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2009年5月25日に放送された「小島慶子 キラキラ」で、小島さんが一年前に亡くなった後輩アナウンサーの川田亜子さんについて涙ながらに語っていました。最高の弔辞だと思います。 余談ですが、この日が切っ掛けで小島さんのフリートークのコーナーが誕生したそうです。詳細はこちらの記事で。 |
■会話をしている人
小島慶子(TBSアナウンサー)
ビビる大木(お笑い芸人)
大木 あぁもう一年ですか。
小島 そうなんですよ。もう一年で、日曜日の夜に彼女はね自殺をしてしまって、で、月曜日の朝、まぁアナウンス部の連絡網でそれを知って・・。あの、すごく天気のいい日だったんですね(涙声)
大木 うーん
小島 彼女はその一年ちょっと前、前の年の3月に会社を辞めていて、えー辞めてからも全然交流がなくてね。ただ元気な姿はメディアで見ていたので・・・あの凄くショックでしたね。
大木 うん
小島 で結局私たちは、私たちアナウンス部の人間は、例えばお別れ会とかそういう形で誰もちゃんと彼女にお別れが言えなかったんです。
大木 あぁそうなんですか
小島 もう会社の人じゃなかったしね。
大木 うん
小島 もうだから最後に記憶にあるのは、ホントに幸せいっぱいで、もう輝くように美しい川田さんが、全員にイニシャルの入ったハンカチを、それぞれの先輩をイメージしてね、まぁ後輩も、配ってくれて。
大木 ええ
小島 私にも、私が今でもよく行く六本木のハンカチ屋さんなんですけど、そこで私のKってイニシャルを入れてくれて、『小島さんをイメージしました!』ってハンカチをくれて、全員に手書きのメッセージをくれて『本当に感謝でいっぱいです!』って言って、幸せいっぱいで会社を辞めていった姿が最後の記憶なんです。
大木 うーん
小島 ねぇ。そうやって、一年前に、ほぼ一年前にね、あの、期待に胸を膨らませて幸せ一杯で辞めていった川田が・・・なんで死んじゃったのかなって(涙声)。
大木 うん
小島 今もね、たぶんTBSのアナウンス部の人間はね、整理がついていないと思うんです。皆それぞれにね、皆それぞれに川田の思い出があって。まぁちょっと皆で話し合ったこともね、あのー、後輩とね。あのー、なんかの時にちょっと話したこともありますけどね。・・・まぁ、あの亡くなってしまった人の気持ちは分からない。
大木 うん
小島 本当の理由なんて、後から考えても分からない。だけど彼女が苦しんでいた、いくつかの苦しみの中の、うーん、いくつかは、やっぱり同じ職業をしていたり、同じような立場に置かれることもある私たちにとっては分からないわけではない。あの、そういう暗い暗い淵の中を覗き込まざる負えない気持ちになることも・・あるよねって。
大木 うん
小島 だけど、私たちにもっとしてあげられることは、なかったかなって。あの時、あんな風に冗談みたいに交わした言葉の中に、もっとしてあげられる事があったんじゃないかっていう気持ちはね、彼女のことを知っている人は今も心の中にあるんじゃないかって思います。
大木 うん
小島 本当にチャーミングな人でした。あのクソ真面目でね、クソ真面目過ぎてちょっとトンチンカンなの。そこが可愛くってね(涙声)、まったくね、邪気のない人でした。
大木 うん
小島 彼女がもっと計算高くって、もっと腹黒いところがあったら、あんなに傷つかなくてもよかったんじゃないかなぁって思うこともありますけど。あの・・ちょうど亡くなって一年経って(涙声)
大木 うん
小島 私もね、他にお別れを言う方法が無いんだけど。ラジオって、不思議なもので電波でしょ?
大木 うん
小島 電波ってどこまでも飛んでいくじゃない。宇宙の一番遠いとことまできっと飛んで行くんじゃないかと思うと、亡くなった人は居なくなっちゃったわけだけど、でもなんかね、ラジオで言うと、ちょっとお別れができるのかなっていう気にもなったりしてね。皆さんにも川田さんっていう素敵な女性が・・彼女なりに一生懸命真面目に夢を見て、彼女なりに一生懸命幸せになろうとして、えぇ…それで29歳という若さで死を選んでしまったということを忘れないでほしいなって思います。本当に素敵な女性でした。
大木 ・・いいですか?小島さんみたいな良い先輩が居たってことを、今初めて知ったリスナーもいると思うので
小島 ああ!
大木 こういう話をしてくれるっていうのが嬉しいじゃないですか。
小島 ああもうね、川田にいつも冗談ばかり言っていたからもっと真面目に話して、なんかね、色んなことを言ってあげれればよかったなと、ね、後になって思ったりもするけど
大木 いや、小島さんが良い先輩ってこともよく分かりましたんで。素晴らしいと思います。
と話していた。
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コメント
アーメン | URL | -
川田亜子キャバ嬢バイトはガセ
今更川田さんの他殺云々を言うのもどうかと思いますが、時が経てば経つほど、事件当時の実証検分の甘さなど、素人目に見ても可笑しい状況と、その後の彼女の素行についての不実な情報に物申したいと思うようになりました。
他殺誰もが思う同じ理由①第一目撃者が失踪②車内の目張りが運転席のみ③鍵が外にあった④川田は普段運転しない⑤最近マットテーラーVS谷口裁判で、マットに谷口が千万支払いその約束の核解体現場に谷口を連れて行かず、返金の命令が出た。この時に、谷口はマットさんが連れて行かないことを詐欺と言い、脅迫し始めた。(テープあり)その後、死亡・・・
この裁判で、谷口は「川田さんは他にも金策し、悩んでいたのではないか・・」と言っているが、同じ問題で苦情は他から出ていない。
また、私は川田さんと大学が同窓で、彼女の「吉祥寺キャバ嬢疑惑はガセ」と思っている根拠を話します。
この大学は本当に風紀の乱れに鋭敏な少人数の女子大学で、素行に少しでも変異があると即退学・除籍でした。例えば、モデル等は完全禁止、キャバなどは当然禁止、風紀が乱れると言うことは、構内で喫煙とかではないです。学生をお送りくださったじ自動車の運転手の方が変だ、自動車が事故車のようだ、という水準です。(私は前日に校内に雰囲気の違う方がいらっしゃると思い、次の日にその方が廊下で「明日から来ないで下さい、除籍です。」と言われたのを拝見した事があります。)
また、川田さんは仏・英検2級保持で、マスコミ就職ですからトリプルスクール(仏検でアテネ・日仏/マスコミ・早稲田セミナー等)の方です、つまり新宿方面に出ていてこそ吉祥寺には行かないのです。なぜこの点を断言できるか、吉祥寺に行くにはまずバス定期で、電車で新宿行きを買う3倍です。
更に、この女子大の学生で家庭教師や塾講師で時給2000-2500円でしたので、キャバするより堅実で勉強になり、キャバの必要は無いです。
まして、川田さんきちんとし目的をおっしゃれば、お父様のご援助がふんだんにあった方です。本当にキャバ好きの加害者の嫌がらせだと思います。本当にTBSを辞めなければ、こんな惨事にはならなかったと確信します。疑うことを知らなかったS女子大OGの悲劇だと思っています。
加害者を許さないで下さい!!
( 23:02 )
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