これまでの放送

2016年3月8日(火)

東日本大震災5年 原発事故から5年 福島は今

近田
「東日本大震災から、まもなく5年です。」

和久田
「福島県では放射線の影響から子どもたちを守る取り組みが進められてきました。」



東京電力福島第一原子力発電所の事故のあと、福島県では11の市町村で国の避難指示が出されました。
避難指示は一部解除されましたが、今も9の市町村で出されています。




放射線の影響は、子どもたちの日常生活にも及びました。
原発事故直後の平成23年6月の時点で、福島県内では公立の小中学校や高校など、あわせて827校のうち、半数を超える465校が子どもたちの屋外活動を制限していました。



その後、校庭の除染が進み、放射線量の低下とともに、屋外活動の制限は去年(2015年)の5月までにすべて解除。





校庭には、子どもたちの元気な声が戻りました。
福島県では、肥満傾向の子どもが増えていましたが、おおむね震災前の水準まで改善してきています。




和久田
「子どもたちを少しでも自由に、広々と外で遊ばせてあげたいという願い。
その実現に向けて取り組んできた、福島県の保育園を取材しました。」

福島の保育園はいま

散歩に出かける子どもたち。
子どもたちにとって外の世界は、ドキドキの連続です。




福島市の中心部から3キロ。
豊かな自然に囲まれた「さくら保育園」です。
この地域は、原発事故の直後、市内でも放射線量が比較的高いところでした。
そのため、保育園では長い間、子どもたちの散歩を控えさせていました。


園長の齋藤美智子さんです。
子どもたちが自由に自然とふれあえないことに、心を痛めていました。




さくら保育園 齋藤美智子園長
「外でいろんな刺激があって、そこに小さい子がいて、子どもの感覚・感性も広がって、豊かに育って。
太陽の下で子育てしたいと思った。」



子どもたちの活動範囲を広げたい。
原発事故から1年後、保育園では、周辺の放射線量を測り始めます。
専門家のアドバイスも受けながら、かつて散歩していた道の周辺をくまなく調べました。
子どもたちの散歩が再開されたのは、事故から2年後の秋でした。


ピンクで塗られているのが現在の散歩コース。
保護者の理解も得ながら、少しずつ子どもたちの行くことのできる範囲を広げてきました。

さくら保育園 齋藤美智子園長
「保護者向けに話をして、確認を取りながら進むので、全然簡単じゃないんだけど。」


今月(3月)、子どもたちが向かったのは除染が終わった原っぱ。





子ども
「見て!テントウムシだよ!」

子どもたちの生活に、少しずつ自然が戻ってきました。



この1年描いてきた、ザリガニやつくし。
事故後、子どもたちがはじめて捕まえたり触ったりできたものです。
4年以上の歳月がかかりました。



保護者
「外で遊ばせたほうが子どもにとってもいいだろうし、のびのびしている。」




齋藤さんには、子どもたちをどうしても連れて行きたい場所があります。
すぐ裏にある殿上山(でんじょうやま)です。
この山は去年、半年かけて除染が行われました。
しかし、専門家とも相談しましたが、線量がもう少し下がらないと子どもたちを連れて行けないと保育園では判断しています。


かつて、子どもたちの笑顔にあふれていた、近くて遠い山です。

さくら保育園 齋藤美智子園長
「あんないいところはないと思う。
(子どもたちを山に連れて行くという考えを)簡単に捨てる気にはならない。」


保育園では今も、月に一度、放射線の専門家を呼んで今後の活動について検討会を続けています。
この春、園長を退く齋藤さん。
こうした取り組みを、若い保育士たちに続けていってほしいと思っています。



保育士
「齋藤先生の大事にしているところもみんな分かっているなかで、変わりなくやっていきたい。」




原発事故を境に変わってしまった福島の子どもたちの日常。
保育園では、殿上山の除染を引き続き求めていくなど、子どもたちが自然とふれあう機会を増やしていきたいとしています。

