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【1】
「調子が悪いなら、宿で休んでていいんだぞ?」
「くぅ……」
シンは小さく鳴いたユズハから大丈夫という意思を受け取って、軽く撫でるにとどめた。ユズハは瘴魔との戦い以降、体調が悪いのかシンの肩にくてっと寄り掛かることが時折あるのだ。
「お連れ様はお体の調子が悪いので?」
「本人は大丈夫って言ってるんだけどな。熱があるとかじゃないからひとまず様子見してるんだ」
ヴィルヘルムにハーミィを任せ、シンとシュニーは黄金商会を訪れていた。ジグルスに戻るために船を使うことになったからだ。
バルメルから出ている船には、大陸上部のエスト方面に向かうものも多い。陸路では時間がかかりすぎるので、海路でジグルスに近い港町に行き、そこからジグルスに向かうことになった。
ドラゴンを使った空路は最終手段なので、今回はなしだ。
「それで、船の方はどうなのですか?」
「私としてもお力になりたいのですが、あいにくと我が商会の船は出払っていまして。ですが、ちょうどエスト方面に向かう船があります。途中で補給もかねて別の港に寄りますが、我々の商船を待つよりも間違いなく早くつきます。いかがでしょう?」
すでにべレットには事情は話してある。シュニーが聞くと、申し訳ないとベレットは頭を下げた。
交易のための物資と、人の両方を運ぶ船だという。それなりに高い身分がないと乗れないということだがベレットの紹介状があれば乗せてもらえるということだった。
「月の祠の紹介状や、連れの身分とかは使いたくなかったから助かる」
月の祠の紹介状なら身分証としては十分。また、聖女としてのハーミィの名を使っても、船に乗ることはできるだろう。ただ、後々面倒事の種になりそうだったので、できれば使いたくないのだ。
黄金商会副支配人の紹介状も引けは取らないが、こちらは商売上の取引相手とでもいえばまだ言い分は通りやすい。Aランクのヴィルヘルムや教会所属のケーニッヒがいるので、アイテムの取引があるなどの信憑性も高くなる。
「出発は明日になりますが、よろしいですか?」
「ああ、あまりのんびりするわけにもいかないからちょうどいい」
「お部屋のほうは、空きの状態を後ほど連絡いたします」
「できれば、個室を頼む。あまり顔を見られたくないやつがいるんだ」
「承知しました。では、ご用意しますのでしばしお待ちを」
デスクの引き出しを開け、ベレットは用紙にペンを走らせる。書き終えたそれを黄金商会の印が入った封筒に入れ、封蝋を使って封をした。
「こちらを船長にお見せください。こちらで話は通しておきます」
「ありがとう。世話をかけてすまない」
「ハイヒューマンの方々のお役に立てることは、我らにとって最上の喜び。どうか、お気になさらず」
笑みを浮かべながら礼をするベレットの表情は、実に堂々としたものだった。そこに、悪感情は一かけらも存在しない。
シンはもう一度礼を言って、黄金商会を後にした。
◇
シンたちが黄金商会で話をしていたころ。ティエラ、フィルマ、シュバイドの3人は食糧や道具の買い出しに出ていた。カゲロウはいつも通りティエラの影の中だ。
500年眠ったままだったフィルマは、通りの賑わいに頬を緩めている。
「やっぱり貿易が盛んなだけあって人が多いわね。道行く人も明るい顔をしてるし、ちょっとだけほっとするわ」
「ほっと、ですか?」
フィルマのつぶやきに疑問を浮かべるティエラ。それを聞いたフィルマは、小さく笑みを浮かべて言った。
「私が覚えているのは、天変地異からの復興を目指していたときまでなのよ。あの頃は小さな地震が起こるだけで、パニックになる人もいたから」
フィルマの言葉に悲壮感は含まれていなかった。
「世代が変わったことで、当時のことを忘れてしまったというのもあるのだろう。だが、多くの人々の努力が積み重なり今がある。今も昔も、人というのは存外しぶといものだ」
フィルマが羽目を外しすぎないようにと同行したシュバイドが、笑みを浮かべながら言う。
黙ったままのティエラは、かける言葉が見つからなかったようだ。
「そうね。実感してるわ。それにしても、シンとシュニーを2人っきりにしてあげるなんて、シュバイドも気がきくようになったじゃない」
「正確には2人と1匹だ。別段、何か意図があったわけではない。お前を放っておくほうが危険と判断したまで」
「ちょっとそれどういう意味よ」
「かつての経験から言っておるのだ。胸に手を当てて考えてみるがいい」
シュバイドは半眼でフィルマを見ていた。どの口がそれを言うかと視線が語っている。
「私がトラブルメーカーみたいに言わないでよ。まあ、ちょぉっと羽目を外しすぎたことはあったけど」
心当たりがあるのだろう。フィルマの視線が泳いでいた。
「まあまあ、お2人ともそのあたりで。せっかく街に繰り出したんですから、さっそくお店を見て回りませんか?」
「それもそうね。必要な物はリストアップしてあるし、ささっとすませちゃいましょ」
「やれやれ」
ティエラの提案にフィルマが食いつき、シュバイドは苦笑いを浮かべる。シュバイドとしても、喧嘩をしたいわけではないのだ。
フィルマはさっそく食材を見ていた。
「ティエラちゃんはこういう目利きって得意な方?」
「ある程度なら。一応、師匠に鍛えられましたし。フィルマさんはどうなんですか?」
「作ろうと思えば作れるけど、大味なのよね。てことで、食材の良し悪しはティエラちゃんにかかってるわ」
シュバイドも料理に関してはあまり頓着していないので、このメンバーでもっとも素材の良し悪しが分かるのはティエラだった。
大量に買い込んだ素材は、一旦シュバイドが持つことになる。
「すごい量ですけど、大丈夫なんですか?」
「問題ない。人通りのないところで、アイテムボックスにしまう」
「気にしなくていいのよ。このくらいの荷物でどうにかなるような奴じゃないから」
袋一杯の食材を抱えるシュバイドを見て心配するティエラに、フィルマは軽い口調で言う。
実際、シュバイドは難なく袋を持っていた。
「ところでティエラちゃん。聞きたいことがあるんだけど、いいかしら?」
「はい、なんですか?」
「ティエラちゃんがシンに同行してる理由って、なんなの?」
「ふむ、たしかに気にはなっていた。連れている神獣は、明らかにティエラ殿の調教師としての力量を越えている」
フィルマの質問に、シュバイドも同意した。パルミラックの件もあり、先送りにしていたのだ。
「えっと、ここではなさなきゃだめですか?」
「むしろこういう場所の方がいいわ。雑踏の中って内緒話をするにはうってつけよ」
様々な声が飛び交う大通りは、フィルマの言うとおり誰が何を話しているかなどほとんど判別がつかない。さらに言うなら、ここには教会の騎士や白貌の槍使いもいない。
「私はシンやシュニーの身内だから、そういうことは知っておきたいの」
フィルマもシュバイドもシン直属の配下だ。ゆえに、配下でもないティエラが同行していることは疑問だった。
出会ってからそう時間はたっていないが、2人が興味本位で事情を聞こうとしているわけではないとティエラには伝わったようで、1度しっかりとうなずいた。
「わかりました。最初は師匠、シュニーさんに助けられたことが始まりだったんです」
ティエラはシンが呪いを解いてくれるまでのことを、2人に話した。
「なるほどね。たしかに呪いの称号は街で解いてもらうのが一般的だったから、手の出しようがないわね」
