、なぜ日本の社会がここまで落ちぶれたか、なにが原因だったのか、を考えるうえでの良い教材で、日本の人たちにとっても、若い世代にとって、極めてわかりやすい形で、年長世代の世代的な頭の悪さが可視的に理解されて、よかったと思われる。

日本は途方もなく軍隊に似た社会で、その社会の構造が21世紀的な変化についていけなくなったことに日本の衰退の原因はある。
軍隊なみに将校と兵卒に社会が二分されていて、東京大学、京都大学、一橋大学…と続くいくつかの大学出身者が将校の役割をはたして、いくつかの有名私大卒業生が下士官、その他は苛酷な労働に耐えて過労死にまで追いやられる兵卒と明瞭に社会が分かれている。
1945年になっても、まだ日本の海軍将校は香水をつけて、気取りまくった調子でしゃべっていた、とアメリカ兵が呆れた調子で述べているが、いまでも日本社会の、ある種類の将校たちの途方もない傲慢と無責任と頭の悪さはおなじで、なんのことはない、同じ失敗を繰り返しているだけです。

希望はある。
例えばおっさんトロルひとつとっても、それまでは「見たくない」という気持が先に立って目を背けていたひとたちが次次に立ち上がって、「自由でいたい自分達にとって、おまえたちは邪魔だ」と言い始めている。
日本には絶えて見られなかった「社会の自浄作用」が起こり始めていて、天然全体主義が蔓延したままここに至った社会に自由主義が生まれつつある。

あるいは、日本のもうひとつの深刻な問題である性差別にしても、どうやって身につけたのか、「普通の感覚」を保っている人がポツポツと現れはじめて、実際に見て見たければ 「f」というひとの「@francesco3」というアカウントを見に行けばよい。
まるで普通のこと、「わたしを侮辱するな」「わたしは自分のやりたいことをやる」と述べているだけなのに、おやじトロルが群がって「攻撃的な女だ」「普通の女からも嫌われているとおもうよ」と、例の、日本人おっさんにおきまりの、事実を歪曲した、しつこくてねちねちした罵声を浴びまくっているが、なにか気持の切り替えがうまいかなにかで、fという人のほうは、普通にしていられて、こっちもこういう人が現れはじめれば、1911年頃のイギリスやニュージーランドと同じ状況で、「ではわたしも」と考える人が次々と出てくるのだと思う。

ツイッタを通して、日本の徹底的にダメなところや、文化に根ざした、目を瞠るようなよいところを眺めながら、さて、自分が日本語人で、20歳くらいの人間だったらどうするだろうか、とよく考える。

いろいろな雑誌や本に日本について言及されたものを読んだ人も多いだろうが、意見は一致していて「いまの無能な将校たちが去るまで日本の低落は続く」という。
そうすると無能な将校たちが、どのくらい先の将来まで威張っていられるか、という見積もりにもよるが、だいたい日本が立ち直りだすのは、途中でスカッと破滅できれば別だが、そうでなければ、どん底が2025年あたりだとして、早ければ2040年くらい、遅くて2050年くらいになるだろう。
以前には2025年くらいから立ち直り出すチャンスがあった。
やはり、おっさん世代が熱狂的に支持したアベノミクスで経済体力を使い果たした日本は、いまや寝たきり老人じみて、物質面の回復力が底をついてしまっている。
一からやり直しどころか、いまワガママを極めている、おっさんたちが垂れ流す経済上の「下のもの」を拭いながら、背負って、しかも大借金を返していかなければならないという難行で、そんなことがやれるかどうか覚束ないが、やれるとして、いまの頭のわるいおっさんたちが完全に立ち去らなければ日本は社会として再生するきっかけがつかめない、という英語世界の常識に、賛同する。

いま20歳の人たちは、日本が希望を持ち出す頃には、50代になっているわけで、「人身御供世代」というか、「神風特攻隊世代」というか、あとあと「あの世代がいちばん大変だったね」と同情される世代なわけで、どこの社会でもよくあることだとも言えるが、個人の立場からすると、一回しかない一生を、おっさん将校たちのせいで台無しにされて、「おれら、もう作戦の知恵がないから、おまえ、若いもんの純粋さを発揮して、アメちゃんの空母に突っ込んでこいや」と言われているわけで、やりきれないというか、やってられない。

