国連女性差別撤廃委員会(CEDAW)について話すときに押さえておきたいこと

ジュネーブの国連本部に掲げられている絵画。悲惨の根絶は誰もが願うところのはず。

2016年3月7日に発表された国連女性差別撤廃委員会(CEDAW)の日本向け最終見解が、物議をかもしています。

本記事では、議論する前に押さえておきたい「この条約と委員会は何なのか?」をまとめておきます。

なお、私が日本審査(2016年2月15日・16日)に参加したおりの速報は、下記記事ですでに公開しています。

ダイヤモンド・オンライン:「慰安婦」だけじゃない!国連が指摘する日本の女性差別問題

国連女性差別撤廃条約とは

国連女性差別撤廃条約(CEDAW)は、1979年に制定され1981年に発効しました。

日本が締結したのは1985年で、前提となる国内法整備として「男女雇用機会均等法」が制定されました(この年1985年は、同時に「労働者派遣法」が制定されたため、「女性の労働格差元年」とも呼ばれます)。

国連女性差別撤廃条約の内容は?

外務省「女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」に全文訳があります。全部で21条(うち条約の実施と委員会に関する条項を除くと16条)と、比較的コンパクトな条約です。ご関心をお持ちの方は、一度は全文に目を通しておかれることをお勧めします。

ここに、序文を全文引用しておきます(太字は筆者による)。

この条約の締約国は、

国際連合憲章が基本的人権、人間の尊厳及び価値並びに男女の権利の平等に関する信念を改めて確認していることに留意し、

世界人権宣言が、差別は容認することができないものであるとの原則を確認していること、並びにすべての人間は生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳及び権利について平等であること並びにすべての人は性による差別その他のいかなる差別もなしに同宣言に掲げるすべての権利及び自由を享有することができることを宣明していることに留意し、

人権に関する国際規約の締約国がすべての経済的、社会的、文化的、市民的及び政治的権利の享有について男女に平等の権利を確保する義務を負つていることに留意し、

国際連合及び専門機関の主催の下に各国が締結した男女の権利の平等を促進するための国際条約を考慮し、

更に、国際連合及び専門機関が採択した男女の権利の平等を促進するための決議、宣言及び勧告に留意し、

しかしながら、これらの種々の文書にもかかわらず女子に対する差別が依然として広範に存在していることを憂慮し、

女子に対する差別は、権利の平等の原則及び人間の尊厳の尊重の原則に反するものであり、女子が男子と平等の条件で自国の政治的、社会的、経済的及び文化的活動に参加する上で障害となるものであり、社会及び家族の繁栄の増進を阻害するものであり、また、女子の潜在能力を自国及び人類に役立てるために完全に開発することを一層困難にするものであることを想起し、

窮乏の状況においては、女子が食糧、健康、教育、雇用のための訓練及び機会並びに他の必要とするものを享受する機会が最も少ないことを憂慮し、

衡平及び正義に基づく新たな国際経済秩序の確立が男女の平等の促進に大きく貢献することを確信し、

アパルトヘイト、あらゆる形態の人種主義、人種差別、植民地主義、新植民地主義、侵略、外国による占領及び支配並びに内政干渉の根絶が男女の権利の完全な享有に不可欠であることを強調し、

国際の平和及び安全を強化し、国際緊張を緩和し、すべての国(社会体制及び経済体制のいかんを問わない。)の間で相互に協力し、全面的かつ完全な軍備縮小を達成し、特に厳重かつ効果的な国際管理の下での核軍備の縮小を達成し、諸国間の関係における正義、平等及び互恵の原則を確認し、外国の支配の下、植民地支配の下又は外国の占領の下にある人民の自決の権利及び人民の独立の権利を実現し並びに国の主権及び領土保全を尊重することが、社会の進歩及び発展を促進し、ひいては、男女の完全な平等の達成に貢献することを確認し、

国の完全な発展、世界の福祉及び理想とする平和は、あらゆる分野において女子が男子と平等の条件で最大限に参加することを必要としていることを確信し、

家族の福祉及び社会の発展に対する従来完全には認められていなかつた女子の大きな貢献、母性の社会的重要性並びに家庭及び子の養育における両親の役割に留意し、また、出産における女子の役割が差別の根拠となるべきではなく、子の養育には男女及び社会全体が共に責任を負うことが必要であることを認識し、

社会及び家庭における男子の伝統的役割を女子の役割とともに変更することが男女の完全な平等の達成に必要であることを認識し、

女子に対する差別の撤廃に関する宣言に掲げられている諸原則を実施すること及びこのために女子に対するあらゆる形態の差別を撤廃するための必要な措置をとることを決意して、

次のとおり協定した。

出典:外務省:女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約

国連女性差別撤廃条約の国内での位置づけは?

国際条約(二国間・多国間を問わず)をその国が締結したとき、国内で有効化するために「受容(有効化に特段の手続きを必要としない)」と「変形(国内法として位置づけて有効化)」の2通りがあります。また国内法の中での位置づけは、

  • 条約>憲法>国内法
  • 憲法>条約>国内法
  • 憲法>条約=国内法

の3通りがあります。

日本は「受容」+「憲法>条約>国内法」となっています。

国内法よりは条約が優位なので、条約に違反する国内法や条例があってはならないことになります。

各国の文化や風習との関係は?