「うむ、我も調べたが、詳しい方法は分からずじまいだったな」
「シンは知ってたみたいでしたけど、皆さんは知らなかったんですか?」
シュニーも含めて、誰も浄化の習得方法を知らないと聞いてティエラは驚いていた。
「シンが習得してたのは知ってたけどね。アイテム探しは手伝ったけど、最後の方はシンだけでやってたから細部までは知らないのよ。元々滅多に使うスキルじゃないから、シンが覚えるだけで用は足りていたし。たぶん、他の知り合いも似たようなものでしょうね」
「だろうな。そもそも自分で覚えずとも、今では聖地と呼ばれている場所に行けば簡単に解除できた。わざわざ労力を使う必要もほとんどなかったのだ」
「なんというか。すごいですね」
2人の話を聞いて、呪い持ちが普通に入ったうえに簡単に解呪して出てこられる街というのがティエラには想像できなかったようだ。
『栄華の落日』以前の世界。その時代を知っているシュバイドでも、ティエラの驚きには同意できた。
「ところで、ティエラちゃんはシンのことをどう思ってるの?」
「え?」
突然切り出したフィルマに、ティエラは呆けたような返事を返した。
「だってそうでしょ? ずっと店から出られないと思ってたところにさっと現れて、何の報酬もなく呪いを解除。そんなことがあって、気にならないわけないじゃない」
妙にキラキラした笑顔で断言するフィルマ。ティエラの話に食いつかずにはいられなかったようだ。
「あきらめていたところにさっそうと現れた王子様といっても過言ではない、でしょ?」
「えっと……たしかに恩は感じてますよ? でも、ほ、ほら! シンには師匠がいますし!」
「この世界では、一夫多妻は普通よ? まあ、エルフはそういうのはあまり好きじゃないみたいだけど。でも、本当に恩だけ?」
「ぁ……ええと……」
フィルマの剣幕にたじたじのティエラ。しかし、言葉を濁すばかりではっきりと否定しないところが、すでに答えだった。
「フィルマよ。あまり人の色恋に口を出すものではないぞ」
「わかってるわよ。これ以上は止めておくわ。でもティエラちゃん、これだけは言っておくわ」
「は、はい」
若干ニヤついた笑顔から真面目な顔になったフィルマは、真剣な口調で言った。
「自分の気持ちははっきりさせておいた方がいいわよ。後悔してからじゃ、遅いから」
「っ!!」
心を見透かされたような言葉に、ティエラは息をのんだ。
「ごめんなさいね。余計な御世話だってことくらい、わかっているのだけど」
「……いえ、本当のことを言うと、自分でもまだ答えが出ていないんです」
困ったように苦笑して、ティエラは言う。
フィルマはその様子を、優しい笑みを浮かべて見ていた。
(さて、シンはどういう答えを出すのやら)
女性陣2人とは別に、シュバイドはそんなことを考えていた。
◇
「とりあえず、足は確保してきた」
黄金商会から帰ってきたシンたちは、他の面々にジグルスに向かう船に関することを伝えた。
ティエラたちだけでなく、宿に残っていたヴィルヘルムとハーミィに加え、ケーニッヒに付き合っていたミルトも戻っている。
「出発はいつごろで?」
「明日の朝で、メディエル号って船です。そちらはもう?」
「連絡はすんだ。伝えてあった通り、レシェルの街に迎えが来る手はずだ」
念のためにとシンのした質問にケーニッヒはうなずきとともに答えた。迎えといっても、大半はそこから頂の派閥の拠点に向かうことになっている。選定者をそろえ、一気に制圧するとのことだ。
最も危険な瘴魔をシンたちが倒したからこその作戦だった。
「はぁ、僕はシンさんと一緒に行きたかったなぁ」
「迷惑かけたから償うっていったのはお前だろ? しばらくは奉仕活動を頑張れ」
ぼやいたミルトにシンが声をかける。操られていたとはいえ、聖女をさらったのは事実。なので、ミルトは一定期間教会で奉仕活動をすることになっていた。拠点への強襲にも加わることになっている。
「さて、他に何か伝えておくことがある人はいるか? いないなら、明日も早いしそろそろ休もう」
とくに何もなかったようで、各自割り当てられた部屋に戻っていく。部屋割はシンとユズハにシュバイド、シュニーとフィルマ、ケーニッヒとヴィルヘルム、ティエラとミルトにハーミィである。
賑やかなミルトはティエラとハーミィと仲が良く、護衛にもなるので一緒の部屋になった。ティエラの影の中にはカゲロウもいるので、警戒は万全だ。
「にしても、ユズハまだ体調が悪いのか」
「くぅ……」
「モンスターが体調を崩すか。状態異常ではないとなると、見当がつかんな」
ユズハからは相変わらず大丈夫という念が伝わってくる。シンはきつくなったら言うように言って、その日は眠りについた。
◇
翌日、予定していた時間よりも早く、シンは眼を覚ました。
右腕に身に覚えのない重さを感じたからだ。
「前にもあったな……ユズハ、だよな?」
分析でしっかりと確認して、シンは隣で眠っていた少女に視線を向けた。
少女の正体は、人型になって眠るユズハだ。ただ、その姿はシンの知る幼女モードではない。
見た目は中学生くらいだろう。背丈は150セメルほどまで伸び、体格も女性らしい起伏が見て取れる。背中まで伸びた銀髪が、窓からわずかに入ってくる日の光でキラキラと光っていた。
耳と尻尾があるのは相変わらずだ。
「体調が悪かったのは、これの前触れかね」
抱きこまれていた腕を抜きながら、空いている方の手で毛布をかける。その刺激で目が覚めたのか、ユズハはゆっくりと目を開いた。
「……いない」
シンが寝ていたところを見つめて手をさまよわせるユズハ。寝ぼけているのか、腕を抜くために少しだけ動いたシンに気づいていないようだ。その表情は、親を探す迷子のようにも見えた。
のろのろと体を起こしたユズハが、視線を前に向ける。その際、ユズハの体にかかっていた毛布がベッドに落ち、隠れていた裸体があらわになった。
バルメルの朝は少し肌寒い。シンはさっと毛布でユズハをくるんだ。
「……いた」
毛布を一顧だにせず、一言つぶやいてユズハはシンの膝に頭をおくと寝息を立て始めた。何とも幸せそうな表情を浮かべている。
「いやまて、なぜ寝る!」
とはいえこのままというのは困るので、ユズハを起こして服を着てもらう。以前は服を着たまま子狐モードになり、再度幼女モードになると服は着た状態で変化していたのだが、なぜか今回は着ていない。
服自体はカード化した状態でユズハの寝ていた場所に落ちていたので、新しく出す必要はなかった。
「とりあえず、事情を聞こうか」
「ん?」
「いや、その姿のことな。やっぱり力が戻ったからか?」
「うん。まだ力が馴染んでないから、今はこれが限界」
ユズハの話によると、体調が悪かったのは力の回復に合わせていろいろと知識が復活したせいらしかった。大量の記憶と知識が戻ったことで、頭がパンク状態だったらしい。
今回のことで6割ほどまで回復したようで、完全に力が馴染んで記憶が戻ればもう少し成長した状態になるという。
「表情が硬いのもそのせいなのか?」
「くぅ?」
そう? とでも言いたげに、ユズハは首をかしげた。自覚はないようだ。眠っていた時の幸せそうな表情をのぞけば、ほとんど表情に変化がない。完璧なポーカーフェイスだった。
改めてシンがユズハのステータスを確認すると、レベルは600を超え、ステータスもかなり上昇していた。数値だけを見れば、レイドランク3に該当する強さを持っているといっても過言ではない。
