この春、中学を卒業する君へ -- このエントリーを含むはてなブックマーク

卒業おめでとう。
義務教育を終えて君は自由になった。
義務教育なんて形式的なものだと君や多くの大人は思うかもしれないが、僕はそうは思わない。ごくごく標準的な日本の公立高校の入試問題を久々に見るとそのレベルの高さに驚く。

例えば、国語の読解の問題。あれだけ論理的な文章を読んで答えが導き出せるようになっていれば大人になって困ることはない。あとは色々な文章を読んで経験を積むだけだ。例えこれから海外から優秀な移民が入ってきても、果たしてそのうちの何人が君と同じレベルの日本語能力を身につけられるだろうか。日本が日本語圏である以上、君は気付かないうちに大きなアドバンテージを身につけた。

数学もそうだ。僕は米国の大学生に数学を教えている。数学は若い頃にやった方が良いなどとよく言われるが、結局はやる気次第だ。基礎さえできていれば、必要になったときにいつでも学べる。日本の中学までの数学がきちんとできていれば、後から幾らでも学び直せると断言できる。米国の大学で数学に苦労しているのは、中学までの数学がきちんとできていない子ばかりである。

英語もしかり。先日、米国に住む日本人同士で話していて「日本人はなかなか英語を話せるようにならない」という話になった。すると、日米両方で会社を経営されている人が「そもそも、英語なんて中学で習うことで十分なんですよ」と言った。中学までの英語がきちんとできていれば、あとは自習するなり場数を踏むなりすることで、いくらでも上達できる。

ほんの10年前、君は社会で必要なことをほとんど何もできなかったはずだ。一人で学校にも行けず、字も書けず、お金の計算もできなかった。自分で予定を考えることも、学校に持って行くものを揃えることもできなかった。だから、君は、両親や保護者、先生に何度も怒られながら育ってきた。

しかし中学を卒業するいま、君は生きるために必要なことはもう全て学んだ。もう両親や保護者、先生に反抗する必要すらない。自分の責任で好きなように生きれば良いのだから。

そんな中、中学を卒業して25年の僕から3つだけアドバイスがある。


1.自分の好きなことだけをやること

自分の好きなことだけをやって欲しい。だって生きるために必要なことはもう全て学んだのだから。ものを書くのが好きならそれでもいいし、音楽でもスポーツでも、工作でも、数学でもいい。つい先日入学の決まった高校を卒業することさえ、長い人生の中では重要ではない。

実は僕がある大学の付属高校に入ってすぐに考えたのは、高校を辞めることだった。理由は単純で、受験を終えて好きなことだけやろうと思っていたのに、興味のないことをいろいろ勉強しなければならなかったからだ。授業の予習をするだけで一日2時間はかかった。結局、辞めずに高校を卒業したのは、私の夢は数学者になることでそのために大学の数学科に行かなければならないと思ったからだ。数学科に進むためには、その高校を卒業して数学科に推薦してもらうのが最小の無駄で済むのだと理解したのだ。当時は若かったから、僕はその最小の無駄さえ恨んだ。

晴れて数学科に入学して知り合った友人と話すと彼は「高校を一週間で辞めた」という。「だって、くだらなかったから」と。彼は大検を経て数学科に入学してきた。僕は、日本人なら誰でも知っている都内の2つ大学の数学科を出たが、彼と同じような人は知っているだけで3人いる。

なお、敢えて高校に通うメリットを挙げるとすれば、それは刺激を受けられる友人と知り合えることだ。一生懸命勉強して良い高校に入るのは無駄な事ではない。「凄い奴ら」と知り合うことができるからだ。逆に、もし君が高校入試の結果、不本意な高校に通うことになったとしたら、やるべきことはその高校の外にも「凄い奴ら」を見つけて友達になることだ。もし不本意に入学した学校で「大したことない奴しかいない」などと思っていては、君の人生自体が不本意なものになるだろう。

君が優秀であればあるほど保護者の方や先生がうるさく言うのが大学入試だが、これも基本は同じだ。「凄い奴ら」を四六時中間近で見るために、どれだけ受験勉強するかという選択だと思えばいい。

話を戻そう。人間は大人になるにしたがって絶対やらなければならない事は減っていき、好きな事だけをやれば良くなっていく。それなのに、年齢を重ねるのにしたがって、嫌いなことを仕方なくやっている人が増えていくように見えるのはなぜなのだろう。それに対する僕の答えは「大人は楽をすることを覚えるから」というものだ。「一生懸命生きなくても、良い大学にさえ入れば…」「人生に悩まなくても大きな会社に入って文句を言わずに働きさえすれば…」「結婚して夫に尽くしてさえいえば…」といった具合だ。そういう人生を選ぶことは自由だが、「楽」をしているはずなのに「楽しそう」には見えないのが不思議なところだ。僕もしばしば「楽」を選び「楽しくない」時間を過ごして後悔することが多い。


