イケハヤさんの記事を読んで思ったことを少々。
個性はにじみ出るものである以上、変化しまくっても本質的な部分は変わらないのではないかと。
いくら書くことが変わったからといって、性格までもが変化するわけではなく。
芯となる部分については変わらないのではないかというのがわたしの意見です。
多方面に手を出せばそれだけいろんな姿が現れるわけですが、文章の切れ味や目の付け所はだいたい同じになるでしょう。
文章を書くのが人間である以上、そこには書き手の思考が現れます。
分散型メディアをやっても根本は同じ
分散型メディアをやるというのは一見して別の顔が見えるかのように思えますが、変わらない部分も出てくるでしょう。
論理構造などで共通点が出てくるので、扱うモノが変わっただけになるはずです。
エンタメをやる一方で、他のところでは文学をやる。
たとえこんな感じであっても、収束するものには共通点が出てくるのです。
イケハヤさんの例でいえば、ブログではブログ、noteではnoteなりのルールがあって、それに沿って動いているという印象。
メディアごとにルールは存在しますが、根っこの部分は変えられないわけで。
書き手の性格があらわれています。
当然のことながら、各メディアにはそれぞれ異なるルールがあります。
それゆえ書き手にとって得意不得意があります。それでも常に一定以上の結果を出せるというのが本物です。
本質は変えられない
一事が万事、どこでどんなことをしようとも個性は出てきます。
これはわたしたちが生き物である以上変えようがないこと。
主導権が絡むものほど性格がまま出ます。
無為自然という言葉がありますが、これは人間のあるべき姿勢を言い表しています。
本質というルールに沿って変化していく。これこそが生きていくうえでは重要でしょう。
無為自然とは現状維持だとかひとつのものにこだわることを言ってはいません。
沈みゆく船からはとっとと逃げてしまい、新しい場所で自分らしくやっていくことこそ大事なのです。