「とりあえず、シュニーたちには知らせておいた方がいいな。ユズハは今も子狐モードになれるのか? いきなり大きくなると驚く人がいるから、可能ならそっちでいてほしいんだが」
「大丈夫」
そう言ってユズハはシンの目の前で変身して見せた。
それを確認して、シンはシュニーに心話で呼びかける。すでに起きていたようで、フィルマを呼ぶように伝え、自身はシュバイドを起こした。
ティエラはハーミィが一緒なので、後で伝えることにする。
「へぇ、ほんとに強くなってるわね」
ユズハのレベルを見たフィルマが、感心したように言う。
「やはり、最終的にはレベル1000になるのでしょうか」
シュニーは最終段階が気になるようで、顎に手を当てて考えている。
「エレメントテイルが味方というのは、心強い限りだ」
実際に戦ったことがあるので、シュバイドは頼もしさを感じているようだ。
「とくに何か変わるわけじゃないから、これまで通りで頼む」
「よろしく」
簡単な紹介を終えるころには、準備を始める時間になっていた。シンたちは他の面々と合流し、一階の食堂で朝食を取る。
時間には少し早かったが、港に向かうことにした。
「ハーミィさん、少し元気になったな」
「みたいだな。つうかなんで俺に聞く?」
「2人で留守番してからじゃないか? 笑うようになったの」
シンはヴィルヘルムと話をしながら歩く。シンにもわかるほど、ハーミィの視線はヴィルヘルムに向けられていることが多い。何かあったと考えるのは当然だった。
今はケーニッヒとミルトが護衛として立っている。
「少し話をしただけだ。何かあったわけじゃねぇよ」
「あの様子を見てたら、そうは言えないと思うけどな」
「知るか」
これ以上はまずいかと、シンはそこで追求をやめた。そのまま他愛のない会話をしながら歩いていくと、視線の先に船の帆が見えてくる。
出航が近いからだろう。港では屈強な体躯の男たちが、荷物を船内へと運び入れている。
「混んでるねー。ところで僕たちが乗る船ってどれなの?」
ミルトがきょろきょろと周囲を見回してシンに尋ねた。
「あの一番でかい船だ。昨日のうちに確認しておいたから間違いない」
シンは港に停泊している船のうちの一つを指差す。周囲の船より一回り以上大きいそれは、見ただけでかなりの物資を輸送できるのがわかる。
「すでに乗り込んでいる人もいるみたいね。私たちもいく?」
「とくにやることもないし、今のうちに乗ってしまおう」
ティエラに答えながら、シンは船に向けて歩を進める。一行が乗船口に着くと、乗客のチェックをしていた船員の1人がシンたちの方へとやってくる。
今にもポージングを始めそうな、鍛えられた筋肉を身に纏った大男だ。
「メディエル号へ乗船される方でしょうか?」
「はい」
「乗船証か、紹介状はお持ちで?」
威圧感のある見た目とは裏腹に、礼節のある対応だった。
シンが代表してベレットから預かっていた紹介状を見せる。船員は紹介状を受け取り、丁寧に開いて内容を確認した。
「……はい、けっこうです。ようこそメディエル号へ。お部屋までご案内いたしますか?」
「お願いします」
船長に見せるように言っていたベレットだが、船員まで話は通っていたようだ。
部屋に関しては、事前に黄金商会の使いに話をしてあった。船の大きさに見合っただけの客室があるようで、シンたちの要望もすんなり通った。
屈強な船員の背を追って、シンたちは船内を進む。到着したのは、頑丈そうな扉のある部屋だった。
部屋割りは男女で分かれる形だ。ハーミィには変装してもらっているが、なるべく人目に触れないように奥の部屋を選んだ。ずっと部屋に閉じこもっているわけにはいかないが、人の目の多い場所よりはましだろうという判断だ。
「少し船内を見てくるかな」
「くぅ」
立ち上がったシンに、ユズハが一鳴きして肩によじ登る。
「じゃあ、一緒に行くか」
ハーミィの護衛には事欠かないので、シンはシュバイドに一声かけて船内を歩くことにした。荷物の搬入の邪魔にならないように通路を選びながら、どこに何があるのかを確認していく。
シンが立ち入れる場所をあらかた見終えたところで、鐘の音が聞こえた。もうすぐ出発するという合図だ。思ったよりも時間がたっていたらしい。
そろそろ部屋に戻るかとシンが歩き出した時、曲がり角の向こうから誰かの声が聞こえた。
「これでやっと、姉上の病も治るのだな!」
「はい、きっと陽菜様もお喜びになるでしょう」
声の主は曲がり角の向こうにいるので姿は見えないが、声の高さからして少女とお付きの侍女か何かだろうとシンは予想した。船の規模が規模なので、従者を伴った客も何組か見かけたのだ。
ちょうど客室のある通路を通っていたので、周囲が静かだったせいのもあるのだろう。シンの耳に会話の内容ははっきりと聞きとることができた。
話の内容から察するに、姉の為に貴重な薬でも手に入れたといったところか。聞こえてくる声には、部外者のシンでもわかるくらい嬉しさが溢れていた。
「手に入れるのには、苦労したぅあっ!?」
「え……?」
曲がり角を曲がってきた少女が突然奇声を発したのを受けて、近くまで来ていたシンは動きを止めた。視線の先には、驚いたと顔全体で表現している少女の姿がある。見たところ中学生になったばかりといった風貌だ。
身長は140セメルくらいで、全体的に小柄な少女だった。背中まである炎のような深紅の髪が印象的だ。濁りのない澄んだ黒い瞳が、真っ直ぐにシンに向けられている。
「お嬢様?」
なぜか動きを止めている少女の後ろから姿を現したのは、侍を連想させる服装の女性だった。黒地に橙色の線で模様が描かれた籠手と脛当て。肩には大袖と呼ばれる防具、胸元には少し小さめの胴当てをつけている。
少女と比較して、身長は160セメル後半といったところ。腰辺りまであるだろう黒髪を、後頭部で縛ってポニーテールにしている。
「そちらの殿方が何か?」
女性は髪と同じ色の瞳をシンに向けてきた。鋭い視線は、彼女が見てくれだけではないと雄弁に語っている。
「いや、なんでもない。浮かれ過ぎていたようじゃ。気配にきづかなんだ。そちもすまぬな。わらわの不注意ゆえ、気にしないでもらいたい」
「はぁ……」
女性に声をかけてから、少女はシンに謝る。
空返事をしつつも、少女の回答にシンは内心ほっとしていた。自分を見る女性の目が、少々物騒に感じられたのだ。
「えーと、では、俺はこれで」
「うむ、よき旅を」
シンは軽く目礼してから、シュニーたちのいる部屋へと足を向ける。
男部屋に戻ると、ハーミィとケーニッヒを除く全員がそろっていた。
「もう出発するみたいだ。ハーミィさんとケーニッヒさんは?」
「ハーミィちゃんが船酔いしちゃったから、付き添ってるよ」
シンの疑問に、水を飲んでいたミルトが答える。馬車では酔わなかったようだが、船はだめだったようだ。
「あまりひどくはないので、横になっていれば大丈夫でしょう」
症状を見たらしいシュニーが補足した。
「シンは船内を見て回っていたのだろう? 何か気になるものはあったか?」
「いや、これといったものはないな。怪しい密航者もなしだ」
マップ機能の応用で船倉の中の木箱に人が隠れていないことは確認済みだ。ゲーム時代はそこにNPCが隠れていて、海賊に襲われると同時に中からも襲われるというイベントがあったのだ。
今後の予定を軽く話し合ってから、各自自由行動となった。
シンは外の景色でも見ようと、デッキに向かうことにした。
「あ、僕も行くよ」
「私も」
「くぅ」
歩き出したシンに、ミルトとティエラがついてくる。ユズハはシンの肩の上だ。