さくら保育園 齋藤美智子園長
「当たり前の生活が戻るまで。
戻るまでっていっても終わりがないのかもしれないけれど。
終わらないね、終われない。」

子どもの遊び場は

近田
「子どもたちが外で遊ぶ声は、その地域を明るくしますよね。」

和久田
「けさは福島に合原アナウンサーが行っています。
中継でお伝えします。」

合原明子アナウンサー
「けさは、福島駅から車で15分ほどのところに来ています。
ここは、子どもたちが遊ぶことができる施設です。



例えばこちら、突起の部分に手足をかけて登る、『ボルダリング』をすることができます。





そして隣のコーナーでは、スケートボードをすることができます。





けさはまだ開館前なので子どもたちはいないんですが、放課後や休日には、こうして子どもたちが集まってきて楽しく遊んでいます。
福島県では原発事故の後、子どもたちが外で安心して遊べないという声がありました。
そこで福島県の補助を受けて、県内65か所に屋内施設がつくられました。
また、民間団体が運営する屋内施設も各地につくられました。」

除染の現状は

合原
「けさは福島放送局の右田記者とお伝えします。
私は原発事故直後に福島にいまして、その時は子どもたちがなかなか外で遊ぶことができない状況でした。
その時と比べて、今の子どもたちの状況というのはどうでしょうか?」


右田可奈記者(福島局)
「放射性物質を取り除く福島県内の『除染』は、47の市町村で行われています。
福島県内の公立の小中学校すべてで校庭で遊ぶことが自由にできるようになったのも、除染が進んだ結果です。



一方、道路の除染は、避難区域以外では46%余りにとどまっています。
進捗状況にも差があるのが実情です。」

健康への影響は

合原
「子どもたちは、大人よりも放射線の影響を受けやすいとされていますが、健康面への影響というのはどこまで分かっているのでしょうか?」

右田記者
「影響を調べる大規模な調査として、甲状腺の検査が行われています。
福島県が、原発事故の当時18歳以下だった38万人余りを対象に検査を行ったところ、116人が甲状腺がんと診断されました。
県の委員会は、現段階では『放射線の影響とは考えにくい』という見解を示しているんですが、今後も継続的な調査が求められます。」

合原
「このような状況を、親の皆さんはどう受け止めているんでしょうか?」

右田記者
「こちらは、福島県内の3,700人余りの母親を対象にした放射線についての意識調査の結果です。
去年、福島大学が行いました。
『子どもに外遊びはさせるか』という質問に対して、『させる』『ときどきさせる』という回答がほとんどです。


一方で、『子どもが口にする飲み水などは気にするか』という質問では、『やや気にする』『非常に気にする』が多くなっています。
今も日々の暮らしの中で、さまざまな思いがあることがうかがえます。」

合原
「こうした中で、子どもを持つ親の不安に向き合い続け、適切な情報を伝えようと努力を続けてきた医師を取材しました。」

医師が見た“変化”

医師の坪倉正治(つぼくら・まさはる)さんです。
原発事故の1か月後、東京から福島に駆けつけ、それ以来、南相馬市を拠点に住民の被ばくの検査にあたってきました。




この病院では、原発事故直後から、「ホールボディーカウンター」という機械で、内部被ばくを調べています。





坪倉正治医師
「この辺がカルテの保管庫です。」

病院の倉庫には、5年の間に市の内外から訪れた人の大量のカルテが保管されています。



坪倉正治医師
「子どもたちを何回も測ったりとか、希望される方を繰り返し測ったりしてますから、(大人も含めて)延べは10万人ぐらいにはなっているんじゃないか。」



放射線についての住民説明会や病院での問診を通じて、母親たちと直接向き合ってきた坪倉さん。
原発事故の直後は、医師や専門家への不信感が強く、検査で内部被ばくがなかったと伝えても、なかなか納得してもらえなかったと言います。

坪倉正治医師
「敵対意識をもったり、うそ言われるんじゃないかとか、こんなやつ信用できないみたいな感じ。
疑心暗鬼は強かった。」

それから5年。
坪倉さんは今、「変化」を感じています。
放射線についてただ心配するだけではなく、情報をきちんと受け止めて暮らそうとする人が増えているといいます。

坪倉正治医師
「ほか何か(質問)ありますか?
なんでもいいですよ。」

母親
「大丈夫かなと思います。
普通に生活していて問題ないってことですもんね。」

坪倉正治医師
「以前は『ほんとに地元産の食べ物食べて大丈夫ですか』っていう話だったけれど、いまは『だいぶ食べるようになってるんだけれども続けてて大丈夫でしょうか』とか、確認の質問みたいなものが増えてきたなと思います。」

