こんばんは。
みなさんは、自分の頭に誰かが入ってきて、自分の視界から外を見ることを想像したことはあるでしょうか?もしくは自分が誰かの頭に入り、その人の目線で外を見ることを。本日ご紹介する映画『マルコビッチの穴』はそんなテーマを扱った作品です。
1999年に公開されたアメリカの映画で、監督はスパイク・ジョーンズです。この監督、かなりマルチな方で、ビースティーボーイズやビョークなど数々のミュージシャンのPVを手がけています。また映画も本作以外にも『アダプテーション』なんかも彼の作品です。さらに結構イケメンさんで、俳優として映画にも出演しています。そしてあのソフィア・コッポラと結婚していたこともありました。なんか色々すごい人ですね。
『マルコビッチの穴』は言うまでもなく、常人の発想の枠を超えたストーリーが人気の理由の一つですが、脚本を担当したのはチャーリー・カウフマンです。『アダプテーション』でも本作品と同じくカウフマン脚本、スパイクジョーンズ監督でタッグを組んでいます。
またキャメロンディアスが出演している点も見逃せないでしょう。彼女のトレードマークといえばブロンドのショートヘアーにブルーの瞳ですが、本作ではブラウンのヘアーとカラコンで役柄に挑んでいます。ただのセクシー女優とは一線を画す存在であることを見せつけた作品でもあります。キャメロンディアスって役柄の幅が広い女優さんですよね。アクションなんかもできますし。しかし、どの役をやってもいつも彼女のエッセンスが入るというか、「キャメロンディアスの演じるその役」になるのがすごいと思います。いつもパートナーに「ハニー」って映画の中で言っているイメージがありますね笑
ロッテ役を演じるキャメロンディアス。映画の冒頭では誰だかわかりませんでした。
またもう一人のヒロインを演じるのはキャサリン・キーナーです。かなり雰囲気のある女優さんですね。トムクルーズを女性にしたらこんな顔になるのかななんて思ったり。
一瞬、キャメロンディアスとキャサリンキーナーが逆のキャスティングでも良かったのでは?とも思ったのですが、そうするとロッテの性格のある部分が表現できなくなるんですよね。そこはキャメロンだからできたんじゃないかと。ぜひ映画でご確認いただきたいポイントでもあります。
そして、なんと言っても抜群の演技力を披露しているのがジョン・マルコビッチさんですね。役柄と同じ名前で、タイトルにもなっていますね。彼の演じ分けがないと本作は成り立たなかったと言っても過言ではないでしょう。
本作のストーリーは人形師のクレイグが妻ロッテの希望で、ある会社に就職したところから始まります。"LesterCorp"社はなんとビルの7と1/2階にあり、クレイグはそこに就職します。ある日彼はオフィスの壁に穴を発見し、その穴に入ってみるとなんと・・・
といった感じです。
trailerはこちらです。
<ここから先ネタバレあります注意してください>
さきほど書いた、キャメロンにしか演じられなかったロッテの性格って、きょとんとした純粋さだと思うんですよ。普段ペットショップの店員をしていて、自宅でもたくさんの動物を大切に飼っている様子からも汲み取れますよね。またいろいろと人生や人間関係について悩む役どころでもありますが、その根底にあるのは純粋さだと思います。ペットのチンパンジーとの親密さが彼女自身の心のトラウマも描写していますね。またロッテはマルコビッチの穴を体験して以降どんどんハマっていき、ついには本当の愛を見つけますが、そこに純粋さがないとかなり好色な女性にもなりかねないと思うんですよ。笑キャメロンのトレードマークともされるファニーフェイスですごくいいバランスが取れていると思います。キャサリンキーナーは素敵な女優さんで、とてもきれいだし雰囲気に「含み」があるので、それがこの役でいろいろな方向に行く可能性があると思ったんですよ。含みがセクシーさに繋がっていることは言うまでもありませんが。
また、この映画のように自分が誰かの意識に潜入することって、決して他人事ではないと思います。肉体がただの容器と化する現象も。これからますますインターネットが普及し、またVRなどの技術が発展するにしたがって、一人一人がアバターを持つのが当たり前になっていきますよね。会議もアバターで参加したり。公的な自分(アバター)と、プライベートな自分(生身)が完全に分けられるようになり、ますますフェイストゥーフェイスのコミュニケーションは減っていくと思います。もし自分のアバターが第三者にハックされたとき、この映画と同じ状況が起こる可能性は否定できません。
それから意識と肉体の分離もロボット技術が発展していくに従ってテーマとなりますよね。「意識」の自分と、「肉体」の自分が行った行為、はたしてどちらが本物なのか?マキシンが身ごもった子供は本当にロッテの子供だと言えるのか?同性愛者が「容器」を介在して性行為を行い子供を産むことが可能になった時、子供の人権やアイデンティティーはどうなるのか?