船内探検中にもデッキには行ったが、道順を確認しただけだったのでどのような景色が見えるのかシンにはまだわからない。
「デッキに出ると、風が強くなったように感じるな」
「いい風だね」
「あ、何かいるわ!」
デッキの端から海を見ていたティエラが何か見つけたようだ。シンとミルトもデッキの端に近づいて、ティエラの指し示す方へ視線を向ける。
「ヒーロードルフィンだね」
「相変わらずカラフルだな」
ティエラが見つけたのは、ヒーロードルフィンというイルカ型モンスターだ。戦隊物をイメージしたのか常に5、6匹の群れで行動している。赤、青の個体は固定で、残りは黄や緑、白、黒、ピンクといったバリエーションがある。
「あ、珍しい。ゴールドがいるよ」
「おお、本当だ」
ミルトが指差した先には赤い個体を先頭に、青、白、黒、金のヒーロードルフィンが船に並走する形で泳いでいた。
ヒーロードルフィンは基本的に攻撃を仕掛けなければ何もしてこない。ノンアクティブとも言われるモンスターだ。シンたちの視線の先にいるヒーロードルフィンも、ほとんど現実世界のイルカと変わらない。
ミルトが声を上げたのは、金色のヒーロードルフィンはなかなか見ることができない個体だからだ。
「1匹だけ、すごく光ってるわね」
「強さはたいして変わらないけどな」
倒すと他のヒーロードルフィンよりも多少貴重なアイテムが手に入る。プレイヤーからは、見つけると運気が上がると言われていた。
「ん? おい、ティエラ。どうしたんだ?」
ヒーロードルフィンを見ていたシンが視線をもどすと、ティエラが海面をじっと見つめていた。
「いえ、こうして見ると、地面に足がついてないのを実感しちゃって」
船に乗るのは初めてと言っていたので、海を見ているうちに不安になってきたようだ。
「よほどのことがなきゃ沈まないから安心しろって」
船にはスキル保持者がかけたと思われる強度を上げるスキルがかかっている。海特有の巨大なモンスターに体当たりされても、そう簡単には沈没しない。
「わかってるつもりなんだけど、慣れるまで落ち着かないわ」
こればかりはすぐにとはいかないようだ。
シンたちはしばらく景色を眺めた後、部屋に戻った。
航海は目立ったトラブルもなく、一度補給のために港町によった以外はこれといったイベントはなかった。
あえて挙げるとすれば、同じ船に乗っていることもあってシンは何度か通路で出会った2人に会う機会があったことくらいだろう。互いの名前も知らないのは不便だと、簡単な自己紹介はすませていた。
独特の口調の少女の名前は九条奏。レベル159の弓術士だ。
侍の女性は三枝花梨。レベル221の侍で、奏の護衛だという。戦ったわけではないので確証はないが、シンはどちらも年齢にそぐわない強さを持っているように感じられた。選定者なのかもしれない。
「今日はなんだか天気が悪いですね」
「うむ、荒れそうじゃの」
曇天の空を見ながらつぶやいたシンに、奏が相槌を打つ。その横には花梨もいる。
もうすぐ夕暮れ時だが、ぶ厚い雲に遮られて沈みゆく太陽を見ることはできない。
「そういえば、お二人はヒノモトに向かうんですよね」
「そうじゃの」
「機会があれば行ってみたいと思ってるんですが、どんな国なんですか?」
折角なので、ヒノモトについて聞いてみることにした。国名もそうだが、2人の名前も日本を彷彿とさせる。
「ヒノモトの起こりは天変地異によって大陸から切り離された島を、いくつかの集団が治めたことが始まりと言われておる。現在は東西をそれぞれ九条、八重島の2家が代表として取り仕切っている」
ベイルーンへの護衛で一緒になったドラグニル、ガイエンの言っていた各ギルドは、要所要所を治めるにとどまっているようだ。
「なるほど……ん? 確か奏さんも九条ですよね」
「その通りじゃ、これでもヒノモトの東を仕切る九条家の人間よ」
「お嬢様、そういうことはあまり吹聴なさらない方がよろしいですよ」
「そうじゃが、こやつなら大丈夫じゃろう」
奏の発言に対して、花梨が苦言を呈していた。
シンにはよくわからないが、交流していたからか奏からは多少は信用されているようだ。花梨の方からも出会った当初のような猜疑心の籠った視線は感じない。
ちなみに奏に対して丁寧語なのは、そうしないと花梨から威圧感たっぷりの視線が飛んでくるからだ。
「自然の多いよき国じゃよ」
「故郷を思い出します。でも、そんな家のご息女が国の外に出ていいんですか? 護衛が花梨さん1人だけっていうのは、さすがにどうかと思いますけど」
「何も告げずに飛び出してきたからの。いろいろと事情があるのじゃ」
「九条家の方が冒険者になるなど、前代未聞です」
「そういうでない。もう手段がないのは花梨もわかっておるから、こうしてついてきてくれたのじゃろ?」
「それは、そうなのですが……」
渋い顔をしている花梨を見るに、奏の言う事情はヒノモトの外に出向かなければ解決できないことなのだろう。
「まあよい。目的のものは手に入れたのじゃ。後は帰るだけよ」
シンたちの降りる港町から、ヒノモトへの船が出ているらしい。
「雨が降ってきましたね」
天気が天気だけに、降るだろうとは思っていた。予想外だったのは、思っていたより雨足が強かったことと、急に風も強まりだしたことだ。
数滴の雫が落ちてきたと思った矢先に、土砂降りの雨が空から降り注いできた。強烈な風が吹き荒れ、その煽りを受けた海面が大きく波打つ。
それと時刻をほぼ同じにして、シンの感知範囲にモンスターの反応が複数現れた。すさまじい速度で船に向かってくる。
「モンスターが近づいてきます。まっすぐこっちに向かってきているようです」
「何じゃと? 花梨は感じるか?」
「いえ、まったく」
シンの感知範囲はスキルの併用もあってかなり広い。花梨たちがどの程度感知できるのかシンにはわからないが、感知できるとしてももう少しかかるだろう。
「信じてもらえるかわかりませんが、反応は10。かなり大きいです」
シンは奏たちに説明しながらシュニーに心話をつなぐ。シュニーたちもモンスターの接近は感知していたようで、フィルマが船長に話をしにいっていると返事が来た。
シュバイド、ヴィルヘルム、ティエラの3人はシンたちのいるデッキに向かっているらしい。
「もうすぐ俺の連れが来ます。奏さんたちはどうしますか?」
「船に向かってくるとあっては部屋に閉じこもったところで意味はあるまい。幸いわらわは弓が使える。防衛に手を貸そう」
「私も微力ながらお手伝いします」
奏はずぶぬれの着物の懐から1枚のカードを取り出して具現化した。次の瞬間、奏の手に握られていたのは伝説級中位の弓、『金剛烈弓』だった。長弓に近い大きさの弓で、矢の入った矢筒とセットになっている。同じ大きさの弓と比べて射程が長いのが特徴だ。
花梨も奏と同じく武装を具現化しており、左手には赤い鞘に納まった刀が握られている。伝説級中位の刀、『朱蘭』だ。炎属性を帯びた刀である。
「間に合ったか」
「ぎりぎりだがな」
「は、早いです……」
シンも禍紅羅を具現化して構えたところでシュバイドとヴィルヘルム、ティエラの3人がデッキに姿を現した。ティエラの足元にはカゲロウとユズハもいる。防御と遠距離攻撃ができるメンバーだ。
「他の奴らは?」
「ハーミィ殿は部屋にいる。護衛としてケーニッヒ殿とミルト殿には残ってもらった。フィルマは船長に伝令に、シュニーはハーミィ殿の防御を固めてから来る」
ミルトは水の精霊の使い手。海の上ということで、万が一を考えて残ってもらったようだ。
