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ドラクエの「悟りの書」って実はヤバいアイテムじゃないの?説

妄想

最近読んでいる本に、仏陀の「二の矢」の話が出てきた。

悟っても超人になれる訳ではない。

悟った人も、死ぬし病気にもなる。

そんなら、悟ったって何にもならないじゃないか、とつっこまれて、 ブッダ(悟った人)は、こう答えた。

「二の矢を受けず」

一の矢は、誰にも(悟ろうが悟るまいが)降り掛かる死や病やその他の災難である。 ニの矢は、これに対して、「一の矢」について悩み苦しむことである。

死や病は避けられない。 しかし死や病(という苦しみ)について悩み苦しむという二次の災難(二の矢)は避けられる。

ブッダ(悟った人)は、こんな風に答えた。

二の矢を受けず 読書猿Classic: between / beyond readers

なるほど、悟るとこんな風なものの捉え方ができるようになるのか、なんて思った。

読書の合間、部屋の片付けをしていたら、スーファミのカセットが出てきた。ドラクエ6。20年近く前に発売されたドラクエのナンバリングタイトルだ。自分にとって初めてやったRPGで、色々な世界を旅できるというゲームの面白さにものすごく感動した覚えがあるし、かなりやりこんだ。 「幻の大地」というサブタイトル通り、現実世界と、それにそっくりの幻の世界を行き来出来るという面白いシステムが取られている。また、ドラクエ3にて導入された転職システムがドラクエ6にも採用されているのもゲームの大きな魅力の1つだ。パーティーメンバーにさせたい職業につかせることができるシステム。ムキムキマッチョのモヒカンおじさんキャラを「踊り子」に転職させてみたり、タレ目で優しそうなブロンド長髪のお姉さんキャラを「武闘家」や「戦士」に転職させたりなんてことも出来る。

そのカセットを見ながら、当時のノスタルジックな思い出とゲームの面白さを思い出しながら、そういえばこれには「悟りの書」ってアイテムあったな、と思いだした。悟りの書というくらいなのだ。ゲーム内でもそのアイテムは1つしか存在しない貴重なものだ。仏陀のように何かを悟れるのだろうかとも思えるが、そのアイテムの効果はある職業に転職できるというもの。その職業は、「はぐれメタル」。

正直、意味がわからない。自分でも思い出しながら、どういうことだ…?と思っている。「悟ると、はぐれメタルになれる。」いや、やっぱり意味がわからない。どういうことだ。何なんだ。何を悟ったんだ。まず、はぐれメタルって職業じゃないだろ。お前らの敵だろ。この間まで「俺は戦士だ!」とか「私は僧侶よ!」とか言ってたのに、何かを悟ったら突然「自分ははぐれメタルです」とか言い出す。意味がわからない。もう一種の恐怖を感じる。なんか変なドラッグでもやってんのか。

現実で言ったらあれでしょ。自己啓発書を買ったから週末に読むわって言ってた同僚が、月曜日に出社してきたら「自分はプリキュアです」とか言い出すみたいな感じでしょ。ヤバイって。業務の見える化とか風通しを良くするために、その週に各人が行う業務をホワイトボードに書き出すみたいな状況で、その人は月曜火曜は変身バンクの演出の企画、水曜はピカリンジャンケン以上にインパクトのある特技の開発とか書き出す。木曜日は定例オールスター会議とか書く。毎週木曜日は全てのプリキュアが集まって会議してるんです、とか言い出すみたいな。現実で例えたらそんな感じでしょ。ヤバイって。ダメだって。医者行けよ。頭の。

大体ゲーム内にしたって「職業:はぐれメタル」はオカシイだろ。悟った末にはぐれメタルってどういうことなんだ。旅をする中で馬車に揺られながら次の街へ行く途中、馬車の中で何してんの。武闘家なら自己研鑚のために感謝の正拳突き一万回とかやってるだろう。踊り子なら踊りの練習してるんだろう。それはわかる。理解できる。でも、はぐれメタルはわからない。何をするの?あのコポォってなってる気泡の部分を手で表現する練習とかしてんの?低姿勢で素早く動けるようにエクソシストみたいにカサカサ動く練習とかしてんの?何にしたって、もう一切合切が分からない。

自分は昔テリーというキャラ(一匹狼気質の剣士)にその悟りの書を使った覚えがあるんだけど、多分その時のパーティーはとんでもない修羅場だったんだろうな、と思う。ミレーユ(テリーのお姉さん)が「一体誰がテリーにあんな変なもの読ませたのよ!?」とかヒステリックに叫んで、バーバラは「知らない。あたしじゃないし。」とか言って見向きもせずに知らん顔。ハッサンは「あいつが勝手に読んだんじゃねえの?あいつ弱いからいつも馬車の中にいたし、暇だったから手ぇだしたんだろ。」とか嫌味混じりに言いつつ、チャモロは自分瞑想中なんで話しかけないでくださいオーラを出しながらも、その修羅場を横目でチラチラ見てて全然瞑想できてない。アモスが「まぁまぁ皆さん落ち着いて…」となだめようとするけど、「これのどこが落ち着いていられるのよ!?」とミレーユの神経を逆撫で。当のテリーはコポォってなってる気泡の部分を練習するのに夢中、みたいな状況だったんだろうな。何か分からないけど、申し訳ない気分になってきた。