では、どうするか、といえば、もうここまでくれば、いつか書いた
「ラナウェイズ」
ラナウェイズ
になるしかなくて、
「個人のための後退戦マニュアル」
個人のための後退戦マニュアル・その1
で書いたような、このまま日本に残る、という選択肢は、特にビンボで社会的なアドバンテージがない人間にとっては、自分に貧困を押しつけることで、人間の一生の、最大でゆいいつの目的である「自分を幸福にすること」というゴールの達成を難しくする。

日本が大好きでも、いったん外に出て、健全な社会の土壌で自分を成長させて、他国でつくりあげた人間性や技能、あるいは資産でもよいが、を持ち帰って、やりたければ、日本の再生に協力するのが自分にとっても、日本という共同体にとっても最もよいと思う。

初期育児と産休が終わって、モニとふたりで、あれもやろう、これはどうだろう、と今年の後半から再開する予定の冒険生活の話をする。
ふたりで、出会ったばかりの頃、散々旅行をしたので、今度は案外英語社会のどこかに居座ったまま「冒険」をするのではないか、という気がする。
外は経済的な嵐が吹き始めていて、陽が陰っているが、モニもおなじことで、
ふたりとも、穏やかな晴れた日も好きだが、嵐も大好きで、また楽しいことがいろいろありそうです。

ぼくは、josicoはんやオダキン、ミナのような特定の親しい友人を念頭に置くとき以外は、主に日本の若い人や女の人に話しかけるつもりで、このブログを書いてきた。

だんだん机の前に座っている時間が少なくなるので、ブログやツイッタにも影響があるだろうけど、いなくなりはしないから、一緒に、話ながら歩いて行こう。

きみとぼくのふたりだが、数えてみると3人いる。
あの先のほうを歩いている茶色のフードをかぶったひとは、いったい誰か

きみは、あのひとの名を、まだ忘れないでいましたか?

では

Posted in Uncategorized

十一階で

IMG_5966

わたしは、あの人のそばにいるのが好きだった。
なぜだかは誰にもわからなくても、あの人のいる部屋にいるだけで、なんだか明るい気持になるのです。
みなが、用事をつくっては、あのひとに会いたがった。
ところが、あの人は、誰にも会いたがらないのです。
どこまでも風変わりな、奇妙な人でした。

空虚の都市。
ロンドンもニューヨークも、店の持ち主が丹精を込めて磨き込んだような店は消えて、定規で描いた線描画のような、大味の、MSGが大量にはいった料理とでもいうような、どこにあっても変わり映えがしない店がならびはじめて、わたしは街をでてゆくことにした。

初めはサンフランシスコに行こうとおもっていたが、あそこも同じかもと思い直して、どうせ馴染みのない、遠くの街に行くのなら、誰も思いつかないような、とんでもない遠くの、かけ離れた文明に行ってもいいとおもった。

ええ、だから東京に行ったんです。
仕事をやめようと決めて、あの人の部屋のドアをノックすると、あの人は相変わらず黒猫を膝に抱えて、のんびりひなたぼっこをするようなかっこうでコンピュータのスクリーンを観ている。

そこに映っているのはボンドと株価のクオートとチャートなんですけどね。
トレーダーたちが食い入るようにf言葉を連発しながら観ているのとは異なって、
あの人は、ずいぶんのんびりと、まるで薔薇の花が目の前で咲く瞬間を待っているひとのように、ぼんやりスクリーンを眺めているだけなんです。

ひとことくらい質問をしてくれるといいのに、これもいつものことで、
ああ、と言ったきり、しばらく無言で考えていて、「ビザは?」という。
これからあてをつくるんです、と言うと、
それは、ぼくがなんとかしよう、とこともなげに言ってのける。

あの人と暫くでも付き合って、そういうときに、安請け合いを述べているのだ思う人はいません。
いままで一緒に仕事をしてくれたお礼に、ファーストクラスのチケットと、ビザと、…と言ってから、びっくりするような金額を口にするので、わたしは目を瞠って、もしかすると口も半分くらい開いていたかもしれません。

