先にお断り。
昨日、今日と書いた息子の受験の記事については削除しました。今は見ていないと思うけど、いつか僕のブログを長男がもし見た時にちょっと辛いだろうなと思ったので。記事を読んでいただいて★やブコメを頂いた方、ごめんなさい、そして本当に有難うございました。ああ僕も今年の運、全部使い果たしてしまった。
ところでこれ。記事に書いた人間万事塞翁が馬。
これ、「にんげん」じゃないからね。「じんかん」です。人の世とか世間といった意味。知らない人のために簡単に書くとこんな話。
- あるおじいさんの馬が走っていなくなっちゃった。
「あーあ、可哀想なおじいさん」とみんなが言う。
「いやいや、これがいい事に変わるかもしれないよ」とおじいさん。 - なんとおじいさんの馬が素晴らしい馬を仲間にして連れて戻ってきた。
「おじいさんラッキーやん!」とみんなが言う。
「いやいや、これが大変悪いことになるかもしれないよ」とおじいさん。 - なんとおじいさんの息子がその馬に乗ったら落馬して足を骨折しちゃった。
「ああ、かわいそうに」とみんなが言う。
「いやいや、これがいい事に変わるかもしれないよ」とおじいさん。 - その後その地域は戦争状態になり、沢山の若者が死んでいきました。
でもその息子は足を骨折して足を悪くしていたせいで戦争に行かず死なずに済みました。
やっぱりおじいさんの言ったとおりになったのでした。
この話から「人間万事塞翁が馬」っていうのは「起きたことだけでは吉兆は判断できない」「成功も失敗も予測できない」という意味の故事になったわけです。
今日はいろんな事を考えたんですが、僕も高校受験の時すべり止めで受けた学校を落ちたことがあったんですよ。まさかまさかのすべり止め不合格。その時は人生を失敗したかのような凹み方だった。友達に慰められたけどまったく耳に入らなかったし、でも落ち込んだ後に来たのが猛烈なもう後がない感。
まさに「危急存亡の秋」。あ、この「秋」はあきと読まず「とき」と読みます。
その後ほんま死ぬほど勉強したので結果的には第一志望の高校に受かって今の自分がいます。もしかするとあの失敗が成功をうんでくれたのかもしれない。失敗を失敗した、ああもうだめだ失敗だ失敗だと思っていたらそのまま落ちていったかもしれない。
今目の前には僕と逆に「第一志望だった学校に行けず、あまり行きたくなかった高校に進学せざるを得ない」感を出してる男が1人いるわけです。正直凹んでるみたいです。
でも、その学校の事をよくよく調べてみました。すべり止めという目ではなく、学校の成り立ちとか教育システムとか課外活動とか学校の行事とか「学校の魅力」を探す目で。
そこには公立高校では出来ないような設備の充実や先生の配置、進学へのサポートする体制やメンタル面のフォロー。僕がこっそり思っていた「彼に足りない精神的な部分」を補ってくれる仕組みがこの学校にはあるんじゃないかと思ったんです。
県外の私立だし、お金かかるし公立あかんかったから仕方なくその学校に、という「失敗」という目。そうではなく「そこに入ったからこそ得られるもの」を彼がきちんと受けとっていけるよう僕は見守ってやりたいと思います。
でもなー頑張って稼がなきゃな。やっぱり費用はたっけーよ。