突然ですが文章を書くのは難しいです。パソコンを前にすると自分の書きたいことと他人が読みたいことがこんこんと湧き出してくればいいのですが当然そういうわけにはいかない。うんうん唸りながら文章を捻り出そうとするわけですが、そうやって捻り出した文章は何かが違う気がする。これは私が書きたかったこととは違うし他人が読みたいものとも違う気がしてきて、最終的に没にする。ブログに限らず文章を書くのは難しいです。少なくとも私にとっては。
文章を書くのが難しいのはそれが証拠として残ってしまうから。お喋りというのはその点ではお気楽なもんです。一回喋ってしまえば後はサヨナラですからね。もちろんその一言が良くも悪くも相手の中で反芻されてしまうということはあるわけですが、基本的には発話は使い捨てです。言った言わない論争が頻発することからもそれは明らかですが、文章の場合は書いたものがそのまんま残される。これって結構気持ち悪いと思うんだけど、一般的にはどうなのでしょう。自分の声をボイスレコーダーで記録しといて後から聞き返すと気持ち悪っと思うことは誰にでもあるかと思いますが、文章に関して言えばそれがデフォですからね。自分で書いた文章を自分で見返して普通はどう思うんだろ?というのは気になります。
まして文章をネットに撒き散らしたりするともっと気持ち悪くなってきます。私が今までこのブログで書いたのは旅行記事4つと書評記事1つだけで旅行記事には毎日10~15の検索流入、書評記事には書いたその日にスマートニュースからのアクセスが100ちょっとあったに過ぎません。ブログ界隈では取るに足らない数字ですが、それでもそれだけの人が自分の書いた文章、自分がやったことの証拠を見ている。これって結構すごいことだと思うんですけどね。よく今月は○○万PV!ドヤ!みたいな人がいてそれはそれで羨ましいし微笑ましいわけですが、それって50万人に自分がやらかしたことを見られているってことでもありますよね。そこは怖くないのかよ……とは思います。数字じゃないですよ、人間なんです。
結局のところ私の場合は揚げ足を取られたくないし不出来なものを公衆の面前に晒したくないのです。明日の自分は少なくとも今日の自分よりはマシになっているはずで、そうだとすると昨日書いたものを読み返して抱く感想はネガティブなものでしかありえない。うわ、今日だったらもっと上手く書けたのに何でこんな文章書いたんだ……ということですね。旅行記事や書評記事であれば事実ベースだし写真とか本とかいう自分以外のものに頼れるだけ良いですが、0から自分で文章を積み上げていくとなるとますます自分の責任が大きくなる感じがしてきついです。
それではどうやったらブログを自由に書けるのか?10年後にあら捜しのターゲットにされる可能性もあり、もしかしてウン万人の人が目にするかもしれないブログでどうやったら自分のログを刻めるようになるのかと言えばそれは自分が書いた不出来でイマイチな文章を自分で認めるしかない。とりあえず上手い下手は別にして、自分の自分による自分のための文章を書けるようにならないとブログを続けるのは無理そうと思う今日この頃でした。