「法的・平和的に解決したい。法の下では皆平等ですから」。フィリピンのアキノ大統領は2月、渡米中に登壇した公開討論会で余裕の表情を崩さなかった。
同大統領が話題にしたのは南シナ海を巡る情勢だ。ベトナム、台湾なども領有権を主張する南シナ海では、中国が2014年ごろから環礁の埋め立て、レーダーのような施設の建設などの活動を活発化。これに対し米国が、同海域で原子力空母による監視活動を始めるなど国際社会の圧力は強まっている。
こうしたなか当事国のフィリピンがとった手段が司法による解決だ。13年に仲裁を申し立て、国際条約の一つ「国連海洋法条約」に基づく仲裁裁判所が審理に値すると判断して昨年、受理した。フィリピンは口頭弁論などで中国の行動が不当だと訴えている。
今回話題になっている仲裁裁判所は実は通常の裁判所のように常にあるわけでなく、訴えが起きてから毎回組織している。
当事国などが選んだ裁判官5人が裁判員団を構成し、審理を進める。今回はオランダのハーグで審理が進んでいる。こうした仲裁はたびたびあり、インド洋にあるチャゴス諸島の領有権も、仲裁裁判所が15年、英国とモーリシャスの争いを仲裁した。
南シナ海を巡る訴えについて、日本政府関係者は「フィリピンは相当練った戦術を取っている」とみる。
中国は06年、東シナ海のガス田開発に反発する日本からの提訴を防ぐため、「海の『線引き』についての争いは、裁判所で解決しない」などと宣言した。国連海洋法条約が認めた正当な権利で、中国は海のトラブルで将来も裁判に巻き込まれない防衛線を張った。
だがフィリピンは今回この宣言の隙間を突いた。裁判所に出した論点は「中国は『岩』を『島』だと主張している」「排他的経済水域(EEZ)を不当に主張している」「埋め立ては環境破壊だ」など線引きという争いにならないように工夫し、申請を受理させた。
国連海洋法条約は条件がそろえば当事者全員が合意しなくても訴えを起こせると決めており、中国を国際裁判に巻き込んだ格好だ。
国際法に詳しい同志社大の坂元茂樹教授は「中国の従来の主張がその通り認められる可能性は狭まった」とみる。仲裁裁判所は一定程度フィリピンの主張を認めるのではとの見方が専門家の間で広がっている。
ただ世界の領有権問題という観点からみて、フィリピンの戦術と裁判所の対応は大きな意味を持ちそうだ。米中央情報局(CIA)の「ザ・ワールド・ファクトブック」によると、世界の百数十カ国が今も様々な領有権問題を抱えており、経過を見守る国も多い。
中国が建国以来初めて国際裁判の当事者になるという意味合いもある。国際秩序を主導する大国であろうとする中国が、5~6月にも出るとみられる仲裁裁判所の判断にどう反応するかも注目される。
仲裁裁判所が今回役割を果たせれば、国際裁判所としての認知度と権威は高まる。秩序と法で領有権問題を解決する意識が国際社会で少しでも高まるきっかけとなるかもしれない。
(国際アジア部 白石透冴)
仲裁裁判所 国連海洋法条約が紛争解決の手段として指定している裁判所の一つ。通常当事国が、海の紛争に詳しい裁判官5人を指名する。裁判進行の手続きは裁判官が決め、過半数の一致で判決を下す。判決への不服は受け付けない。原則当事国の1つが欠席しても審理できるため、今回裁判所は中国が欠席したままでも判決を出せる。
国連の常設機関で、国家間の紛争を公開して裁く「国際司法裁判所」は別の組織。
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