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沖縄戦の住民の被害巡る訴訟 きょう判決
3月16日 4時59分

沖縄戦の住民の被害巡る訴訟 きょう判決
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太平洋戦争末期に激しい地上戦が行われた沖縄戦を巡って、日米両軍の兵士を上回る民間人が犠牲になったのは、国が住民を保護する義務を怠ったのが原因だとして、沖縄県などの住民が訴えた裁判で、16日に那覇地方裁判所が判決を言い渡します。沖縄戦の被害を巡って住民が国に賠償を求めた裁判で、判決が言い渡されるのは初めてです。
太平洋戦争末期の昭和20年に行われた沖縄戦では、日米両軍が沖縄本島などで激しい地上戦を繰り広げ、沖縄県によりますと、20万人以上が犠牲になり、半数以上のおよそ12万人が沖縄県民だったとされています。
沖縄県などの住民79人は平成24年、沖縄戦で砲弾を受けて負傷したり家族が死亡したりしたのは、国が住民を保護する義務を怠ったのが原因だとして、国におよそ8億6000万円の賠償などを求める訴えを起こしました。
これまでの裁判で住民側は、3か月以上にわたり地上戦が続けられた結果、日米両軍の兵士を上回る民間人が犠牲になるなど、過去に例のない被害を受け、戦後も長期間にわたり被害が救済されなかったなどと主張しました。
これに対して国側は、被害から20年以上経過して賠償を請求できる権利が消滅しているうえ、補償に関する立法措置に違法な点はなく、沖縄戦で多大な犠牲が出たことを考慮しても、ほかの戦争被害と区別することはできないと反論しました。
那覇地方裁判所はおよそ3年にわたり審理を続け、16日午後、判決を言い渡します。沖縄戦の被害を巡って住民が国に賠償を求めた裁判で判決が言い渡されるのは初めてで、裁判所の判断が注目されます。

沖縄戦 県民の4人に1人が犠牲に

沖縄戦は、太平洋戦争末期の昭和20年3月下旬に始まり、日本軍とアメリカ軍が沖縄本島などで地上戦を繰り広げました。
組織的な戦闘はおよそ3か月にわたって続き、この間、地上での戦闘は激しさを増し、「鉄の暴風」と呼ばれたアメリカ軍による激しい艦砲射撃や空襲も続けられました。
多くの住民が戦闘に巻き込まれて犠牲になり、沖縄県によりますと、沖縄戦の戦没者は日米両軍の兵士を含めて20万人を超え、このうち半数以上となる12万人余りが沖縄県民でした。沖縄県民の4人に1人が亡くなったことになり、住民の犠牲は地上戦としては国内最大となりました。

裁判の経緯と双方の主張は

沖縄戦の被害を巡る今回の裁判で住民が訴えを起こしたのは4年前の平成24年で、終戦の日に合わせて8月15日に提訴されました。
那覇地方裁判所でこれまでに17回の審理が行われ、原告の住民がみずから戦争被害を訴えました。
これまでの裁判で住民側は、アメリカからの攻撃だけでなく、旧日本軍の兵士に避難ごうを追い出されたり、食糧を奪われたりするなどの被害を受けたと主張したのに対して、国側は、被害から20年以上経過して、賠償を請求できる権利が消滅していると反論しました。
また、住民側は、戦後も長期間にわたり被害が救済されずに放置されたのは、国会が救済のための立法措置をとらなかったためだと主張したのに対し、国側は、生命や財産など全般にわたる戦争被害の補償は憲法で予想されるものでなく、国会が立法措置をとらなかったことに違法な点はないなどと主張しました。
原告のうち37人は、両親や兄弟を目の前で殺害されるなど悲惨な体験をしたり、戦後、孤児になって厳しい生活を強いられたりしたことで、PTSD=心的外傷後ストレス障害などの精神障害を発症したとする、医師の診断書を裁判所に提出し、PTSDなどの被害についても認めるよう訴えていました。

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