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c71の一日

生活の記録

触らない痴漢を弁護するのに、真剣にやっているから、痴漢呼ばわりは酷だという人に対しての文章

痴漢は俺の敵、というバッヂを作るプロジェクトがあり、今、星井七億氏とたられば氏が参加することで、かなりの女性ががっかりしている。

星井七億氏とたられば氏は、セクハラツイート、レイプ予告ツイートで遊んでいる。

以下の指摘があった。

この指摘の前に、そんきょば氏は


というツイートを返している。
痴漢に対する意識が違っていたと、あとから言っているけれど、そもそも主催側のそんきょば氏は、痴漢について、実際に触ることだけを考えていたのだろうか。



不特定多数の参加者について、侮辱されたと考えたようだけれど、痴漢される側の人たちの反応に対して、聞くこともせずに、反射的に「してませんよ」と顔文字付きで、返している。


確認していないということだ。



仕事をする時間を削ったら、話したら、痴漢被害に対して真剣だと言えるのか?
被害者は、仕事をする時間を割くどころじゃなくて、通勤や就業自体ができなくなる場合があるのに。



自分自身の女性蔑視について向き合うことができていないことは明らかだ。
なぜ明らかなのかというと、女性側の「性犯罪予告だ」という証言に対して、真剣ではないからだ。
それは、女性の言うことなど「取るに足りない」と思っているようにわたしには見える。
他の理由は見当たらない。



「大げさだ」「それくらいで」「冗談なのに」というのは、性犯罪をする側の常とう句だ。



何が痴漢なのか、考える前に、「痴漢は俺の敵」といったんだろう。
でも、自分自身が、痴漢かもしれないとは思わなかったんだろう。



それが通るのならば、多くの人が今心配しているように、「痴漢がこのバッヂを利用したら、告発しても、痴漢されたことを信じてもらえない」という現実が多発するだろう。





男性からの関心を集めるのは大変に素晴らしいことだけれど、男性からの関心を「お恵み」みたいに受け取りたくない。
それは、するのが当たり前なのだ。
男性を巻き込むために、多少の差別は目をつぶる、特に女性差別について目をつぶるというのは、運動において、繰り返されてきたことではなかったか。その反省を、痴漢問題についてさえ、女性不在で続けるのか。


試行錯誤していく中で、傷つく女性の、男性被害者の存在はどうなるのか。


試行錯誤して学ばせるために、被害者が存在しているわけではない。しっかり受け止めるとは、自分は痴漢をしていないつもりだったが、本当にそうだったのか、自分自身と対話することだ。
しかし、今、それをしていないように見える。


男性と男性がかばいあう姿を見せられただけだ。
今のところ、男性を無罪にするためのバッヂなのかと思って、心底がっかりしている。



痴漢とは何か、触らない痴漢もいるということ、被害とは何か、被害を受けた女性がどんな風に苦しむのか、それを知ってほしい。


わたしは自分の身体が自分のものだと感じられなくなった。自分の身体が感じる生理的な反応に嫌悪を感じて、自分自身を殺したくなったよ。いつまでも汚くなった気がして。


言葉だけでも汚される場合がある。言葉でどれだけ、損なわれるものがあるか。ネットで、今、わたしの批判した文章を読んで、「あなた」の心が傷ついたとしたら、「触らない痴漢」というものにも威力があるのだと分かってもらえると思う。



男性を巻き込むために、社会全体で考えるために、試行錯誤するのなら、被害者を巻き込まず、自分自身と向き合ってほしい。


少なくとも、「真剣にやっているから、痴漢呼ばわりは酷」なんてことは言わないでほしい。それは、触っていない痴漢だからなのか。


自分自身と、痴漢て何かを考えてほしい。

悪い人が、差別者になるわけじゃない。


ふだん、反差別を訴えている人も、差別者になることがあるということだ。


良い人も差別者になる。

結局「俺が女をマモル君」にならないかどうか、ここが境目じゃないのか。

ここが分岐点だ。

参考ツイート


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