英文学(English studies)の歴史は浅く、まだ誕生から二百年にも満たない
そもそも英語で書かれた文学作品について何かを語るという行為が学科目として成り立つと考えられていなかった
ギリシア、ローマの古典は研究されており、教養ある紳士になるための必須科目として扱われ男性に独占されていたので初期のフェミニストは古典を学ぶ権利のためにも闘ったのだが、逆にいえば英語で書かれたものは「女子供の読み物」に過ぎなかった
そんな女子供の読み物が、インドでは真面目に読まれていたのである
19世紀の前半、東インド会社はインド人に対する植民地支配を進めるうえでキリスト教へ改宗させればよいと考えていたが、イギリス本国では改宗政策は危険だという考えが広まっていたため、聖書にかわる「人間化」のための道具が必要だった
そこで選ばれたのがイギリスの文学で、東インド会社はそれらイギリスの文学作品を通じてイギリス式の生活習慣、思考様式、道徳観念等をインド人に学ばせた
英語で読み、それについて英語で何かを書くことは植民地インド人の義務となり、こうして彼らは「文明化」されることになる
この科目が「文学」ではなく「英文学」と呼ばれるのもその特殊な目的のためである
産業革命に伴う人口増加でロンドンの貧困労働者層が急激に膨れ上がると、この「文明化」の道具は逆輸入され、「イギリスの未開人」を「イギリスの文明人」へと教育するための手段となった
以上が、どこの英文学部でも一年生の初回授業で説明される「英文学の始まり」のあらまし
理系の多いはてなーにはこれ知らない人も多いのではと思って昔を思い出しつつ書いてみた
ちなみに私がこれを学んだのはロサンゼルスの大学で、最初に読まされたのがコンラッド『闇の奥』という念の入りよう
スケジュールの都合でドロップせざるを得なくなり、代わりに取った別の文学コースでも同じ内容のイントロだったけど、今度はガルシア=マルケス『コレラの時代の愛』
読んだのは英語訳だけど、まあスペイン語も植民地における支配者側の言語だしね
「国語」が発明され韓国で日本語が教えられてたのもだいたい同じ仕組みで、要するに文学という制度は支配の道具ということ
私の専門は南米の少数部族の言語なんだけど、実はその言語もある部族が他の部族を滅ぼして「支配者の言語」として学ぶことを義務づけたからこそ今でも研究可能なレベルで存続している