『変わり続ける 人生をリポジショニング戦略』を上梓した出井伸之さんと、『シンプルに考える』の著者、森川亮さんの対談が実現しました。出井さんが会長兼CEOだった頃のソニーで森川さんが働いていたという、縁のあるお二人。「リポジション」を繰り返してきた二人の考える、ビジネスマンとしての人生戦略とは――。(構成:崎谷実穂 撮影:宇佐見利明)
会社にとって必要なことは、上司とぶつかってでも主張する
森川亮さん(以下、森川) 『変わり続ける 人生のリポジショニング戦略』を拝読して、出井さんが若い頃からご自身の立場や仕事を変え続けてこられたということを、改めて実感しました。入社して1年で休職して自費留学する、なんていうのは会社もびっくりするような選択ですよね。
出井伸之さん(以下、出井) まぁ、そうですよね(笑)。実は、入社前からそうしたいと、会社にお願いしてたんですが、今思えばソニーもよく許してくれたなと思います。懐の深い会社なんでしょうね。とはいえ、会社ともめたこともありますよ。僕が一番もめたのは、ソニー・フランスをつくるとき。本社の方針と僕の意見が対立したんです。駐在員だった僕は、現場を見て、長期的に考えてこうしたほうがいいという提案をしていたのですが、本社は短期的に利益が出るようなことをやろうとしていた。
森川 なるほど。それで、真向からぶつかったと。私も3年ほどソニーに在籍しましたが、上司の方針に納得できないときには、自分の意見を率直に言える雰囲気がありました。それは、ソニーのいいところでしたよね。
出井 そうですね。もちろん、何でもかんでも反対するわけではないですよ。だけど、何年かに1回は、信念を通さないといけないという場面にぶつかる。それは「自分がこうしたい」というよりも、「会社にとってこれがいい」ということ。一生懸命戦うに値すると思ったことについては、徹底的に議論しました。
森川 僕もはっきり意見を言う社員だったので、上司とぶつかることも多かったんです。お互いに率直に話し合って、戦いながら最善手を選んでいくような文化があったな、と思います。『シンプルに考える』にも書いたんですが、「相手に勝つ」ためではなく、「最善手を探す」ために議論を戦わせるのは、いい仕事をするうえで非常に大切なこと。組織に順応するために、自分の考えを表明しないのは、かえって組織のためになりません。
出井 そうですね。
森川 ところで、出井さんは早稲田大学と留学先のスイスでも経済学を専攻されてますよね? 出井さんは技術にもかなりお強いので、てっきり理系のご出身だと思っていました。
出井 たしかに、学校ではずっと文系でしたね。でも、入社後は事業部門の責任者になりたい思いが強く、42歳のときにオーディオ事業部長をさせてくれと会社に直訴しました。事業部長はいわゆる「ものづくりの長」。理系のエンジニアがなるのが当然のポジションでしたが、当時はオーディオ不況の真っただ中で誰もなりたがる人がいない。だから会社からOKをもらえたのですが、とにかく大変で毎日必死に技術を学びました。
またその時期に、コンパクトディスク (CD) という新しいデジタル技術が登場しました。これについては社内の第一線の技術者すら何も知らない。みんなでゼロからスタートして勉強を深め、暗闇の中をなんとか前に進むように世界初のCDプレーヤーの発売に漕ぎつけました。この経験から新しい技術が出てくるたびに、自分なりの技術ロードマップを描くくせがついたんです。そしてオーディオ事業部長の後も、コンピュータ、ビデオと色々な事業の責任者を渡り歩くことになったのです。
森川 そうだったんですね。たしかに、技術者ではないけれど事業の責任者を務める場合、技術進歩に対する理解は不可欠ですからね。
出井 でも、世の中っていうのはレッテルを貼りたがるからものですから。当時ソニー社内でも「出井といえば、早稲田の政経を出た文系の典型」と思われていましたし、78歳になる今でも「文系学部の出身」という理由で世の中から厳しいご意見を頂戴しているくらいです(笑)。僕自身は文系と理系を区別する必要はない、と思っているんだけど。
森川 僕はその逆のレッテルを貼られていました。理系出身だったので、新卒で入った日テレで本当は番組制作がやりたかったけれど、システムの部署に配属されてしまいました。でも実は、学生時代はあまり勉強してなかったから、コンピュータのことはよくわからなかったんです(笑)。だから、独学で猛勉強しました。その後、日テレで新規事業をしかけるようになって、働きながら大学院に通ってMBAを取得しました。
出井 なるほど。結局、両方学ぶのが、一番いいですよね。
森川 そうですね。やりたい仕事に必要だから勉強するわけですから、理系も文系もないですよね。
出井 そうそう。大事なのは「何をやりたいか」ということですよ。周りから貼られたレッテルなんかにとらわれず、「やりたいこと」にまっすぐ向き合うことが大切ですね。
今いるところで実績を出す。すべてはそこから始まる
出井 ところで、森川さんは、なぜソニーを辞めてハンゲームジャパン(その後NHN Japan株式会社、LINE株式会社と社名変更)に転職されたんですか?