2.一生懸命やること

好きな事だけやる代わりに、本気でやってほしい。世界一、あるいは、せめて日本一を目指すくらいでなければ嘘だ。例えば、音楽なら世界一の作曲家や演奏家を、スポーツ選手だったら世界一のプレーヤーを、工作だったら世界で一番精緻なロボットを作れるエンジニアを目指して欲しい。もし、君の目標が「高校の野球部で4番になる」という程度のものだったら、いますぐ辞めて別の夢を考えた方がいい。そんなのは「くたびれたおじさんやおばさんが考えた高校生の夢」だ。そんなものを夢にしても、くたびれたおじさんやおばさんにしかなれない。

夢が実現するかどうかはまた別の話だ。僕だって高校生のときは世界で一番凄い発見をしてフィールズ賞をとろうと思って数学を勉強していた。残念ながら、というべきか、よく考えたらやっぱりというべきか、夢は叶わなかったが、最初から「微妙なレベルの大学の先生になればいいや」などと考えていたら、何もできなかっただろう。

真剣に日本一になろうと思ったら、考えも多少変わるかも知れない。君は相撲が大好きだとしよう。日本一の力士になれなくても、日本一の行司になることだってできるし、日本一の実況アナウンサー、力士の診断では日本一の外科医になることだってできる。経営に興味があれば相撲協会に日本一の助言ができる経営コンサルになってもいいし、英語が得意なら世界で一番知られた相撲解説者になることだってできる。

日本一になる方法が分からなければ、日本一の人にどうすれば良いか聞きに行ってはどうだろう。大人というのは、多くの高校生が考えるよりずっと頑張ってる若い人には好意的なものだ。僕の大学時代には、毎年グループで一流の数学者にインタビューしにいくという企画があったが、多くの方が時間を割いて快諾してくださった。日本一のロボットを作りたければ、日本一のロボットを作っている会社にとりあえず電話してみてはどうだろうか。

君の夢が野球選手なら、世界一の野球選手にインタビューする事は難しいかも知れない。そんな時にはまず、君を差し置いて世界一になりそうな同年代の人と知り合いになれないか考えてみるのもいい。あるいは、君の夢が何かを発明したり発見したりすることなら、協力して世界一を目指せる友達を探すのもよい方法だ。

「一生懸命やること」は「後悔しないこと」でもある。僕は結構引っ込み思案な方なので、「好きなことをやろう」と思った時に「本当に良いのだろうか」と悩む事が多い。しかし実際には、好きな事を選んで後から後悔する事はほとんどなく、後悔するのはいつも「さぼって一生懸命やらなかったこと」なのだ。一生懸命できなかったら、本当にそれがやりたい事なのかどうか、考え直した方が良いのかもしれない。


3.世の中の役に立つことをすること

好きな事を本当に一生懸命やっているのに結果が出ない、将来の展望が開けない、ということもよくある。この時に大事なのは、自分が一生懸命やっていることが本当に世の中の役に立っているのかを考えることだと思う。

「大人は好きなことだけやれば良い」と書いたが、それが世の中の役に立たなければ食べていけないというのが子供との唯一の違いだ。

例えば、君がある売れないアイドルに入れ込んで、彼女のために献身的にファンクラブを立ち上げる。君は、その娘とファンクラブの運営に四六時中夢中になる。その甲斐あって、誰も見向きもしなかったアイドルに全国から17人のファンクラブ会員が集まった。毎月1人くらい上積みできるかもしれない。しかし会費は月300円で、君自身が食べていくどころか、ウェブサイトの運営費すら捻出できない。

しかし現実に起こることは、こんなに単純ではない。例えば、世界でもっとも美しいと騒がれる数学の理論を君は5年かけて学ぶ。君は世界で30人しか完全には理解していないという、その理論の第一人者が13年前に書いた有名な論文の補題3.2を一部拡張して学会誌に投稿する。証明は完全に正しく美しいが、論文は「枝葉末節」として却下される。君は誰にも認めてもらえず、来年切れるアルバイトの講師の契約に怯える。

誰かが一生懸命やっていることが、本当に世の中の役に立つのかを判断することは非常に難しい。しかし現代社会全体としてみると、お金はあり余っており、情報の伝達速度はもの凄い勢いで上がっているので、世の中に役に立つことがあれば誰かが目をつけてくれる可能性は非常に高くなっている。もし、自分があまりにも浮かばれないと思った時には、自分のやっていることが最善なのかを立ち止まって考えてみることを勧めたい。もしかしたら、その世界でもっとも美しい理論を他の人に分かるように説明し直したら社会に凄いインパクトがあるのかもしれないし、逆に美しいだけで未来永劫意味のない理論をやっているのかも知れない。


ふと、なぜ僕はこんなに当たり前のことを偉そうに書いているのだろう、と恥ずかしくなった。しかし、どうも今の世の中は複雑になりすぎて、当たり前の原則に従って生きることさえ難しくなっているように感じられる。中学卒業という節目で——あるいはそれが高校卒業や大学卒業、転職であっても——、そうした当たり前の原則を振り返ってみても良いのではないかと思った。
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プロフィール

Willy

Author:Willy
日本の数学科で修士課程修了。
金融機関勤務を経て、米国の統計学科博士課程に留学。
2009年、某州立大数学科専任講師。2010年、助教。

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お勧めの本
1.ルベーグ積分30講
―― 統計学を学ぶために。
   小説のように読める本。
   学部向け。


2.Matematical Statistics and Data Analysis
―― WS大指定教科書。
   応用も充実。学部上級。

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