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【コラム】

筆洗

 不治の病にあった高齢のお医者さんがある人にこんな質問をしたそうだ。「死後の世界は本当にあるのでしょうか」▼人は死後どうなるか。どなたも何度か考える問題である。死と向き合う経験の多いはずのお医者さんでも同じだろう▼質問を受けた、その人の答えはお医者さんには酷だったかもしれぬ。されど、背筋のぴんと張った答えである。「人間は死によって自然に還(かえ)るんでしょうね」。そう答えた人が自然に還った。日本古代史研究の第一人者で京都大名誉教授の上田正昭さん。八十八歳▼偏狭で民族主義めいた「島国史観」を否定し、日本古代史を朝鮮半島や中国とのかかわりを通して見つめ、考え、実像に迫る。「上田史学」の一貫したテーマである。イデオロギーや世間の「風圧」に左右されぬ。やはり上田さんのキーワードは「ぴんと背筋が張った」なのだろう▼死によって自然に還る。そう答えた上田さんの心にあったのは、だからこそ命は掛け替えがないのだという発想である。「人間には必ず死があり、その命は再びとり返すことができない。だれもが拒否できない死。死の尊厳があるから命は尊い」(『死をみつめて生きる 日本人の自然観と死生観』)▼死の尊厳が軽んじられることは命、人間そのものが軽視されることと、自殺、殺人の絶えぬ世間に警告している。こちらが背筋を張って聞きたい。

 

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