森川 僕はソニーでジョイントベンチャーを立ち上げて、それがある程度成功したんです。そうしたら、本社からおじさん……ちょっと年配の社員の方々が出向してきたんですよ(笑)。それで、それまで現場の判断でうまくいっていた仕事が、うまく回らなくなってしまったんです。これが、大企業の現実だな……と思いました。そして、もっと自由に思いっきり仕事ができる場所を探そうと決心したんです。
出井 ちょっとうまくいくと出向で本社から人が来る、というのはよくある話ですね(笑)。
森川 ええ。当時、ハンゲーム・ジャパンは創設間もない社員30人の赤字会社でしたから、この転職を機に疎遠になった知人もいましたね(笑)。
出井 思い切ったリポジションでしたね。しかし、森川さんは、日テレでもソニーでも、社内で「やりたい仕事」を求めてリポジショニングを繰り返しましたね。大企業のなかでリポジショニングを成功させるコツはあるんですか?
森川 大企業のサラリーマンは、良くも悪くも上司の影響が大きいですよね。上司に嫌われてしまったら仕事はできないけれども、変に好かれてしまっても、引き止められて希望の場所に異動できなくなったりする。上司に適応しなければならないけれど、それが仕事の目的ではありません。ある局面では「嫌われる勇気」も必要です。そして、自分の希望を通したかったら、まずは実績を出すこと。合わないなと思った上司のもとでも、目に見える実績を出せるまでは踏ん張る。そして、実績を出しても認められないならば、そこで初めて転職という「リポジション」を考えたほうがいいと思います。
出井 僕は、大企業というのは囲碁や将棋で言うところの定石・定跡を勉強するところだと考えています。どんな仕事も、ある程度まではこう進めるのがいいというルートがありますよね。それを毎回1から探っていたら、非効率でしょうがない。定跡は大企業の若手社員のうちにしっかり覚えて、そこから先をどうするか考える力を身につけていけばいいですよね。だから、はじめのうちは辛抱も大事だと思います。
森川 あと僕が日テレやソニーで学んだのは、人間はロジックで動かないということ。ベンチャー界隈って目的志向の合理的な人が多いので、プレゼンテーションもロジカルに説明するものが多い。でもじつは、聴衆からすると「それを話しているあなたはどういう人なのか」ということが気になるものなんです。僕自身も放っておくとロジックに偏りがちな人間なので、人の気持ちを理解して物事を進める方法を、大企業の会社員時代に学んだのはよかったと思います。
出井 プレゼンテーションは、その人自身のストーリーが強力な力を持ちますよね。僕はいま、EYアントレプレナー・オブ・ザ・イヤーの国際審査員をやっているんですが、ストーリーのパワーを実感しますね。昨年の優勝者は、自分がいつ生まれたのかも知らないと言うのです。中近東で生まれ育って、親御さんが幼いころに殺されてしまい、貧困から抜けだそうと必死に努力しながらいくつもの国を渡り歩き、いまフランスで起業家として大成功をおさめている。もう、このストーリーだけで圧倒的なんです。この迫力をもつ日本人は稀有ですよ。
森川 そうかもしれませんね。たしかに、日本は、世界でも有数の幸せな環境だと思います。だから、迫力のようなものは希薄かもしれません。
出井 もちろん、幸せなのはいいことなんですが、ジレンマも感じます。というのは、明らかに時代が変わったからです。日本はなまじ戦後に高度成長を体験してしまったので、産業構造を転換しきれず、ここまできてしまった。今すぐにでも価値観を転換しなければならないけれど、それがとてもむずかしい。