面白そうな顔で、わたしを眺めると、
「東京は、楽しい町だから、きっと好きになるよ」と言うのです。

わたしは、初めの頃、あの人のことがまるで理解できなかった。
それどころか、なんどやめようとおもったか。

あの人はひとをからかうんです。
それも、ひどいやりかたでからかう。
相手の限界を見極めて、恥ずかしさで死にたくなる限度に近いようなからかいかたをすることもある。

初めは意味がなく見えたり、ただの対人作法上の失策に見えたことが、あとでふり返ると、周到な罠になっていて、では罠で相手を陥れようとしているのかというと、ただの、ちょっとした悪戯..少なくとも、あの人自身にとっては…
人間という種自体の知能テストをしているような、ひとのわるい、それでいて、どこかに暖かいところがある、あの人特有の悪戯にしか過ぎない。

観ていてわかるのは、特に、人格が低劣な人間が嫌いで、そういう人が、あの人に目をつけられてしまうと…「目を付ける」というような言い方を、あの人は嫌うでしょうけど、わたしには、そんなふうにしか見えなかった…目をつけられてしまうと、相手は、もがけばもがくほど、自分の愚かさ、魂の卑しさが露呈されてしまう。

しかも、相手はいちどだって、それに気が付かないのですよ!
あの人の意地悪は、そのくらい巧妙なんです。
まるで、生きたネズミを手に入れて、午後いっぱい、それで遊ぼうと決めた猫のように、ごく無邪気に、目をつぶし、爪を食い込ませて、だんだん弱っていくのを楽しむ人のようでした。
相手が邪な人間だと決めたときの、あの人は、それは、到底観ていられないくらい残酷な人でした。

東京は、素晴らしいところだった!
初めのうちは、なにもわからないので、ELのような雑誌を見て、青山や神楽町の、おもしろそうな、「ガイジン」が集まるところへは、どこへでも出かけた。
初めの半年は、頭が喧噪そのもののように浮揚してしまって、ものがちゃんと見えていなくて、溺れそうだった。

でも落ち着いてくると、東京は、とてもいい町なんです。
銀座というおおきな繁華街の、狭い通りの筋のほうに入って、ふと路地をみると、小さな店の、小さな看板が出ていて、これはいったいなんだろう、と考えてはいってみると、「鉛筆の店」だった。

鉛筆の店!
世界じゅうの鉛筆という鉛筆が、小さな小さな店のなかに並んでいて、わたしは鉛筆というものを使う習慣がないので買わなかったけれど、銀座っていい町なんだな、と考えて、すっかり嬉しくなってしまった。

そのまま2年いました。
ボーイフレンドもいた。
気がやさしいイタリア人でした。
ええ、そう、わたしのイタリア語はボーイフレンド語なんです。
日本を発つときにお別れになってしまいましたが、でも、そんなものですよ、
あの町では、外国人同士が知り合って、一緒に住んでも、
いつか日本を去るときにはお別れになる、という暗黙の了解みたいなのがあるんです。

とても寂しかったけど、寂しいのは、2年間の楽しい思い出の代価なのだから、仕方がない。
わたしは東京での2年間で、とてもとても元気になった。
エネルギーが甦ってきて、自分の一生の未来へエネルギーが広がってゆくような、素晴らしい気持を持てるようになった。

あなたは、
訛りをすっかり消して話をするということが出来るのね。

「ガイジン」は、この国では、お互いに交叉することのない、ふたつのパラレルワールドが、おなじ空間にあるようなもので、なんだか不思議だった。

今回、また来てみて、日本をとても懐かしいとおもいました。
懐かしいとおもう、ということは、過去のことになった、ということよね。

日本人から見た世界が、日本語の、雲にまで届いているような高い壁の向こうにある別世界なだけではなくて、英語世界から見ても、この国は、環状の高い壁の向こうにある「別の世界」なのだとおもう。
その環の中にはいっていくのは、そんなに難しくはなくて、ただ物理的に入っていけばよいが、ところが毎日そこで暮らしていても、まわりの日本や日本人は影絵のようで、あるいは、要領をえないロボットレセプショニストのようで、心がうまくつながっていかない。

