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なぜ「囲碁」だったのか。なぜ「10年かかる」と言われていたのか──AlphaGo前日譚

 
 
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PHOTOGRAPHS BY TAKASHI OSATO
TEXT BY ALAN LEVINOVITZ
TRANSLATION BY TAKESHI HIGUCHI

別室では、解説者2名による実況ネット中継が行われた。

いざ電聖戦

クーロンは電聖戦を重要視していなかった。「本当の大会はプログラム対プログラムなんだ」と、以前の電話インタヴューで彼は語っていた。

「敵がプログラマーであるとき、ぼくたちは同等だ。互いに話が通じる。でもプロとの対戦になると、相手が手の説明してきても、ハイレヴェルすぎるんだ。ぼくも理解できないし、相手もぼくのしていることを理解できない。電聖戦は─宣伝にはいいと思う。ぼくはあまり興味がないけどね」

しかし、電聖戦で目にした彼は興奮しているようだった。会場は活気に溢れていた。先週末にUEC杯の会場として使用された会議室は取材陣や大学の役員たちに割り当てられ、今回の対局には新しい個室が用意されていた。審判と記録係だけが入室を許され、備え付けられたカメラが会場の様子を外に届ける。プロ棋士の解説者たちは大学のメインの講堂に集まり、そこには少なくとも100人の観客と3つのカメラクルーがCrazy StoneおよびZenとプロ棋士の対戦を見届けに来ていた。

2013年、電聖戦に参戦したのは並外れた計算能力と判断能力から「コンピューター」の異名をもつ石田芳夫だった。14年のプロ棋士は依田紀基九段。06年の農心辛ラーメン杯世界囲碁最強戦で日本代表の主将として韓国から歴史的な勝利をあげたこと、そして碁盤に碁石を叩きつけて割ったことで有名な人物だ。

開会式のあと、クーロンと依田は対局の部屋へ入り、礼を交わし、席についた。いつものように、依田は深緑色の和服姿で現れた。左手には扇子を携えている。クーロンも、いつものように青のタートルネックセーター姿だ。両者のあいだにある碁盤には、石が詰め込まれた碁笥が2つ置かれている─黒がクーロン、白が依田だ。

このときは、「ニギリ」は行われなかった。Crazy Stoneには大きなアドヴァンテージが与えられていたからだった。「星」の四隅(19×19の直線がある碁盤の左上隅から数えて〈4,4〉、〈4,16〉、〈16,4〉、〈16,16〉の交差点)にひとつずつ、計4つの黒石が置かれた状態で開始された。依田は強気に攻めるほかなく、ハンデを巻き返そうとCrazy Stoneの領地に攻め入ろうと試みた。しかしCrazy Stoneはあらゆる攻撃に見事に対応し、依田の四角い顔は次第にこわばっていった。扇子が開いては閉じ、開いては閉じられた。

取材陣の控え室からは、講堂の解説が聞こえない。そこで、わたしは電聖戦運営委員のひとりである村松正和と王銘琬が手元の盤で対局を再現しているのを眺めた。2人は依田とCrazy Stoneの次の一手を読み合い、対局が進むにつれ、2人ともCrazy Stoneがリードを守る素晴らしい手を打っていると語っていた。

その間、クーロンは盤面か、ノートパソコンか、記録係か、とにかく苛立ちを募らせる依田以外のものに目をやっていた。クーロンがある一手を打つと、依田は明らかに目を細めた。彼はうなり、しきりに扇子を振った。「素晴らしい手だ」と王銘琬はいった。「依田さんは動揺しているだろうね」。Crazy Stoneは素晴らしい囲碁を続け、依田のあらゆる攻撃は実らなかった。

Crazy Stoneの本性がむき出しになってしまったのは終局へのアプローチ時だけだった。11目のリードがある場合、Crazy Stoneの立場にまともな人間がいたとすれば、いくつか間違えることのない簡単な手を打って、それからパスをして、依田を投了に導いたことだろう。

しかし、Crazy Stoneのアルゴリズムは、リードの大きさは気にせず、とにかく勝つことだけに特化して構成されていた。クーロンはCrazy Stoneが自身の領地で無駄な手を続けるのを見て顔をしかめていた。Crazy Stoneが石を無駄にして対局が長引いたが、ようやくパスを宣言し、ついに機械が勝利を収めた。

クーロンは足早に怒り心頭の依田のもとを去り、取材陣の控え室に入ってきた。彼は興奮すると同時に悔しがっているようだった。

「Crazy Stoneのことは誇りに思う」と彼はいう。「すごく誇りに思うよ。でも家に帰ったらすぐにでもあの終局の動きを改善するよ。もうあんな恥ずかしい動きをしないようにね」。その後、事態はいい方向へと動いた。依田は電聖戦の2局目でZenに勝利を収め、それがゆえに、電聖戦の栄冠はクーロンへと渡った。彼のプログラムは4子のハンデで、プロ棋士を2人も打ち負かしたことになる。

もうひとつの壁

対局後、いつになればハンデなしで機械が勝てると思うかクーロンに聞いてみた。「10年後くらいかな」と彼はいう。「でも予言のようなことをするのは好きじゃない」。

彼の慎みは賢明なものだった。2007年、Deep Blueのチーフエンジニアであるフェン=シュン・スーも、同様のことを語っていた。スーはまた、囲碁のプログラムにおいてモンテカルロ法よりもアルファベータ法を好んでおり、モンテカルロ法は「人間のトッププレイヤーたちを上回るような機械をつくるには、大きな役割を果たさないだろう」と予想している。