家族に“本当の安心”を

坪倉さんの検査を受けてきた、南相馬市の我妻小依(わがつま・さより)さんです。
夫と、3歳と1歳の娘2人の4人家族。
夏には3人目が産まれる予定です。



我妻小依さん
「最初のころはマスクとかしてたりしましたけど、そんなに気にせず、普通に生活に追われている感じ。」




我妻さんが暮らす南相馬市の中心部は、東京電力福島第一原発から20キロ圏の外側。
避難指示は出されていません。
事故直後は、多くの住民がみずからの判断で避難しましたが、その後、除染も進み、市の人口は震災前の90%近くにまで回復しています。
長女が産まれた当初は、不安も大きかったという我妻さん。
ホールボディーカウンターの検査で、内部被ばくしていなかったことがわかり、安心につながったといいます。
かつての暮らしを取り戻しつつある我妻さん。

我妻小依さん
「スーパーに出されてるものは、ちゃんと(検査)しているのかなって思っている。
そんなに気にならない。」

それでも、心配がなくなったわけではありません。


我妻小依さん
「飲み水や食べ物に使うのはウォーターサーバーで、口に触れないのは水道水を使っている。
水道水も大丈夫みたいなんですけどね。」

放射性物質は検出されていないと理解していても、どうしても気になってしまうといいます。

我妻小依さん
「気にしてないって言ったら100%じゃないですけど、いま(子どもたちも)元気なんで、不安ばっかり思っててもしょうがないかなっていうところが率直な気持ち。」

暮らしに本当の安心をどう取り戻すのか。
各地で除染が進む中、今後も福島で暮らす人たちを支えていきたいと、坪倉さんは考えています。

坪倉正治医師
「(放射線量の)値が低くなったからもうOKでしょっていう話ではないでしょうと。
3月11日以降の大変な、非常に大変な時期が長くあったわけで、そのときの出来事とか、ちょっとまだ引っかかるよなっていう方がまだたくさんいらっしゃるんだっていうことは、忘れてはいけないんだろうなって思う。」

放射線 “正確な情報を”

合原
「ご覧いただいたように、放射線の不安に対しては、きめの細かい支援が求められています。
こちらの施設には、放射線量を測って市民に提供する活動を続けているNPOがあります。

けさはそのNPOの理事、佐原さんにお越しいただきました。





こちらが、NPOが使用している放射線を測る機械です。





この茶色い袋の中に、線量計が入っています。
位置としては地上から100センチ、50センチ、10センチの3か所につけられています。
どうしてこのように低い所にもつけられているかというと、子どもたちは土遊びなどをしますよね。
そのため、子どもたちの行動範囲に合わせてこういったところにもつけられています。

では、動かしていただきます。
この機械の特徴は、こうして移動しながら、この3つの高さの放射線量を測ることができるというところなんです。




このデータなんですが、佐原さんの手元、こちらの画面で確認することができます。
この機械の測定は、要望があればNPOの方が出向いてくれます。
皆さんそれぞれが気になっている場所を、無料で測ってくれます。
そして、すぐにデータを提供してもらえます。
佐原さん、実際にどういう方たちから依頼がありますか?」


NPO法人ふくしま30年プロジェクト 佐原真紀理事
「幼稚園の先生や、小さいお子さんをもつ保護者の方からの要望が多いです。」




合原
「こうした取り組みを通して、皆さんにはどういうふうになってもらいたいですか?」

NPO法人ふくしま30年プロジェクト 佐原真紀理事
「屋外での活動というのは日々の積み重ねですので、通学路やお散歩コースを測ることによって、生活環境の安全を確認しながら、生活していってほしいなと考えています。」

合原
「再び、右田記者とお伝えします。
震災から5年となりますが、改めて、放射線の問題に関して私たちはどう向き合っていけばいいでしょうか?」

右田記者
「ふだん母親たちの話を聞いていますと、5年という月日がたって除染や復興が進む中で、福島の人たちの間で、放射線への理解だけでなく慣れや疲れなどもあって、次第に不安を口にしなくなる雰囲気が広がりつつあるように感じます。
こうした中で、放射線に対する懸念も表に出にくくはなっていますが、決して心配がなくなったというわけではありません。
科学的な調査や検査を進めて、その結果を十分示していくとともに、福島の人たちの不安に対して、これからも向き合っていく必要があると思います。」