人間、悟るとそうなってしまうもんなのか。ただ、これはあくまでドラクエ6での話だ。転職システム及び悟りの書というアイテムが初めて登場したのはドラクエ3である。なのでドラクエ6だけが変な方向に進んでしまったのでは…と思ったが、よくよく考えてみるとドラクエ3も不審な点がある。

ドラクエ3でも、悟りの書は1つしかない貴重なアイテムだ。悟りの書を使えば賢者になれる。「職業:賢者」もなんかオカシイ気がするけど、はぐれメタルに比べたら数段マシだ。魔法とかバンバン使えるようになる。ただ、昨日までMP0でガンガン殴るしか能のなかった脳筋戦士とかがMPが増えていきなり魔法が使えるようになるのだ。ちょっと違和感がある。しかも、悟りの書は消費アイテムだ。だんだん怪しくなってきた。薬草とかが消費アイテムなのは分かる。食べるなり傷にすり込むとかすればそれは消費せざるを得ないし、使ったら無くなるのは明らかだ。ただ、悟りの書は名前からして書物っぽいのに、消費アイテムだ。書物ならば回し読みとかしてパーティー内に何人も賢者を有することができるはずなのに。なぜ出来ないのか。悟りの書は本当は書物ではないのか。そもそもゲーム内での表記は「さとりのしょ」だ。こちらが「さとりのしょ」を「悟りの書」と勝手に解釈していただけかもしれない。「さとり」は「悟り」ではないのかもしれない。「しょ」は「書」ではないのかもしれない。「さとりのしょ」というそれが1つの単語なのかもしれない。アダ名とかスラング的なものなのかもしれない。怪しくなってきた。

そして極めつけは、賢者になるにはその「さとりのしょ」だけが唯一の方法ではない。もう1つ方法がある。遊び人という職業のキャラのレベルがあがると、賢者になれるのだ。遊び人としてのレベルが上がれば賢者になれる。何か含蓄のある設定だと思っていたが、やっぱりよくよく考えてみるとおかしい。敵が現れて戦闘になって、こっちの命が危ないかもしれないという状況でも、この遊び人はリーダーの命令を無視して意味のない行動をとることがある。ダジャレを言ったり歌ってみたり踊ってみたり、指をグルグル回して自分の目を回して混乱したり。しかも、リーダーの命令を無視してのこの一人遊びはレベルが上がるごとにひどくなる。一人遊びをする確率が高くなる。そんなやつがレベルアップを重ねてどんどん役立たずになっていくのに、ある時突然真面目になって魔法とか使いはじめる。遊んで遊んで遊びまくった結果、何かを「悟って」賢者になったのか。いや、更生することはあっても、いきなり賢さがあがって魔法が使えるようになりはしない。今まで遊びほうけていたおかげでパラメータの低かった人間がいきなりパラメータアップするのか。おかしいではないか。更生すると決心した瞬間にパラメータが上がるだなんて。本当に遊んだ結果「悟った」のか。遊びほうけて、時を経るにつれてその遊びの過激さが悪化していった先に、どこかで超えてはいけないラインを超えただけじゃないのか、という解釈のほうが納得がいく。

書物ではなく、消費アイテムである「悟りの書」。悟りの書を使用した結果、自分を「はぐれメタル」と言い張る不可解な言動。使用直後の不自然な能力値アップ。遊び人として一人遊びが激化すると同様の状態になること。それらを総合した結果、気づいてしまった。「悟りの書」とは覚醒剤じゃなかろうか。

消費物であり、使用後に起こる不可解な言動、使用後の集中力や能力アップ。そして遊び人としてのレベルが上がるとそれらに手を出す確率が高くなること。その特徴は一致している。当然「かくせいざい」なんて平仮名でちょっと可愛く表記しても、それをアイテムとして登場させることは出来ない。だから「悟りの書」なんて意味深な名前で登場させたのではないのか。なんてことに気づいてしまったのだろうか。

仏陀は本当に悟っていたのだろうか。悟るとは何なのか。なんか、偉い人間がよく分かんないけど抽象的なことを言ってると含蓄があるように聞こえてしまうことがある。当人は別に何の意味もなく呟いた言葉が、彼または彼女の信者たちがそれをありがたがって深読みしてよく分からない解釈をし始めてそれが独り歩きするみたいな。オタクがエヴァを必要以上に深くというかこじつけっぽくよく分からない解釈をしてオタクたちでよく分からない議論が発生する、みたいな状況なんじゃないか。仏陀はただ大麻とかそういう変なものを摂取してパッパラパーになってよく分からんことを言い続けていただけなのに、それを周りの人間が深読みしすぎたとか、案外実際はそんなんだったりするんじゃないのか。「悟る」ってなんなんだ。「悟る」という言葉を調べてみても、「心の迷いを去って真理を会得(えとく)する。」と書かれている。正直、意味がわからない。やっぱなんか変なドラッグやってただけなんじゃないのか。

人間とは一体なんなのか。どこから来て、どこへ行くのか。宇宙とは何なのか。真理とは何なのか。悟るということが分からなくなった今、何も分からなくなった。ただ、1つだけ言えること。時を戻すことは出来ない。それだけだ。このカセットの中にいるテリーは、今もなおコポォってなってる気泡の部分を手で表現する練習をしているのだろう。そして、これからもコポォってし続けるのだろう。誰もが過去には戻れない。時はただ前へと進むだけだ。人間はいくつもの過ちを犯しながらも、時とともに歩み続ける。それらの罪を認めながら、歩んでいくしか道は無いのだ。テリー、ごめん。