たとえモンテカルロ法を用いたとしても、あと10年というのは楽観的すぎるかもしれない。そして事実上プログラマーたちはコンピューターがいずれは人間を上回るだろうと意見を一致させていながらも、囲碁コミュニティーの人々の多くはそれに懐疑的だ。

「コンピューターがそこまでたどり着けるかはまだわからない」。囲碁ドキュメンタリー映画『The Surrounding Game』の監督ウィル・ロックハートはいう。「プロたちが実際にどれほど強いかをよく知っている人たちは、まだわからないと言うだろうね」

シドニー大学の認知科学者で複雑系理論を研究するマイケル・ハーレによれば、プロ棋士たちの次の一手は驚くほどに予想が難しいのだという。

近年の研究で、ハーレは特定の局所的な石の配置のときに次の一手をどう打つか、さまざまなレヴェルの強さのプレイヤーの分析を行った。「結果はまったくの予想外だった」と彼はいう。「手はプレイヤーがプロレヴェルに近づくにつれてどんどん予想しやすくなっていった。しかしある時点から上のレヴェルでは、どんどん予想しにくくなっていった。その理由はわからない。残りの盤面からの情報が独自のかたちで決断に影響を与えているのではないか、というのが現段階でのいちばん有力な仮説だ」

それはつまり、コンピュータープログラムはやがてもうひとつの壁に突き当たるということだ。囲碁プログラムはまだこの点で進化を遂げていない。ここにもまた、あの素人とプロを分ける質的な決断という問題がある。そしてそうであるとすれば、コンピューターが人間に挑戦する前に、もう一度「モンテカルロ木探索」と同じレヴェルのブレイクスルーが必要になるということだ。

それは知能ではない

プログラマーたちから、こうしたプログラムが成功するカギは、情報処理能力の向上とは別のところにあるという話を聞いて驚いた。

囲碁プログラムの性能はかなりの面でコードの質によるのだという。情報処理能力はたしかに助けにはなるが、それには限りがある。UEC杯はどんなシステムを使ってもいいことになっていて、2,048CPUコアのスーパーコンピューターを選ぶ者もいるが、Crazy StoneとZenの魔法の作品は、64CPUコアのハードで商業的に使えるようになっている。

さらに驚いたのが、どのプログラマーも自ら生み出したものを「知能」だとは見なしていない点だった。「囲碁の対局は本当にチャレンジングだ」とクーロンはいう。「でも人間の知能をつくり出そうとしているんじゃない」

つまり、WatsonやCrazy Stoneは何らかの「存在」ではないということだ。それらは特定の問題に対する「解決策」なのである。だから、IBMのWatsonがガン治療に使われるという言い方は、実際にWatsonがクイズ番組に登場して誰かの腫瘍を減らすのでない限り正しくない。Watsonの開発は自動診断についての考察をもたらすかもしれないが、その診断を下しているのはWatsonという存在ではない。病院のシステムにMCTSが使われていても、それがCrazy Stoneではないのと同じことだ。

IBMの広報たちは別の考え方をしており、それはメディアもまた同様だ。アルゴリズムを擬人化したほうが、物語として聞こえがいいからである。Deep BlueとWatsonがハイレヴェルな人間対コンピューターの戦いで競い合う。そしてIBMが人工知能の新たな時代の門番となる。神などいないという思いと死への恐怖の狭間で、レイ・カーツワイルやそのほかのフューチャリストたちは、人類の技術的栄華はすぐそこにあると謳う。そしてこうした誤った人格付けを行い、そんな愚かな行為は大手メディアにも広がっている。

「脳の最後の抵抗(The Brain’s Last Stand)」、カスパロフが負けた直後の『ニューズウィーク』誌の表紙にはそう書かれていた。しかし実際には、こうした機械は脳を模倣する領域には到底達しておらず、製作者たちもそのことを認めている。

多くの棋士たちは囲碁がコンピューターに対する人間の優位を示す最後の砦だと考えている。この考え方は、根本のところで人間の「知能」とコンピューターの「知能」の対決だと認めている点において大きな勘違いをしている。本当は、コンピューターが勝って嬉しいだとか、負けて悔しいと感じない限り、コンピューターが何かに「勝つ」ことにはならない。ここでは囲碁は、プログラミング上の挑戦にすぎないのだ。

コンピューター囲碁との対局は「脳の最後の抵抗」などではない。その対局はむしろ、人間の知能に似た真の何かを生み出すまでに、機械にはあとどれほどの距離があるのかを明らかにするものだ。そして真の何かが生み出される日が来るまで、おそらくいちばんいいのはプログラマーたちのように電聖戦を見ることだろう。

「電聖戦は楽しいよ」とクーロンは言う。「でもそれだけだ」

アラン・レヴィノヴィッツ|ALAN LEVINOVITZ
ジェームス・マディスン大学准教授。ヴァージニア州シャーロットヴィル在住。専門は古代中国思想、遊びの哲学、宗教学。シカゴ大学で宗教学と文学の博士号取得。ライターとしてUS版『WIRED』のほか、『Slate』『The LA Review of Books』などに寄稿している。

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