だから、あるひとびとは日本人は閉鎖的だと怒り、ガイジンという言葉を見てみろ、そもそも自分達の仲間に加えるつもりがないのさ、と吐き捨てる。

でも、ほんとうは、われわれは、まるで異なる世界の住民で、ドナルド・キーン先生は、それこそが日本文化理解を阻むタブーだというが、しばらく住めば、誰でも本音は、「どうしてこれほど異なる世界が同じ地球に存在するのだろう」だと思う。
どの人も、びっくりするような、途方もないことを信じこんでいて、自分達が世界にどう見られている、という激しい思い込みもそうだが、たとえば歴史認識の問題ひとつとっても、南京虐殺がなかったと無理な主張をするほうも、あったに決まっていると意気揚々とたたみかけるほうも、よく読むと、両方とも、とんでもない「論理」に拠っている。
そこには秘密があって、日本語世界には、決定的に情報量が欠けているうえに、その「情報」が翻訳という名前の翻訳者という編集機能をもった頭脳に一語一語、刻々編集されて、もとの英語には存在しない情緒の陰翳がつき、ひどい場合には誤訳されていることさえある。

ヘンな例をもちだせば、パスタがスパゲッティにしぼられて、ナポリタンスパゲッティが生まれてしまうように、日本の人が観ている、例えばアメリカ合衆国は、日本という国特有の貪欲な「翻訳欲」のせいで、ありのままに受け取られることはなくて、ひどく日本的なアメリカ合衆国として日本人たちの頭のなかにある。

もう行かなければ、と立ち上がって、クラブのテーブルから立ち上がった、その人は、急に立ち止まって、
わたしは、立ち入りすぎた話をしてしまっただろうか?と聞く。
クビをふると、少し安心した様子で、葉書大の顔写真が並ぶクラブの玄関から出ていった。

さっきまで人が座っていた椅子は、どんなときでも寂しそうに見えます。
町も、ひとも、あるいは「時」でさえも、
そこにずっとあって、活き活きと動いていたものが、去ってしまうからなのはわかっていても、やはり寂しい感じがする。

なにが失われたのか、永遠にわからないからなのかもしれません。

Posted in Uncategorized

夏の午後

IMG_5771

チャンスなのである。

なにが「チャンス」かというと、盛夏には、芝生のあいだからにょきにょきとイタリア料理のニョッキのように立ち現れる雑草が伸びる速度が増大するので、ふだんは「ガメさんがやると虎刈りになるからダメです」
「このあいだなんか、酔っ払って芝刈りするから、蛇行した虎刈りになって、あとでたいへんだったじゃないですか」
などと屁理屈を述べてやらせてもらえない、大好きな「芝刈り」を、家人どもの目を盗んでやってしまえる。

あの刈った芝の匂い、太陽の光が降り注ぐなかでかく汗…わしにとっては芝生を刈る午後は陶酔の時間であって、最も似ているものを探すと、______
とでもいうべきで、とても、18歳未満の人も読んでいる、このブログには書けない激しい悦楽であるとおもわれる。

裏庭の表のほう、では表現がヘンだが、庭のいちばんでっかい部分は、イギリスの古式にならって、通りからは、まるで見えひんところにある、わし家では、庭の主要な部分は裏にあるので裏が表です。
ややこしいから、もう説明をやめるが、イギリスの古式、で思い出したので余計なことを書くと、この辺りは昔からイギリス移民が住みつくところだったので、1910年代や20年代に建った家がいくらもあります。

ところが、むかしやってきたオカネモチUK人が建てた、イギリス人らしくまとまりのないデザインの巨大な家のなかには、南面して建っているものがいくつもある。
外の通りからは想像もつかない瀟洒なサンルームが建物の南側にある。

ニュージーランドは南半球にあるので、「サニサイド」は北側であって、南側は北半球で言えば北側になる。

統一感のない家のデザインや増築ばかりしていて、なんだか訳がわからなくなった建物の外観と並んで、イギリス人は2万キロ離れてもイギリス人で、その融通が利かないこと、まことにイギリス人のごとし。