「何がくるかわかるか?」
「モンスターの反応が出たのと天気が荒れだしたのがほぼ同じ。そこから考えられるのは、サーペント系か軟体動物系だな」
ヴィルヘルムの問いに、シンはすぐに考えつくものを挙げた。
モンスターの中には、出現と同時に天候に影響を与えるものがいる。シンの言った系統のモンスターは、嵐とともに現れることが多いのだ。
「お客様! 我々が対処します。船内へお急ぎください!」
フィルマから聞いたのか、独自に感知したのか。船員がシンたちに退避するように言ってくる。
モンスター迎撃要員も兼ねているのだろう。船員の手には弓や杖、銛などが握られていた。
「我々も手伝います」
「しかし……っ!? わかりました。ご協力感謝致します!」
渋るそぶりを見せた船員だったが、シンたちの佇まいや武装を見て考えを改めたようだ。嵐のせいで揺れる船は、足場としては少々心もとない。相手にもよるが、迎撃する者は多いに越したことはないと判断したのだろう。
「きます!」
シンの声よりわずかに遅れて、海面が大きく盛り上がる。そして、荒れる海の中から巨大なモンスターが姿を現した。
「ゲイル・サーペントか!」
海面から顔を出してシンたちを睥睨しているのは、海嵐竜とも呼ばれるモンスター、ゲイル・サーペントだった。
系統としては竜に分類され、水のブレスや咆哮、体当たりなどの攻撃を主としている。
レベル帯は500~600だが、海という不安定な戦闘場所が災いして、レベル以上の強さを発揮することの多いモンスターだ。
「まさか、こんなに?」
「ヒノモトに帰るだけというこのタイミングで」
次々に姿を現すゲイル・サーペントの姿に、奏と花梨は歯噛みしていた。いくら船が頑丈でも、10匹ものゲイル・サーペントを相手にしては、転覆は免れないと考えたのだろう。
実際、デッキに出てきた船員も、顔を真っ青にして立ちすくんでいる。
「ヴィルヘルム! ティエラ! あいつらを近づかせるなよ! シュバイドはあいつらの遠距離攻撃を防いでくれ!」
シンは声を上げながら禍紅羅を一閃。鎚術風術複合スキル【虎狼打ち】の発動によって生じた強烈な烈風による一撃が風雨を吹き散らし、船を囲むゲイル・サーペントの1体の頭を叩き潰した。
強い風と叩きつける雨の中でも耳に届く、強烈な打撃音がデッキにいたすべての人の耳朶を打つ。
数秒の時間を置いて、頭部のひしゃげたゲイル・サーペントがゆっくりとその身を海中へと沈めていった。
「とっとと終わらす!」
「私だって!」
シンの攻撃に続いてヴィルヘルムがヴァキラを投擲し、ティエラが矢を放った。
仲間が一撃で殺されたことに動揺していたせいで、動きの止まっていたゲイル・サーペント。それでも高レベルモンスターの反応速度は伊達ではないのか、巨体に似合わぬ俊敏さで射線から身をかわす。しかし、反応が遅れたのはどうしようもなく、最も船の近くにいた個体の片目を矢が、胴体をヴァキラが貫いていた。
「――――――――――ッ!?」
こちらは即死とはいかなかったようで、金属をこすり合わせたような悲鳴を上げてゲイル・サーペントが水中に姿を消す。
「おぬし、只者ではないようだの」
シンの動きに驚いていたのはモンスターだけではなかったようで、水面から顔を出そうとしたゲイル・サーペントに矢を射ながら奏が話しかけてきた。
ただの冒険者ですよと返して、シンは感知に注意を向ける。ゲイル・サーペントは船を中心に泳ぎながら、接近と後退を繰り返していた。
「なんだか、船の揺れが大きくなってませんか?」
「おそらく、先ほどのモンスターが何かしているのでしょう」
花梨も違和感を感じていたようで、シンの言葉にうなずいた。
「ちっ、やつら潜って姿をみせねぇぞ」
「ねぇシン! このまま船がひっくり返ったりしないわよね!?」
近づいてきているにもかかわらず、より強さを増した風雨でティエラの声がかき消されそうになっている。心配するのももっともで、船員でも支えなしで立っているのが難しいほどの揺れが船を襲っているのだ。
誰もが手すりや帆柱に手をかけたり、デッキの床に武器を突き立てたりして凌いでいる。
まともに立っているのはシンとシュバイドくらいだった。
「シン! どうやら仕掛けてくるようだぞ!」
シュバイドの声にシンが周囲に視線を走らせると、9匹のゲイル・サーペントが海面から顔を出して大きくあけた口を船へと向けていた。
「ブレスか。シュバイドは正面を頼む。俺は裏を守る」
船の上を最短距離で移動しながら、シンはシュバイドの持っているものと同じ『大衝殻の大盾』を取り出す。そして、対空用の攻撃遮断障壁を最大出力で展開した。
空中に出現する六角形をつなぎ合わせた障壁が、ゲイル・サーペントの放った水のブレスを弾き返す。
「くそ、雨と風で狙いがずれるな」
「補助する?」
「頼む」
ブレスを防ぎながら魔術スキルによる攻撃を仕掛けたシンだが、暴風雨に船の揺れ、さらにゲイル・サーペントが距離を取っていることもあってなかなか命中しない。
弓を使うティエラや奏も、満足に狙撃できていなかった。
それを見たユズハが、補助を申し出てくる。シンは素直に頼ることにした。
「初めの一撃でもっと数を減らしとくべきだった」
分かっていたつもりだが、嵐の船の上というのはシンが思っていた以上に戦いにくかった。雲で光が遮られ常に薄暗く、風と雨で視界は悪い。船が揺れて足場は悪く、モンスターを攻撃しつつ船も守らなければならない。
シンたちは船が沈んでもやりようはあるが、全員は救えないだろう。このままではジリ貧だった。
あらためて、初撃でスキル選択を間違えたことが悔やまれる。
「くぅ」
ユズハが一声鳴いて、スキルを発動させる。それに伴い、風と雨が一時的に弱くなる。
「ここまできたら、ためらってる場合じゃないか。ユズハ、こっちの防御を頼むぞ!」
「りょーかい」
チャンスとばかりにブレスが途切れた瞬間、シンは船から飛び出す。
「シン殿!?」
背後から声が聞こえて振り向くと、奏と花梨が手すりにつかまってシンを見ていた。前方に援軍が来たのだろう。数の少ないシンの方へ駆け付けたようだ。
「海に落ちるなよ!」
必要ないだろうなと思いつつ、シンはそれだけ告げて海面を蹴る。
「あれはっ!?」
花梨の驚いた声を背に、シンは海面を爆散させながらゲイル・サーペントに肉薄した。
移動系武芸スキル【水面渡り】が発動しているうちは、水の上を足場にして戦うことができる。
まず狙ったのはティエラの矢が片目に刺さったままの個体。死角となっている方向から禍紅羅を叩きつけ、その首を抉り斬る。
「1匹目!!」
さらにその場で一回転。斬り飛ばしたゲイル・サーペントの首を蹴り飛ばし、隣にいた1匹に激突させた。
「――――ッ!?」
ゲイル・サーペントの体勢が崩れたところに、光術系魔術スキル【アヴライド・レイ】を発動。ゲイル・サーペントに向けて放たれた光線は、風雨が弱ったことで正確に2匹分の頭部をまとめて撃ち抜いた。
「2匹目!!」
残るゲイル・サーペントは7匹。
シンがさらに1匹をしとめようと視線を巡らせたところで、船の前方から爆音が響いた。薄闇の中で、銀の光が煌く。
マップを見れば、船の前方にいた5匹のうち既に3匹分の反応が消えていた。援軍はシンの予想通りの人物だったようだ。
「このまま一気に――――ん?」
殲滅と言いかけて、シンは襲ってきたゲイル・サーペントとは別の何かが近付いてくるのを感知する。数は2。ゲイル・サーペントよりも早い速度でシンたちの方へと向かってきていた。
