すでに自然は、
意識をもった動物を発明した。
人間。
脳という記憶装置が、
意識を生み出した。
生まれた意識が、
自動的にデータをカテゴライズしだした。
それが学習。
学習は言語を生み出し、
他の個体とのコミュニケーションを、
円滑にした。
データの収集アンテナと、
記憶装置が増えた。
有機的に個体が結合することで、
組織化され、社会という、
生物が生まれた。
あちこちに生まれた社会は、
それぞれの生存競争を開始した。
戦争して勝ったほうが、
負けた方を食べ、大きくなった。
大きくなった社会で、
よりコミュニケーションを加速させる、
様々な発明がなされた。
お金、文字、道具、 他の生命体の活用など。
特に、社会の記憶は、
「法律」として共有された。
道具の発達がすすみ、
コンピュータという、
記憶装置が発明された。
人間の外部脳として、
進化していったコンピュータは、
それ自身でデータ収集をし、
処理(カテゴライズ)しだした。
また、記憶の分散処理も、
システム化され、
莫大な量のデータが集まるようになった。
インターネットという情報経路は、
さながら神経系のように、
クラウド上の刺激を集められ、
処理され、それらによって、
自動的に行動信号が発せられる。
その自動的に発せられる信号が、
人間でいうところの意識だろうが、
それは人間には、
わからない。
俺の白血球が、
俺の意識を理解できないように。
神の見えざる手、と表現してもいいね。
人間自体を
意識をもった機械と捉えてみる。
誰が人間を作ったのか?
植物じゃね?
宇宙から地球を見ると、
トウモロコシが支配してるように、
見えるんだってよ。
人間は、トウモロコシの世話をする、 意識をもった機械だよ。
そして、それは、自然のあちこちに 見られるでしょう?
カバの口を掃除する鳥とかね、
海で共生するイソギンチャクとクマノミや、
人間の腸内に住む細菌とかもさ。
再帰的に考えると、
すべての形が相似形なら、
人間と機械ともね。
俺ら人間こそが、植物にとっての、
ターミネーターだからね。
人間と機械はうまくやってける。
人間が植物と
うまくやっていってるように。