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感想文

本や映画や、いろんなことの感想文を書いています。

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ひとりごと

思うこと つぶやき

先日の記事の件は、前記事でおしまいにしようと思ってたんですが。

なんだか目からウロコ的なことがあったので、独り言的に追記。

 

 

先日の記事を、ズイショ(id:zuiji_zuisho )さんに言及していただきました。

 

zuisho.hatenadiary.jp

 

 

まぁ私、記事内でめっちゃ批判されてるので『いただいた』っていうのはちょっと嫌味っぽくなっちゃうかもなんですが。

 

この記事

 

nemurenai-same.hatenadiary.jp

 

に、ズイショさんからブコメをいただいたとき、ズイショさん?前に聞いたことがあるような気がするな?記事もたぶん、読んだことがある気がするな?と、ちょっとひっかかりました。

 

私は、多くの方が購読しているであろう有名なブロガーさんたちのブログを、全然購読してないんですが、それでもお名前は聞いたことがある、記事もきっと1度以上読んだことがある、そんな中のおひとりのような気がしました。

  

で、ブログにとんだんですが

何度読んでもなかなか、内容が心に入ってこないんですね。

どうしてもかみ合ってこない。

いただいたブコメの内容も含めて。

違和感は感じるんだけど、それがなんなのかわからなくて、何度も何度も読みました。

 

で。

昨日やっと、その理由に気づき、そうしたら記事の内容もするすると心に入ってくるようになって、あぁもっともなことを言われているなと、ようやく理解することができました。

 

まぁ理解できたからって、自分の意見や考え方が変わったり訂正したくなったりはしてなくて、純粋に『腑に落ちた』ってだけのことなんですが、なんだかとてもすっきりしたので、文章に起こすことに。

 

 

まずですね。

1つだけ反論させていただくと、ズイショさんの記事の2つ目の▼。

 

タイトルで「自殺」という言葉を用いているのに、本文を読み始めると「自死」という言葉を持ち出しているあたりに最初は違和感を覚えた。それは後になって出てくる「人を殺す殺人と自分を殺す自殺と根本的な違いはない」という筆者の主張をより印象的にアクロバティックに見せたいがための方策であったのだなと読み進めるうちにわかった。

 

この点だけははっきりと誤解です。

私は、そんな計算した文章構成ができるほどのテクニックも文才も持ち合わせていないので、ご指摘の件は全く意図していませんでした。

そんな文才があればきっと燃えたりせず、多くの方に主張を伝えられる記事が書けたはずなんです。

 

 

でも、物事の解釈は人それぞれな部分があっても

他のご指摘内容は、おおまか当たってます。

 

たとえば

 

「そんな理由で死んでいいほどあなたの命は軽くないんだ」と筆者は言うが、ここまで見てきた通りに筆者は命の重さを他人からの評価に委ねるべきものと主張しているようだ。

 

もうこれ本当にその通りで、その件に関しては、前記事のコメント欄で少し述べさせてもらってます。

 

以下、自分のコメントからの抜粋

 

前記事のブコメでも指摘されたんですが、私の命の価値は『自分以外の人にとって自分がどんな存在か』に寄りすぎていて、じゃあ誰にも大切に思われていない人は死んでもいいのかと問われると、それに反論することができないんです。

それは、とても恐ろしく残酷な価値観だと自分で自覚しています。

どんな命も大切なんて記事を書いておきながら、矛盾してますよね。

今もまだ、葛藤の中です。

 

そのことに気づかれるほど、深く読み取ってくださったんだなと、ちょっと感動してしまいました。嫌味じゃなく本心です。

 

そして

 

孤独な状況を持ち出しながら、誰かのためにも絶対に死ぬな死ぬのは罪深いんだと主張されたって、一体誰のために死んではいけないのかまるで見当がつかない。筆者が想定している誰かとは一体誰なのだろう。

 

それはきっと筆者なのだろう。と俺は思った。

 

これも本当にその通りだなと。

少年に死んでほしくなかったのは『私自身』だったんですね。

きっと。

 

このことに気づいたとき

ズイショさんをはじめ、何人かの方に指摘されていた

 

あなたが父の死を解釈する過程をどう紡ごうが自由だが他人の死までも巻き込むな、って話なのだと思う。

 

何の接点もない筆者

 

見ず知らずの他人の死を引き合いに出して

 

 

要は

 

『見ず知らずの他人の死を外野からとやかく言うな』

 

という意見。

 

ズイショさんや、他の何人かの方のこのご指摘に対して、言われるたびに感じていた違和感がなんだったのかようやくわかりました。

 

私にとって、少年は、確かに会ったこともないけれど、決して『見ず知らずの他人』だなんて思えてなかったんですね。

 

それは私が、子を持つ母親だから。

そして、仕事で現場に入り、毎日中学生と接しているから。

彼らにとても愛情をもっているから。

 

父の死同様に、少年の死は、私にとって、とても身近な人の死だったんです。

 

 

私にとって少年の死は、ズイショさんの言う

 

自分が明らかに「遺された」と思わされるようなそんな死

 

そのものでした。

 

だからこそ、語気も強くなってしまったんだと思う。

感情的になってしまったんだと思う。

 

前記事に

id:tobehonestさんにいただいたコメント

 

あんな書き方しなくても伝える言葉はいくらでもある。それを選ばなかったのはアナタに責める気持ちがあったからでは?

 

ずっとひっかかっていました。

そうかもしれないって。

そしてやっぱりそうだったんだなと思いました。

 

だって、普段接している中学生たちと同年代の少年の死が、私は本当に悔しかったから。

  

少年も、少年の周囲の大人も、そして自分自身も、責める気持ちが、きっと私の中にはありました。

だから、攻撃的な文章になったんだと思います。

 

  

元記事

 

nemurenai-same.hatenadiary.jp

 

には今、子供をもつお母さんから、また、ご自身が自死を踏みとどまった経験がある方から、たくさんコメントをいただいています。

 

みなさん、この事件を『他人事』としてとらえてない方ばかり。

 

 

今回、ズイショさんや他の何人かの方と、私の見解が全くかみ合わなかったのは、事件に対する立ち位置、物事を見ている場所が根本的に、全然違うからだったんだなと、ものすごく腑に落ちたというか、目からウロコというか。

 

どちらが間違っているわけでもなく、正解もない。

1つの物事を、いろんな方向から、いろんな距離感で見ていたからなんだなと納得できました。

 

 

言及していただいた記事

 

ズイショさん以外にも、言及してくださった方がいました。

いただいた批判に対しては、根本的な価値観の違いからきていて歩み寄れない部分もあるし、もちろん、あぁ確かにその通りだなと、穴を認める部分も多くあります。

いずれの記事も、中傷とは違います。

いろんなことを気づかせてくださり、批判もまた、感謝します。

ありがとうございました。

 

以下、日付順で。

 

nogreenplace.hateblo.jp

 ※ id:zeromoon0さん、コメントもありがとうございました。心に留めます。

 

zuisho.hatenadiary.jp

 

id:zn0621さん

anond.hatelabo.jp

 

関連サイト

 

【特別寄稿】 広島 中3自殺|同世代の子を抱える親として思うこと | Writerzlab

 

 

親の気持ちが伝わる記事。

 

tanpopotanpopo.hatenablog.com

 

子供は親の所有物じゃないといわれても

子供の意思を尊重しろといわれても

たとえそれがエゴであっても

子供の命は守りたいのが親。

 

 

 

 

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