森川 そうですね。『シンプルに考える』にも書いたんですが、僕は、今の日本の大企業の多くは「動物園」みたいだと思うんです。正社員であれば年功序列・終身雇用が守られる。そして、その安定した生活を守ろうとする。だけど、世の中はサバンナです。動物園ではおとなしくしていればエサが配られるけれど、サバンナでは自分の力でエサを獲得しなければならない。つまり、世の中に価値を提供できなければ、生きてはいけない。どんなに立派な動物園も潰れてしまう。それが、この世の摂理だと思うんです。
だけど、多くの人は動物園の檻から出ると、損するだけだと思っているような気がします。正直なところ、大企業で働いているときに、「価値を生む」という本質からズレていると感じることはありましたね。だから、僕は「動物園」から飛び出したんです。会社という「動物園」に飼われる人生が怖くなったんです。
タクシーの運転手になるか、バスの運転手になるか
出井 よくわかります。たしかに、大企業には、そういう側面もあるかもしれませんね。だから、森川さんはベンチャーに飛び込んだ。そして、LINEを成功させたうえで、C Channelを起業した。これは、リポジショニングの理想形のひとつだと思います。ただ、世の中に価値を提供するために働くという前提のうえで、大企業でやっていくか、ベンチャーでやっていくかというのは個人のタイプによると思います。どちらがいいという問題ではない。
僕は、ピーター・ドラッカーに聞いたことがあるんです。彼はチェロをずっとやっていたのに、なぜチェロで生きていこうと思わなかったのか、と。すると、彼はチェロでは独奏者になるだけの能力がない、だから音楽の道は諦めたと答えてくれました。
森川 楽団員ではなく独奏者でないと意味がない、とドラッカーは思ったんですね。
出井 そう、それはほかのことにも通じると思うんですよ。楽団の一員としてハーモニーを奏でることに喜びを感じる人もいれば、ドラッカーのように、大勢の中の一人になってしまうなら他のことをやる人もいるでしょう。これは、自分で見極める必要があります。
森川 なるほど。僕もずっと音楽をやっていて、小学生の頃は合唱団に入っていました。その後声変わりしてバンドでドラムを始めたのですが、一方中学・高校ではブラスバンド部にも所属していたんです。でも、だんだん指揮者の言うとおり、楽譜通りに演奏するのが耐えられなくなって、ジャズにうつっていきました。僕は、言われたままのことをやるのが苦手だったんですよね。
出井 『変わり続ける』にも書いたのですが、バスの運転手になるか、タクシーの運転手になるかみたいなものですよね。バスは路線が決まっていて、そのとおりに走ればお客さんが勝手に乗ってきてくれる。タクシーは、同じ運転の仕事だけれど、どんな道を走るかは自分で決められる。僕は会社員のときも、タクシーの運転手でいたかったんです。僕にとってタクシーの運転手でいるということは、つくった商品の値段を決められる、ということでした。つまり、現場のリーダーでいたかった。だから、社長から直々に社長付のスタッフにならないかと言われたときも、断ったんです。
森川 自分が何をしたいのか、何が向いているのかを判断して働く場所を選ぶことが大事ですよね。僕は学生から「起業したいんです」という相談を受けるんですけど、そのときによくレストランとバーベキューの例え話をします。レストランが会社員、バーベキューが起業です。レストランに行けば、座っているだけで食事が出てきて楽ですよね。バーベキューは、食材の調達から炭熾しまで自分たちでやらなければいけない。でも、自分の好きなものを好きな焼き方で、好きなだけ食べることができる。その自由を選びたい人は、起業したほうがいいよと伝えています。要するに、自分を知ることが人生戦略の基本ということです。(後編へ続く)