李世ドル九段とアルファ碁の対決では、私たちが認識できていない「非対称(不公平)」があったのではないかという疑問が残る。人間同士の囲碁対決では、これから打つ手を事前に打ってみながら対局することがある。それは反則だ。李世ドル九段も頭の中に石の位置を「描きながら」打つ。だが、コンピューターもそうなのだろうか。コンピューターは回路の中で石を事前に打ちながら碁をやっているのではないだろうか。ただし、この姿が人々が見る画面には映らないだけだ。李世ドル九段はこうした悪条件の中で奮闘していた。
対局を中継をしていたTV朝鮮の画面に「囲碁の神々が繰り広げる最後の闘い…戦場は天元」というテロップが出た。その上、解説の金栄三(キム・ヨンサム)九段や司会進行のチョン・ダウォン・アマチュア六段の声が一段と高くなった。解説の白洪淅(ベク・ホンソク)九段が「ひょっとすると今回のシリーズで初めての地計算が出るかもしれない」と言った。これは、李世ドル九段が地獄に向かっているという意味だ。
囲碁はいつの間にか終盤の闘いに差し掛かっていた。李世ドル九段から両手をクロスさせて頭に当てる独特の動きが出始めた。深刻な状況の時に出る動きだ。現場のプロ棋士たちは「細かいが、コミが負担になっている形勢だ」と言い出した。なぜあれほど危険だと言っていた道に進んでしまったのか。その道を選ばざるを得ないようにしたのは、まさにアルファ碁だった。だからこそアルファ碁の力をいっそう恐ろしく感じた。
とうとうアルファ碁も201手で秒読みに入った。しかし、双方の差は縮まらなかった。李世ドル九段は目を見開いて逆転の糸口を見いだそうとしたが、アルファ碁の計算は鉄壁だった。
見方を変えると、李世ドル九段がアルファ碁を試験台に立たせた対局だとも言えるだろう。李世ドル九段はアルファ碁を限界まで追い込んだが、それでもアルファ碁を倒せなかった。鉄の塊のコンピューターは無表情に、徹底した計算能力で人間代表による試験に臨んだ。李世ドル九段はあれほどまでに踏みとどまろうと頑張っていたが、地獄の底にむなしく引き込まれていってしまったのだ。
280手で白い石を1つ盤上に置き、投了した李世ドル九段の目には、後悔と自責の念、悔しさが入り混じっていた。玉砕する機会もつかめず、最後の対局でも負けた「人間代表」はため息をついて席を立った。