確実に未来の世界で社会問題となるであろうテーマを、今から20年ちかく前に顕在化させた点もこの映画の優れたポイントですね。
ロッテはマルコビッチの意識に潜入し、はじめて自分を見つけたようだと歓喜します。また、マルコビッチの穴を体験した人は誰しもが素晴らしい体験をしたと言い、穴の前には連日行列ができるようになります。ロッテの場合にはそれが同性愛に目覚め、マキシンへの愛情を持ったことで説明がされていますが、それであればマルコビッチの意識に入った一回目から快感を感じるのは辻褄が合いませんね。その瞬間から楽しくなるのって早すぎると思うんですよ。
この映画の中の矛盾点をもう一つ。船長がロッテを仲間に紹介するシーンがありますよね。そしてみんなで協力してクレイグをマルコビッチから追い出し、代わりにみんなで潜入することに成功します。これでまた新しい容器を手に入れ、延命することが可能になったわけです。でももしそうであれば、仲間は初めから全員ひとつのボディーに入ってないとおかしくないですか?船長のボディーとか。だってそれぞれが任意の容器を見つけて潜入できるのであれば、わざわざマキシンを誘拐してまでクレイグを追い出す必要なんてないじゃないですか。現にみんなで一斉にマルコビッチの中に潜入して、共存していく様子がラストで描写されていますよね。だったらなんでそれぞれの「容器」を有していたのか?
これらの説明としては、実はマルコビッチの穴を通じてみんなが体験したものは自分自身だったんじゃないかと思います。誰かの意識に気付かれずに潜入するという非日常的な体験、また新しいボディーを手に入れたことに対する斬新さ。永遠の命への憧れと死への恐怖は生き物として万人が持つものですよね。マルコビッチの意識に潜入し、それらが刺激されることにより自分自身が解放されます。そしてなりたい自分像って誰にもあると思うんですけど、それをマルコビッチを介在して見つけたのではないかと。だからこそ強烈な快感があったんじゃないかと思います。実際に映画の中のマキシンのセリフで「誰しもが変身願望をもつ」っていうのがありますよね。またマルコビッチがマルコビッチの穴に入った時、てっきり自分の意識に収束されて穴自体が無くなるかと思ったんですよ。ところが実際の展開は、周囲の人の顔が全員マルコビッチの顔だったという奇妙な世界に入るというものでした。これの示唆するところは、実はそれぞれがマルコビッチという容器を介在してなりたい自分になっていただけなのではないかと。だから誰もがマルコビッチだし、誰もマルコビッチではなかったと。
マルコビッチの穴にはまる人って、現状の自分に満足していないか、本当の自分が分からないかのどちらかだと思うんですよ。現にマルコビッチの穴に行列を作っている人は暗い感じの人が多かったですよね?それからクレイグがマルコビッチを乗っ取って体現したものは、結局「人形師」というもとの自分でした。この辺も監督のメッセージだったのかなと。
いろいろな解釈が可能な作品だと思いますが、この脚本を書いたカウフマンの奇想天外さ、想像力にただ脱帽です。間違いなく天才ですよね。そしてこの素敵な作品を生み出してくれた監督や制作スタッフに感謝です。おかげで不思議な世界を体験できました。