『シュニー! シュバイド! 2匹追加だ!』
さらに1匹を追加で屠りながらシンは心話をつなぎ、新たに近づいてくるモンスターがいることをシュニーたちに伝える。
『こちらでも確認しました。それにしても、これほどの襲撃があるとは』
『まったくだ。我らがいなければ、今頃沈んでいるぞ』
やれやれといった雰囲気を込めた心話が2人から返ってくる。戦いにくい状況ではあるが、どちらも切迫した様子はなかった。
シュニーとシュバイドがいる以上、船の守りに関しては万全だろう。
「別れたか」
船へと向かっていた2つの反応は途中で2手に分かれ、前方と後方に1匹ずつ近づいてきた。海面が一際大きく膨れ、弾けるのと同時に、一回り大きなゲイル・サーペントが姿を現す。
「なるほど、クイーンとキングか」
先に現れた10匹とは明らかに違う見た目に、分析が発動するよりも早くシンはその正体を看破した。
――――ゲイル・サーペント・クイーン Lv.702
シンの発言とほぼ同時に、モンスターの詳細が表示される。
予想通り、表示された名前にはクイーンの文字があった。前方に向かったのがキングなのだろう。
キング、クイーンと名のつくモンスターは数多く、そのほとんどが同系列の配下を連れている。
「このあたりに、巣でも作ってたのか」
モンスターにも縄張り意識があるのは確認済みだ。キングとクイーンというからには番なのだろう。となれば、船を先に襲ったのは子供なのかもしれない。
「なんでわざわざ船を襲うかね。獲物ならほかにもいるだろうに」
強大なモンスターに追いやられたか、狩りの練習台にでもするつもりだったのか。シンには判断がつかないが、どちらにしろやることは同じだ。
獲物に狩られるのもまた、自然の摂理なのだから。
「悪いが、船をやらせるわけにはいかないんだよ」
シンはクイーンに向かって海上を走る。ブレスをかわし、禍紅羅を叩きこもうとしたところで、海面が不自然な動きを見せた。
うねるように波打つ海面はシンとクイーンの間に津波を発生させ、強制的に距離を取らせる。さらに、津波に呼応するように、60セメルはある錐状の海水が大挙してシンに襲いかかった。
「アクア・ランスか。悪いがきかねぇよ」
全方向から迫る海水の槍の一点に向けて、シンは跳ぶ。実在する海水を使うことで威力と数、魔術抵抗への耐性を増したアクア・ランスだが、それで止められるほどシンは甘くない。槍衾のように並び立つアクア・ランスを、禍紅羅の一振りで粉砕し突破する。わざわざすべてを相手にする必要などないのだ。
「出てきてそうそう悪いが」
再度放ってきたブレスをかわし、津波を叩き割ってシンはクイーンに肉薄した。
禍紅羅の柄を両手で持ち、引き絞るように構える。
「これで退場だっ!!」
叫び声とともに、シンは禍紅羅をクイーンの頭部に叩きつけた。風を掻き消すような轟音とともに、クイーンの頭部が大きく陥没する。
鎚術系武芸スキル【剛撃】による威力強化は、クイーンといえど耐えられるものではなかったようだ。
上位種であり、兜のような甲殻を纏っていたことで頭部が爆散するまでにはいたらなかった。しかし、衝撃を殺しきることもできなかったようで、クイーンはぐらりと体を揺らすとそのまま海面に倒れ、力なく波に浮かぶのみとなった。
「なんじゃあれ、わっ!?」
シンの戦いを見ていた奏が、突然のゆれにバランスを崩す。その声にシンが振り向くと、船の下にゲイル・サーペントの影があった。
「船を沈める気か。これだけやられたんだ、とっとと退却しろよ」
思惑通りにさせるつもりはない。シンは即座に海中に潜り、船底に体当たりをしようとしていたゲイル・サーペントを殴り飛ばす。
しかし、水中という環境が味方したのかゲイル・サーペントは即死にはいたらず、身をくねらせてシンから距離をとった。
「さすがに地上と同じようにはいかないか」
この世界に来て初の水中戦というのもあるのだろう。シンの手に伝わってくる手ごたえも、いつもより軽い。
「それに、水流も厄介だ」
体がもっていかれそうになるのを、水を蹴るように移動して回避する。目には見えない水の流れが、シンの周囲を取り巻いていた。
しっかりとした足場のない海中は、ゲーム時の感覚を残しているシンでも気を抜けばどこを向いているのかわらなくなりかねない。
シンは一旦海面へと向かい、海水を吹き飛ばしながら空中に飛び上がる。
そして、今まさに海へと飛び込む奏の姿を目撃した。
「おいおい何やってんだ!?」
シンの見ている先では、奏を追って花梨も海へと飛び込んでいた。奏に目を取られていたが、よく見れば船がかなり急な角度に傾いている。
奏と花梨を追いたいところだが、船をそのままにはできない。
シンが移動系武芸スキル【飛影】で船に近づこうとしたところで、船の底周辺の海水が一気に凍りついた。氷は船を覆うように広がり、周囲の海水と合わせて浮き輪のような役割を果たしている。
波は高いが、船を覆う氷ごと転覆させるほどではない。氷が砕かれない限り、転覆することはないだろう。
「向こうももうすぐ終わるな」
空中にいたシンは、キングに向かって放たれる深紅の斬撃とフィルマの反応に戦闘はじきに終わることを確信した。
「だったら俺は――っと!」
ならばと奏と花梨を追おうとしたシンに、ブレスが飛んでくる。先ほど倒し損ねた個体が、シンを狙ってきたようだ。
「この忙しいときに!」
シンは一度空中を蹴ってブレスをかわす。さらにブレスを放ってきたゲイル・サーペントに指を向けて、魔術スキルを発動させた。
薄青色の閃光がゲイル・サーペントごと海水を凍らせ、巨大な氷柱を作りだす。
光術水術複合スキル【フリージング・レイ】
速度に優れた光線に氷結の効果をもたせた魔術スキルが、ゲイル・サーペントの体内まで凍てつかせる。数秒の後、氷柱は大小の氷塊となって砕け散った。
「時間をとられたか。大分離れちまった」
2人の反応を確認したシンは、海面に向けて落下しながら愚痴る。シンが思っていたよりも、はるかに高速で2人が流されているのだ。
『シュニー、俺は海に落ちた奴を拾ってくる。そっちは任せていいか?』
『わかりました。残りはもうすぐ殲滅できます。気をつけて』
シュニーと心話をかわして、シンは海面を蹴る。さらに空中を跳んで距離を稼ぎ、着水後は波をジャンプでかわしながら海上を駆けた。
「ぎりぎりだな」
奏と花梨は海流につかまったようで、シンの感知限界一歩手前のところまで移動していた。流れに翻弄されているのだろう。2人の反応はある程度方向性があるとはいえ、描いている軌道は全く安定していない。
「このまま追うと、船には戻れないか」
2人の移動速度と船までの距離を考えて、シンはそう結論を出す。すでに船の位置はシンの感知範囲の端に近くなっているのだ。このまま進めば、花梨に追いつく前に船の位置を見失う。
「ハーミィさんたちには悪いが、行かせてもらう」
船への帰還を優先し、見捨てるという選択肢もある。
しかし、シンは船旅の中で2人とは少なくない言葉をかわし、何のために旅をしてきたのか知ってしまった。その理由は、シンにとって他人事と切り捨てることができない。
ゆえに、シンは船への帰還よりも2人の救出を優先することにした。
「まずは花梨さんだ」
海に跳び込むのが遅れたからか、シンが先に追いついたのは花梨だった。海面に着水すると同時に【水面渡り】を解除し、海中に飛び込む。
体にまとわりつく海流を引きちぎるように進み。縦に横にと翻弄されていた花梨を捕まえる。