閑話復題。

Ride-on mower という。裏庭の最もおおきな部分は、ぎゅわああああーんと唸る芝刈り機を手で押していると、やってられないので、座席がついたチビトラクタみたいなかっこうの乗り物に乗って、窓から顔を覗かせているモニや小さい人達に手を振りながら、芝生を往復する。
すると、いかなる魔術にやありけん、芝がみるみるうちに平滑されて、雑草はどんどん薙ぎ倒されてなくなってゆく。

いったんブーゲンビリヤの花棚の下か、ガゼボでサングリアを飲んでから、やおら立ち上がって、今度は手押し芝刈り機で散在するちっこい芝地を訪問する。

夏は、芝を刈っても三日もすると、芝生一面にバタカップ(buttercup)

https://simple.wikipedia.org/wiki/Buttercup

の黄色い花の海が出来てしまうので、可憐な花を容赦なく、血も涙もなく薙ぎ倒して蹂躙する悦びは、刈られた芝の、この世のものともおもえない良い匂いと並んで、夏の午後の、神経がひくひくする悦楽なのです。

ベジガーデンが眺められるところに置いてある小さなテラスの、小さなテーブルの脇の、チークの椅子に腰掛けていると、モニさんが、トレイに載せて冷たい紅茶をもってきてくれる。

コリアンダー、花が咲いちゃったね、
ときどき剪定してたのに。

いつかヨーロッパから帰ってきたらミントとイタリアンパセリがジャングルになっていて、人間の背丈ほどになったパセリをかきわけて現れた近所の猫がライオンのようだった。

あそこにある洗濯干しは、もう使わないが、キングフィッシャー
https://en.wikipedia.org/wiki/Kingfisher
が辺りを睥睨するに使うので、まだ壊せない。

そういえば、この頃は、ファンテイル
https://en.wikipedia.org/wiki/Fantail
をみかけない。
まさか猫さんに襲われたのでは。

庭を眺めながらの話は、話しつきるということがなくて、話しているうちに太陽の光が夕暮れのオレンジ色に染まる。

人間はやるせないくらい愚かで滑稽で、単純至極でもあって、今朝はニューヨークの友達から、「株価があがってよかった。死ぬかとおもった」
「これで楽しい週末が過ごせるぜ、いえーい」と書いたemailが到着していて、
ははは、いい年こいて単純なやつ、とおもいながらemailを開いていくと、ロンドンでも、パリでも、シドニーでも、「いえーい!」をしている。

バブルがいつまでも続くわけはない。
これが最後の「いえーい!」な週末なのではないか。
でも、ひとがうまくいって喜んでいるのを見ているのが好きなので、世界じゅうから聞こえる「もうかっちゃったあー、きゃっきゃっ」なひとびとの声を聞いているのは嫌な気がすることではありません。

どのひとにとっても、今日いちにちでも、いいのだとおもう。
今日の、この午後だけでもいいのかもしれない。
ほんとうは、須臾の「一瞬」ですら十分なのかも。
ただ幸福でいたいだけのひとりひとりの人間たち、幸福な瞬間があって、健康で、友達との仲違いもなくて、お財布も充足して、子供たちが駆け回る声を聞きながら、メールボクスを開いて年甲斐なく「いえーい」とタイプする友人たちの顔を思い浮かべて、なんだか、ニコニコしてしまう。

モニさんが、飲み終わった紅茶を片付けたトレイを、家の人に渡して、かわりにシャブリの水滴に覆われたグラスを受け取っている。

芝生を刈ったあとの、もうひとつの「良いこと」は、刈り揃えられた芝の上で燦めく太陽の光であるとおもう。
乱反射する緑色の光の海。
まるで神様が発明したクロロフィル銀紙のようです。

「Touch wood!」
どうも他人の心のなかの声が聞こえるらしい、モニさんが言う。
わしも、冗談めかさず、厳粛に、椅子の肘にさわる。

この世界の平和と繁栄が続きますように。

乾杯!

Posted in Uncategorized