最近ひさしぶりに電車通勤をはじめる様になって色々な年代の人がいるのを見掛ける様になった、電車の入り口の両脇が体重を預けてゆっくり出来るポジションでのんびりと朝の街並を観ながら仕事場に通っていた
ふと小さな女の子達のリボンを付けているのが印象的な集団が電車に入って来た、大人の誰かしらのおかあさんに連れられて髪をしっかり縛っているのはどこかへバレエの発表会にでもいく様な印象を感じた
彼女達は小学生くらいなのかな、10人位の団体がなんだか3人くらいに集まって私の前ではしゃぎながらお話しをしている
なになにくんが一番普通でいいよね〜^^
うんうん^^
なんとも微笑ましい、なんか自分ちの部屋の数を言い合いっこしてキッチンの数は入れるの?だの入れないの?だの色々お話ししていた
ふと考えて見ると小学校の頃や中学校の頃って本当に面白かったなって記憶が心の中に浮かんで来た
小学校は帰りはサッカーやドッチボール、うちは両親共働きだったので小学校4年生の頃迄は5時迄鍵っ子のみんなと学童クラブで遊んで帰って、小学校5年生から6年生までは学校の中で10人くらいのグループがあってよく一人の友人の家にみんなで集合していろいろ遊んだな
その子の親は結構いい所の会社に勤めているのかいつもいくと山盛りのお菓子とバスケットゴールがあったのでバスケしたり、みんなでゲームを持ち寄ってやったりしていた
ニャンジャタウンとかいったのも懐かしい思い出
中学生はスラムダンクに影響されてバスケはじめたけどきつくて途中で投げ出してしまった、不良とまでは言わないけどその後帰宅部に入り暇しながらバカな連中と一緒に自転車で色々まわったりしたな〜とそんな記憶
ふと考えて見ると中学生の頃は小学生の頃が一番楽しかったなって思っていたし、ひさしぶりに小学校の校庭に行って見ると思いのほか校庭は小さくて、小学生の頃なんていくら走っても端までいかないのにとか思いながらサッカーしていたのだけれど、そんな事を感じていた様に思う
逆に高校時代は中学生の頃が楽しかったな〜と思いつつ、部活動がかなり厳しかったのであの暇な時間を友人とバカをしてまわっていたあの頃が懐かしくなった
社会人になった今はどうだろう、色々あったけどやっぱ学生時代とか昔って面白かったなって思う
僕達は何か大きな世界に触れてその果てしない大きさにどんどんと好奇心が膨れていく事にわくわくを覚える。まだ見てない世界楽しいじゃん
でも大人になってからは多くの事を知り過ぎてしまった様にも思うんだ
昔誰かが言っていたよ
”本当に幸せなのはバカなやつだって”
もし何かを深く考えたり悩んだりしなければいつも幸せじゃないか
僕達はなんだかんだ社会的なカーストや生き方の概念に囚われているけれど実際には本当の意味で住む所や食べる物に困る事は無い、飢餓で死ぬ事も無いんだ
僕達は知り過ぎてしまった、知り過ぎてしまったが故に幸せか不幸せか
それは読者のみんなの判断に任せるけれど
ひとつ確かな事があるとしたら
”僕達は知り過ぎてしまう事の功罪を知ってしまった”という事なんだろう
この文章はなぜか僕達はと書いてしまった、普段私と一人称で呼ぶ作者により20分ほどで書き綴られた