「余裕はなさそうだな」
シンは花梨に【潜水・Ⅹ】をかけ、進む速度を上げる。
胴体に腕をまわして固定しているのだが、花梨から反応が返ってこないのだ。海に飛び込んでからの時間を考えれば、息など続いているはずもない。溺れたようだ。
「助けに来たのに両方死んだとか、勘弁だからな!!」
シンは叫びながら海中を驀進する。奏を視界にとらえるとアイテムボックスから白羅丸を取り出し、海水の抵抗をものともせず高速で上下に振った。
刀術水術複合スキル【水底割り】
V字に振られた斬線をなぞるように、海が割れる。
シンは花梨を抱えたまま空中に飛び出し、縦になった海面を蹴った。さらに空中を一蹴り。奏めがけてV字の中心、切り取られた海水の中に突っ込んだ。
「こっちもか」
白羅丸をくわえながら左腕に花梨、右腕に奏を抱えたシンは、海水が元に戻る前にもう一度縦に裂けた海面を蹴る。空中に飛び出したシンは【千里眼】を発動させて周囲を見渡す。
2人を追うことに集中していたシンは、自分がどこにいるのかもわからない。近くに陸地がないか視線を飛ばすと、ちょうどシンの右側にそれらしき影が見えた。
「もってくれよ!」
走る、走る。
大きな水飛沫を残して、一直線に陸地に向かう。近づくにつれて、陸地の様子が見えてきた。
雨雲は陸地まで届いていないのか、シンの進行方向にある海岸の波は穏やかだ。
砂浜までたどり着いたシンは、すぐに2人を寝かせて呼吸と脈を確認する。
「そりゃないよな」
2人とも心肺停止状態だ。
焦る気持ちを抑えて、シンは対処方法を考える。分析では2人ともHPがゆっくりとゼロに近づいているのがかわる。速度はほぼ同じだが、花梨の方はどこかでダメージを受けたのか1割ほど多くHPが減っていた。
現状シンが考えついた対処方法は、ヒールをかけながらの人工呼吸だけだった。
先に奏に対して人工呼吸を行う。わずかではあるが、奏の方が早く海に飛び込んだ。幼いことも考えて、より緊急性があると判断した。
「けほっ! ごほっ!」
「よし、まず1人!」
思っていたよりも簡単に息を吹き返した奏に安堵しつつ、楽な姿勢にさせて水を吐き出させる。
奏のことはそこでいったん保留し、シンは花梨にも人工呼吸を施す。こちらは簡単にはいかず、おぼろげな記憶を頼りに心臓マッサージと人工呼吸を繰り返した。
「ぅ、ん……? おぬし、なにをして――――」
奏が何か言っていたが、集中しているシンの耳には入らない。
息の強さはこのくらいでいいのか。心臓マッサージの力加減と回数はあっているのか。蘇生可能な時間は残されているのか。
そんな考えで頭の中はいっぱいだ。
「っごほ! かはっ」
「よぉし!」
シンの処置に効果があったようで、花梨も息を吹き返す。
海水を吐き出す花梨を見て、叫ぶと同時にシンは体の力が抜けたような気がした。
「生きた心地がしないってのは、このことだ……」
大きく息を吐き出しながら、シンはつぶやく。救命措置など、うろ覚えの知識でするものではない。
呼吸が落ち着いた花梨が目を覚ましたので、シンは2人に休んでいるように言ってから枯れ木を集めることにした。シンたちのいる場所は雨が降らなかったらしく、枯れ木も湿っていなかったのですぐに十分な量が集まった。
枯れ木を集める際に、体を休めることができそうな小屋や洞窟も探す。
「お、いい感じの場所があるな」
距離は少しあるが、いかにも自然にできたといった風体の洞窟を発見した。ある程度の奥行きがあるので、雨が降っても大丈夫だろう。
シンはアイテムボックスに枯れ木を入れて、海岸に戻った。
「向こうに洞窟があります。日が暮れないうちに移動したほうがいいと思うんですが、歩けますか?」
「わらわは大丈夫じゃ。花梨は、まだ動くのはつらいであろうな」
海に落ちてからの時間はあまり変わらない2人だが、体力の消耗は花梨の方が上のようだ。蘇生処置と同時にかけたヒールでHPは回復しているが、どちらも体調がいいとは言えない。HPが回復したからといって、体調まで元通りとはいかないようだ。
すでに海岸線に太陽が沈み始めようとしているので、一言断ってからシンはまだぐったりとしている花梨を背負う。奏は歩けるくらいには回復していたので、負担をかけないようにゆっくりと洞窟へ向かった。
洞窟に着くと、花梨をおろして焚き火の準備を始める。
「ゆるめにファイアを使って……よし、火がついた。奏さん、これで暖まって…………オフタリハナニヲシテイルンデスカ?」
焚き火に火がついたことを知らせようと振り向いたシンの目に映ったのは、鎧を脱がされ着物がはだけている花梨の姿だった。濡れた髪が張り付いた頬とさらしの緩んだ胸元が、現状にそぐわない色気を放っている。花梨は着痩せするらしい。
状況からして、奏が脱がせたようだ。
「濡れたままの服を着せておくわけにはいくまい。殿方の前で肌をさらさせるのは忍びないが、今は花梨の体を温めるのが優先じゃ」
「ごもっとも。なら俺は代わりの服とタオル、敷物を提供しましょう」
シンとてこの状況で花梨をじろじろ見る気はない。後々追求されそうだが、そこは仕方がないことと割り切ってカードからアイテムを具現化した。敷物代わりに出した毛皮のマントは、HP自動回復の効果がある。疲れがとれるかは謎だが、ないよりはましだろう。
「こうもたくさんのカードを持っておるとは。やはり、おぬし只者ではないのう」
「そんなことよりも、今は体を休めることが先です。奏さんも、消耗しているでしょう。警戒は俺がしますから、休んでいて下さい」
シンが着ている服は基本的に水中モード搭載なので、ほとんど濡れていないのだ。消耗もほとんどない。
焚き火で暖まってきた洞窟内は、何もなかった頃よりはましになっている。
「くしゅんっ!」
焚き火にあたっていた奏のくしゃみが、洞窟の中に響いた。いくら火が近くにあるとはいえ、全身ずぶ濡れでは体が冷えるのは避けられない。
奏にも着替えるように言って、シンは洞窟の外に出た。奏たちが着替えている間に、野生動物やモンスターがよってこないようにモンスター除けのアイテムを使う。モンスターの中にはそれでも近づいてくるものがいるので、念のため洞窟の中に入った瞬間ダメージを与える罠も設置しておいた。
「もうよいぞ!」
シンが洞窟の中に戻ると、着替えの終わった奏と毛皮にくるまって眠る花梨の姿がある。とりあえず、シンはロープの両端を短剣に括りつけて壁に突き刺し、濡れたままの着物を干すことにした。
「世話をかける」
「まあ、困った時はお互いさまということで。奏さんも少し眠ったほうがいいですよ。疲れてるでしょう?」
「しかし……」
「警戒は俺がしておきます。今は回復第一ですよ」
奏の目蓋はすでに落ち始めている。すでに限界に来ているのだろう。
「この礼は、かならず……」
奏が寝息を立て始めたのを確認して、シンは焚き火の近くに腰を下ろす。
(溺れたとはいえ、海に落ちただけにしてはおかしなくらい疲労してる。溺れた人の反応はこれが普通なのか? それとも異常なのか?)
目の前で人が溺れたのは初めてなので、シンにはこれが普通の反応なのかそうでないのかの判断がつかなかった。
ただ、2人が海に落ちてからシンが蘇生処理をするまで、10分ではきかない時間がかかっている。一体どれだけの時間心肺停止状態だったのかはわからないが、助からない確率の方が高かったのではないかとシンは思った。
(2人とも、たぶん選定者だ。ステータスやレベルが高いと、今回みたいな時の蘇生率が上がるのか?)