ここで問題となるのは、性差別が多くの国々で「伝統」の一部に組み込まれてしまってきていることです。この点については、現在、国連女性差別撤廃委員会で委員長を務める林陽子氏自身も、下記のように述べています。

第一に、この条約の守備範囲が、いわゆる法的権利としての平等権のみではなく、広く「政治的、経済的、社会的、文化的、市民的その他いかなる分野においても」男女の平等を基礎とした人権と基本的自由を確立することにある、とされたことである(条約1条)。(略)これは1966年に成立した2つの国際人権規約がそれぞれ「自由権規約」「社会権規約」とされ、明確に規約の対象とする権利を分けていたことと対照的である。フィリップ・アルストンは、(略)女性差別撤廃条約はその名称こそ「差別」という市民的政治的権利(伝統的な「自由権」)を連想させるものではあるが、規定されている権利の本質はより社会的・文化的な要素を含んでいると指摘する。これは筆者がCEDAWで最も痛感する点であり、女性差別撤廃条約とは「法律であって法律ではないもの」という印象を持っている。なぜなら、例えばある国が差別的な法令を改正したとしても、社会的・文化的にその改正が受容され実行されているかを見ない限り、条約を遵守したことにならないからである。

出典:林陽子「女性差別撤廃条約 ―― 30年目の到達点 ――」国立女性教育会館研究ジャーナル vol. 14. March. 2010 7

どこの国でも、一本の条約を締結し、数本の法律を発効させたくらいで「女性差別が撤廃された」といえるわけはありません。もしかすると数世代にわたる絶えざる対話・変容・検討のプロセスそのものが「女性差別撤廃」なのかもしれません。いずれにしても締結国には、社会的にも文化的にも「男女の平等を基礎とした人権と基本的自由を確立」することが求められます。わざわざ太字にしたのは、「女性の優越」とはどこにも書いてないからです。しばしば「男性差別」という意見も聞かれますが、ポジティブ・アクションについて述べた第4条を含め、むしろ男女のどちらの性が差別されることに対しても、あるいはLGBTなどマイノリティが差別されることに対しても、現在広く見られる「女性差別」を手がかりとして撤廃を図ろうとする意図が見受けられます。

日本が締結していない「選択議定書」とは?

1999年、この女性差別撤廃条約に「選択議定書」が定められました。

締結国の個人や団体が、自国政府の「頭越し」に女性差別撤廃員会に差別を申告し、身の安全を保障された上でその申告内容についての審査を受け、締結国への勧告が行われる仕組みに関するものです。

国連広報センター:54/4 女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約選択議定書

しかし日本は、「司法権の独立が損なわれる」として、この選択議定書を締結していません。

「国連女性差別撤廃委員会」とは何なのか?

現在の23名の委員一覧は、こちら(Web魚拓:「現在の」なので)にあります。資格については「徳望が高く、かつ、この条約が対象とする分野において十分な能力を有する専門家で構成する」(条約17条)とあり、「女性でなくてはならない」という規定がどこかにあるわけではなく、現在は全員が女性です22名が女性、1名が男性(Mr. Niklas Bruun氏:フィンランド)です。代表者を選ぶときに「その立場の人を代表できるのは、同じ立場の人」という考え方は、普遍的に見られるものです。「女性」差別撤廃委員会なので、結果として女性委員が多く選ばれるのは自然な流れかと思われます。

委員の選出手続きは、条約第5部に定められています。締結国によって指名され、締約国間の秘密選挙によって選出されます。

委員会は定期的に締約国の条約実施状況を審査しますが、各委員は自国の審査にはかかわらないこととなっています。

「特別報告者」とは何なのか?

国連特別報告者の役割は、国内NGOなどによる報告が期待できない国々や深刻な状況にある地域、または深刻な問題となりうる何かがある国を訪れ、その国の省庁も含めて多様な機関や自治体や団体と接触し、もちろん当事者も含めて実態を調査することにあります。

昨年来、日本では特別報告者が「援助交際が女子高生の13%に見られた」としたことに端を発する多くの批判が見られます。後に事実上撤回されたとされる「13%」は、まずは母集団が気になるところではありますが、問題の記者会見を聞いてみると「性交をして対価をもらう」というタイプの援助交際に限定しているわけではなく、「一緒に散歩する」「眺めるだけ」といったものも「援助交際」に含められていました。

であれば、「13%」はありえなくもない数字かと思われますが、日本人的感覚からすると「拡大解釈をして数字を膨らませた」ということになりかねません。逆に日本の通例で「性交をして対価をもらうことだけを援助交際とする」は、他国からは「狭く解釈して数字を小さく見せかけた」と取られかねません。

今回、「性」「性を売る」に関する考え方の差異は、特別報告者の訪問・調査・言動によって、明確にされました。この「援助交際13%」騒ぎのとき、私はむしろ、感覚の差異の有無と内容が明らかになることを最大の意義と感じました。

良し悪しを云々する以前に、どこにどういう違いがあるかを互いに知ることが必要だからです。

国連では、何が行われているのでしょうか?

国際社会で日本が存在感を発揮し尊敬を得るために必要なのは、いったい何なのでしょうか?

すべてに「行って、見て、関与する」が不可能である以上、必ずしも全体像を反映しているとはいえない報道の数々から、なんとか全体を理解する努力をするしかありません。

仕組みはどうなっているのでしょうか?

何が誤解や衝突の原因になっているのでしょうか?

私もまだ、国連の委員会に市民の立場で参加しはじめてから3年目ですが、少しずつ、お伝えしていく努力をしたいと思います。