人がヒトラーとの比較――あるいはミュンヘン※との比較――を持ち出したとき、筆者は通常、耳をふさぐ。大恐慌についても当てはまる。今日の世界の地平線上に、ナチスや1929年の株式市場暴落に続いた大規模な物資不足に匹敵するような事態は何も見当たらない。
※=1938年の独ミュンヘン会議。英仏がチェコスロバキアのズデーテン地方の割譲をドイツに認めた。ナチスドイツに勢いを付けた歴史的な場所として知られる。
ただし、無視するのが賢明でない類似点がある。西洋の民主主義は致命的な脅威に直面しているわけではない。だが、厳しいストレステストを経験している。大西洋の両岸(欧州と米国の意)で、人々は公的な制度機構に対する信頼を失った。隣人への信頼も失いつつある。協力体制は綻びつつあり、開かれた国境が疑問視されている。我々はもう、中道が持ちこたえるかどうか、さらに言えば、中道に持ちこたえる価値があるかどうかさえ確信が持てない。
■消えた楽観論
最もたちの悪い傾向は、将来に対する楽観論が消えつつあることだ。大方の見方に反し、大多数の悲観主義は2008年の金融崩壊の前から存在している。前回の不動産バブルの絶頂期だった05年に、当時米連邦準備理事会(FRB)議長だったアラン・グリーンスパン氏は、生活水準の低下に大勢が苦しんでいる状況に社会は長く耐えられないと述べた。
「これは民主的な社会――資本主義の民主的社会――が何の手も打たず受け入れられる類いのことではない」とグリーンスパン氏は語った。所得のメジアン(中央値)が数年下がり続けた後の発言だ。
大半の米国人とヨーロッパ人にとって、今日の状況は当時より悪い。あれ以来、多くが自宅を差し押さえられた。15年の所得のメジアンは、グリーンスパン氏が警鐘を鳴らしたときより低かった。欧米の過半数の人は、自分たちより子供たちの暮らし向きが悪くなると考えている。
彼らは正しいのかもしれない。エコノミストらは、過去15年間に見た生産性の伸びが急低下しているのは計測ミスの結果だったのか議論しているが、世論調査は、尺度には何も問題がないことを示唆している。大半の人は生活が苦しくなったと実感しており、そのことが政治において重要なのだ。
ロバート・ゴードン氏(米ノースウエスタン大学教授)は著書『The Rise and Fall of American Growth(米国の成長の盛衰)』で、1870年に始まった1世紀に及ぶ生産性の飛躍的向上は二度と繰り返すことができないと論じている。たとえゴードン氏が間違っていたことがいずれ証明されたとしても、社会には成り行きを見守る忍耐があるだろうか。