そんなことを考えながら、シンは2人が起きるのを待つ。その間にシュニーに連絡をしておくことにした。
『こちらシン。今大丈夫か?』
『ご無事でしたか。こちらはすでに風雨も収まったので再出発しています。海に落ちた方は大丈夫でしたか?』
ゲイル・サーペントも全滅させたらしい。シンたち以外は、幸いにして海に落ちた者はいないとのことだ。
シンは自分たちの状況を伝え、ハーミィの護衛を優先するように言った。
『わかりました。では、詳しい場所が分かりましたら連絡をください。その時に合流する場所を決めましょう。それと、ユズハが少々落ち着きをなくしているので、そちらに呼んでいただいていいでしょうか?』
『ユズハが?』
『シンに任されたのに2人が海に落ちてしまったので、落ち込んでいるようです』
『あー……あれはユズハのせいとは言えないと思うが。まあ事情はわかった』
シュニーが伝えてきた内容に、シンは了承する旨を返す。
奏の様子は落ちたというより飛び込んだといえるものなので、ユズハが責任を感じることではないとシンは思う。だが、ユズハ自身はそう思えないのだろう。
落ち込ませているのも悪いので、シンはユズハに心話をつなげて調教師のスキルですぐに呼び出した。
「くぅ……」
「そんなに落ち込むなって、あれはユズハのせいじゃない」
心なしか力のない鳴き声のユズハを撫でながら、シンは語りかける。シンとしても、なぜ奏が海に飛び込んだのかは疑問だったのだ。見た限りでは、間違いなく自分から飛び込んでいたのだから。
「んぅ……」
2人が目を覚ましたのはそれからおよそ2時間後だった。先に目を覚ましたのは花梨で、少し遅れて奏も目を覚ます。
体を休めたからか、はたまた装備の効果か。目を覚ました後の2人の体調はすっかり良くなっていた。
「この度は、お嬢様の命を助けていただき、誠に感謝いたします」
「わらわもじゃ。そちがいなければ、今頃海の藻屑となっていただろう」
「見捨てるのも後味が悪かっただけですよ。それよりもこれを。そろそろ夕食の時間です」
頭を下げてくる2人に、過度な礼はいらないと返しながらシンは大きめの椀を差し出す。
2人が眠っている間に、シチューを作っておいたのだ。材料を切って、カード化してあったルーを入れ煮込むだけという簡単仕様である。
「重ね重ねかたじけない」
「それにしてもこれは美味いのう。五臓六腑に染み渡るようじゃ」
「材料を切ったら後は調味料を溶かすだけの簡単な料理ですよ」
そう言いながらシンも椀にシチューを盛り付けていく。ユズハ用の椀も忘れない。
2人はユズハがいることに驚いていたが、契約を結んでいるので呼び出せるのだと聞くと納得していた。ヒノモトにも似たような技を使う者がいるらしい。
食事が終わった後は、寝るまで少し話をすることにした。
「とりあえず、明日は近くに集落でもないか探すところからはじめるかの?」
「そうですね。自分たちの居場所もわからないのでは、移動のしようもありません」
「あ、一応どこの国にいるかはわかりますよ」
2人の会話に、シンが割り込む。洞窟の外に出た際に、特徴的な山を発見したのだ。
「そうなのか。して、ここはどこなのじゃ?」
「ヒノモトですよ。お二人の故郷です」
「シン殿。なぜわかるのですか?」
「外に出た時に、見えたんですよ。霊峰フジはヒノモトの象徴、なんですよね?」
霊峰フジは第5次アップデート【刃たちの宴】で実装されたマップだ。その再現度は現実の富士山とほとんど変わりないといわれており、シンも一目でそれがフジだとわかったくらいだ。
バルメルで霊峰フジがヒノモトの象徴だという話を聞いていたシンは、すぐに自分たちのいる場所がどこか知ることができた。
「確かにそうじゃ。となるとわらわたちがいる場所もおおよその見当はつくのう」
「はい。ヒノモトについているならば、戻りようはあります」
シンは港がある街を目指して、シュニーたちと合流するつもりだ。奏と花梨の装備は失われていないので、シンが同行しなくても問題ないだろう。
「行き先のあてができたところで、奏さんに聞きたいことがあります」
ユズハのこともあるので、シンはさっさと聞くことにした。
「なんじゃ?」
「船から海に飛び込んだのはどうしてですか? 命の危険があるのはわかっていたと思いますが」
いくつか予想は立てられるが、所詮予想でしかない。
若干言い辛そうにしていた奏だが、黙っているわけにもいかないと思ったのかおずおずと話し始める。
「実は、我が姉のために手に入れた薬草が、風に飛ばされてしまってのう。なくしてはいかんと肌身離さず持っていたのが仇になってしもうたんじゃ。すまなかったと思うておる」
そう言って、奏はシンと花梨に頭を下げる。危険だとわかっていても、とっさに体が動いてしまったようだ。
「とはいえ、結局これだけしか残らんかったが」
奏の手に握られていたのは、緑の中にわずかな赤色が混ざった植物の葉だ。
植物の名前は『シノハグサモドキ』。文字通り、『シノハグサ』という植物に似た外見の偽物である。
鑑定で表示された名前を見たシンの中で何か引っかかるものがあったが、明確な形にならなかったので話を促す。
「姉は少々特殊な病にかかっておっての。もうあまり時間が残っていないのじゃ。この薬草を使った薬が特効薬になるのじゃが、わが国では取れん上に商人もほとんど扱っておらんでな。ようやっと手に入れられたのじゃ」
特殊な病、特効薬、シノハグサ。話の中ででたピースを、シンは自身の知識と照らし合わせる。
「とはいえ、この量では時間を延ばすくらいしかできんがの」
「お嬢様……」
肩を落とす奏を、花梨が励ます。国内の商人も手を尽くしているらしい。
(どっかで聞いた気がするんだよな。クエストか?)
話を聞いたシンは、考え込むポーズを取りながら思考操作でメニューを開く。そして、メニュー内のイベント回想欄を選択した。これは過去に受けたイベントの詳細を見ることができるモードで、どのような内容でどんなアイテムが手に入ったかなどが記録されている。
その中で、シンはシノハグサが必要になるイベントをピックアップした。
(ヒットしたのは1件だけ…………これは、ビンゴか?)
シノハグサが必要となるイベントの内、病気が関係するのは1つだけだった。
ゲーム時はギルドで受けることができるクエストで、村人の為に薬を作るという数あるクエストの1つだ。主に錬金術師のジョブを持つプレイヤーが受けるクエストだった。
シンはスキルの向上よりも、クエスト報酬の方に用があったので受けていたのだ。
(言うべきかどうか、迷うな)
シンはイベントの内容を見て2人に察せられない程度に顔をしかめた。もしシンの調べた内容通りなら、奏の持っているシノハグサモドキでは何の効果もない。
姉の病状が分からないので、迂闊なことは言えなかった。今言ったところで、延命の希望を断つ意味しかないのだ。
「湿っぽい話をしてしまったのう。そろそろ明日に備えて眠ったほうがいいじゃろう。今宵は我らが火の番をする。シン殿は先に休むとよい」
「私とお嬢様が交代で番をしますので、シン殿はゆっくり休んでください」
「いや、そういうわけには」
「わらわたちを海から引き揚げるのは重労働だったはずじゃ。疲れておるじゃろ。なに、我らも一般人とは鍛え方が違うゆえ、モンスターごときに後れは取らぬ」
自信満々に奏は言う。シンとしては大した疲れもないのだが、ここで大丈夫ですといったところで互いの意見が平行線をたどりそうだと判断し先に休むことにした。
シンが横になって20分ほどすると、奏と花梨は洞窟の入口に向かう。
もしもの為に意識だけは保っていたシンはそれに気づき、念のため周囲を警戒するがとくにモンスターなどは感知できなかった。
(……泣き声?)
しばらくしてかすかに聞こえてきたのは、誰かの泣き声だった。
夜であり、焚き火の弾ける音以外は無音の世界で、段々と大きくなる声は途切れ途切れではあったが確かにシンの耳に届く。
「……んでじゃ! ……もう少し……たす……姉様…………理不じ……」
奏の声だった。
シンに話をしているときも、耐えていたのだろう。
家を、国を飛び出してまで助けたいと願った相手を、やっと助けられると思った矢先にゲイル・サーペントの襲撃だ。手に残ったのは助けるには不十分な量の薬草のみとなっては、泣きごとの一つくらいでる。
ましてや奏はまだ子供といってもいい年齢なのだ。心が折れてしまってもおかしくない。
『奏、泣いてる。悲しい?』
『そりゃ、な』
ユズハにも聞こえていたようだ。ゆっくりとユズハを撫でながら、気にせず眠るように言う。
(……放って…………おけるなら悩むわけがないか)
無関係と切り捨てられない自分に溜め息一つついて、シンは2人の手助けをすることを決めた。
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