《連載》原宿未来予想図 Vol.2 長谷部 健(渋谷区長)後編

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変わり続ける街・原宿のキーパーソンが、この場所への想いと“これからの原宿”を語る連載「原宿未来予想図」。第二回は、この春に渋谷区長を就任された長谷部健さんです。

※《連載》原宿未来予想図 Vol.2 長谷部 健(渋谷区長)前編の続きになります。

Vol.2 長谷部 健(渋谷区長)
「住民にとっては“最先端の田舎”に。」

ーもともと区長になることは考えていなかった。

広告代理店から街全体をプロデュースする立場である議員になった長谷部さん。今回の区長選に立候補されるにあたり、なにかきっかけがあったのだろうか。

長谷部:もともとは区長になろうとは思っていなかったんですよ。だけど今年の1月に前の区長が退任を表明して、そこから後継者にならないかという話がでてきて。1ヵ月半、2ヵ月ぐらい悩みました。だってそんな簡単に答えらえる話じゃないし、区長職が大変なのは見ていて感じていたので。今まで行政にポジティブな提案ばかりしてきて、前区長はそれを理解してくれたから、やりやすい相手ではあったんです。ありがたいなと常々感謝していて。

だから、それが変わるとゼロから始まることになるのも嫌だなと思いました。前の桑原区長は助役から上がった方だったので政党の人ではないんです。もちろん自民公明保守が応援をしていたけれど、彼は僕のことをわりとフラットな目で見てくれていたんです。そんなことがあり、いろんな人が次やらないか? と言うようになってきて。初めて出馬した、区議会議員選挙に出たときとだんだん似てきたなって感じていました。やっぱり僕だって男の子だし、自分で渋谷のハンドルを握ることができるというのはもちろん魅力がある。だけどそうは言ってもな……みたいな。いろいろと悩みました。

ークリエイティブだけが持つ力がある。

今回の区長選に接して、初めて政治を身近に感じたことがあった。それはLGBTの社会運動で見られるレインボーフラッグを、いたるところで見るようになったこと。今回の「LGBT パートナーシップ条例」の可決によって、facebook上では知人たちのアイコンが七色に変化し、LGBTを理解する人達で溢れかえったのである。その光景は「自分たちも政治に参加している」と思わされるものだった。同時にクリエイティブだけが持つ力のすごさも実感した瞬間であった。(※2015年6月26日、アメリカ連邦最高裁は「同性婚は憲法上の権利」として認める判決をし、全米で同性婚が容認された。さらに同性婚が認められたことを祝し、Facebookはプロフィールの顔写真を虹色にする機能を搭載。)


▲判決を受け、NYで大規模なゲイ・プライド・パレードが開催された。俳優のイアン・­マッケランらがパレードを先導

長谷部:かっこつけてるつもりはないけれど、実はみんな政治にもこういうことを求めていて、「それってよくない?」と提案しているだけなんですよね。そして、僕は本当に仲間に恵まれています。トップクリエイターたちが応援してくれて、一緒にやってくれていることは大きい。クリエイティブって言葉の意味は創造性とかそういうことだけれど、未来や今ある課題を解決する力をまさに持っているものだと思っていて。そもそも自分自身がこの言葉にずっと憧れを持っているし、渋谷区が日本で一番、世界で一番クリエイティブな都市だって言われたらいいなと思います。

ー高齢者社会や福士の話をクリエイティブに解決できる場所。

渋谷区を世界一クリエイティブな都市だと認めさせるために、長谷部さんはこれからどのようなことを考えているのだろうか。

長谷部:大きな部分であれば、これからもっと国際都市として発展してくし、もっと成熟していくと思うんですね。それに必要な要素について、モノに関してはもうだいぶ揃っている。だったら次は意識の改革をする必要があって、いろいろな部分で壁を打ち破っていかなくちゃいけない。LGBTについてもそう。マイノリティの問題ではあるけれど、マジョリティである僕らの意識の壁を打ち破ることで解決することだし、気持ちを変えるだけでいいだけの話。

これは障害者についても、同じことが言えると思うんですね。多くの人は、障害者とは手を差し伸べるだけの対象と思っているけど、そうじゃないんだと。もっとフラットに彼らと一緒にいるべきだし、人によっては何かを失ったものがあっても、ものすごく優れた部分を持っている人もいるし、プログラミングが超得意な知的障害者だっている。僕らよりすごい能力を持つ人はたくさんいるわけで。スポーツの世界だって、ハンデと感じさせないぐらいすごい人たちもいるしね。だったら僕ら、健常者側が意識を変えて、そういう人たちがこの街の普通の景色になっていく必要があると思います。たとえば今渋谷は観光地として外国人が多く訪れる街になりました。ダイバーシティとしてはいいことで、一つの当たり前の景色になりましたよね、もう普通の風景として定着した。同じように、障害者だって当たり前にそこにいて、おしゃれしたり買い物したいわけです。だって700万人いるんですよ、障害者の人たち。そういう人たちが分けられちゃうのではなくて、もっとおしゃれの分野に出てきたっていい。たとえば表参道のショーウィンドウに、車椅子と流行の服を着たマネキンが飾ってあったっていいと思うわけです。

日本の課題としても高齢者社会や福祉の話とかあるけど、原宿、渋谷という街はもう少しそれをクリエイティブに解決できる場所だと思っています。ファッションやアートの力を使ってね。やたらお洒落な、おばあちゃんやおじいちゃんがいるじゃないですか。ああいう人がもっとフィーチャーされて、普通のこととして街にいるようになればいいと思っているんです。そんなことが進んでいけば、渋谷や原宿というマーケットが世界標準になっていきますね。オリンピックもあるし、それはこの原宿と渋谷が先頭を進んでいかなければならないと感じています。

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ー2020年に向けて“ハーモニー”を調和していくこと。

2020年、東京での開催が決まったオリンピック。長谷部さん自身も開催を心から楽しみにしているが、なかでも注目をしているのはパラリンピックだという。

長谷部:もちろんオリンピックを見ることも楽しみにしているけれど、行政的に今の立場ですごく注目しているのはパラリンピックです。ウィルチェアーラグビーって知っていますか? 車椅子でするラグビーのことですけれど、激しいボディコンタクトがある競技なんですよ。すごい迫力があってかっこいいスポーツなのに、きっとみんな見たことがないと思うんです。生で見たらほんと迫力があって、「うわあすげぇ! 」って応援に熱が入っちゃうんですよ。パラリンピックって健常者の意識が変わる大きなチャンスなのに、見たことがある人が少ない気がしています。

僕、ロンドンパラリンピックのポスターがすごく好きで。片脚のない人、片腕がない人、車椅子の人が並んだ黒バックの写真に、「meet the super humans」と書いてあって、「かっこいい! 」と思いましたね。超人たちに会いに来い、今まで福祉の対象で手を差し伸べる相手だった人たちが、尊敬の対象に変わっていく瞬間がそこにある。それってやっぱり成熟した都市の条件だなって、すごく思ったんです。

私たちの意識の壁を少しずつ壊しながら、目標に向かって道筋を立て実現していく。長谷部さんは未来への距離をはかるための物差しを見つけ、構想をつぎつぎと実現しているようだ。

長谷部:最近強く思うようになったのは、ハーモニーというか調和です。それは歴史にとっても大切なこと。パートナーシップ証明書についてもそうなのではと考えます。LGBTの一連に関して気持ち悪いっていう人たちもいたけど、それも含めて調和をしていく。嫌だと思う人が存在したっていい。今はただ少しずつ慣れてもらうことに重きを置いています。反対したい人たちも含めての、多様性だと思っています。

最後にこの連載タイトルの「原宿未来予想図」について、前回の中村貞裕さん同様イメージを色紙に描いてもらった。

「パリ、ロンドン、ニューヨーク、渋谷区」

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長谷部:成熟した国際都市になっているといいですね。住んでいる人にとっては最先端の田舎というか。未来に向けた標語としては、この言葉を採用しています。行政は税金や投票権があるから、タックスペイヤー(納税者)として住んでいる人を見てしまうけれど、それだけではなくてカルチャーやこの街の発展も考えていきたいです。それが国際都市というか、成熟した都市の条件です。原宿の将来は、成熟した最先端の田舎かなぁ…。この言葉、ちょっとダサいのかな。(笑)

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ーインタビューを終えて。

初めてお会いしたのは10年以上前。僕が当時編集長を務めていた『FILT』というフリーペーパーで、グリーンバードの取り組みを特集させてもらったときのこと。偶然にも大学の後輩と知り、「専大にもこんな志の高い素晴らしい卒業生がいたのか! 」と感心したのをよく覚えています。その頃から、難しいことをわかりやすく、面倒臭いことをかっこよく見せるのが上手な人だなあと思いました。クリエイティブが持つ力を本気で信じている長谷部さんだからこそできる、世界一クリエイティブなまちづくりを実現させてほしいです!

■長谷部健(はせべけん)
渋谷区長。1972年東京都渋谷区生まれ。大学卒業後、株式会社博報堂に入社。JT、TOWER RECORDなどを担当し、2002年に博報堂を退社。その後、ゴミ問題に関するNPO法人グリーンバードを設立。原宿・表参道から始まり国内外70ヵ所以上で、ゴミのポイ捨て対策プロモーション活動を実施。2003年4月、渋谷区議会議員選挙でトップ当選を果たし、計3期区議をつとめ現在に至る。グリーンバードのほかに宮下公園のリニューアル、子供が「自分の責任で自由に遊ぶ」をテーマにしたはるの小川プレーパークの開園、シブヤ大学の設立もこれまでに実施している。

インタビュー/大崎安芸路、文/小松田久美、撮影/田形千紘(人物)

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