ひさしぶりの沖縄で平和祈念公園を訪ねました。ここは第二次大戦の沖縄戦で追い詰められた日本軍の玉砕の地で、近くにはひめゆりの塔があります。米軍の銃撃と砲撃にさらされたひとびとは壕のなかで集団自決し、摩文仁(まぶに)の丘の断崖絶壁からつぎつぎと身を投じました。
戦前の日本は国家(国体)を神聖なものとし、すべての国民が天皇(皇統)に殉じることを当然とする“カルト宗教国家”でした。いまの北朝鮮のような社会ですから、当時のひとびとの価値観や選択を平和でゆたかな現在から批判しても仕方ありません。しかしそのなかにも、理不尽な現実に煩悶したこころあるひとはいました。
八原博通は沖縄戦を戦った第32軍の高級参謀として、制海権・制空権を失った圧倒的不利な状況で、地形を利用した戦略持久戦を指揮して2カ月にわたって米軍を苦しめますが、大本営から無茶な決戦を求められて戦線は崩壊、最南端まで撤退するも戦闘継続不能に陥ります。このとき牛島満司令官、長勇参謀長は自決しますが、ナンバー3の八原は大本営への報告を命じられて壕を脱出、米軍の捕虜として終戦を迎えました。戦後八原は、沖縄戦の第一級資料となる手記を刊行し、劣勢を認めることができない大本営の愚策で兵士や沖縄県民が無駄に死んでいったことをきびしく批判します。
八原は陸軍大学校を抜群の成績で卒業し、アメリカ駐在の経験もある超エリートで、合理的思考の持ち主でした。その八原は、刀折れ矢尽き丸腰同然で米軍に突撃していく将兵を見て、なぜ降伏してはならないのか自問します。そして、「(軍の最高権力者たちは)降伏に伴う自らの生命地位権力の喪失を恐れる本能心から、口実を設けて戦争を続けているのではないか」とまで考えるのです。
しかしそれでも、八原は参謀として降伏を進言することができません。司令官も参謀長も、日本の滅亡を避けるには無条件降伏以外の道はないと確信しますが、そのことにいっさい触れないまま、美しい辞世の句と漢詩を残して自決してしまいます。これが6月23日のことですから、司令官を失った日本軍は戦闘を継続する能力もなく、かといって降伏することもできず、終戦まで1カ月以上、多数の住民や学徒兵を巻き込んでむごたらしい自決と玉砕を重ねることになったのです。
終戦後、米軍の捕虜収容所にいた八原のもとに1人の米兵がやってきます。ミルウォーキーで技師をしていたという一等兵で、日本軍がなぜ自決するのか不思議に思って、高級参謀にそのことを尋ねようと思ったのです。
「これ以上戦っても効果がない、自分は十分に義務を果たしたと思えば降伏するのが当然ではないか」と米軍一般の見解を述べたあと、一等兵は、天と地ほど身分の違う高級参謀に向かって次のようにいいます。
「国家、政府、戦争、これらはすべてビジネスです。ビジネスにならぬ国家、政府、戦争は有害無益です」
八原は米軍の一兵卒のこの言葉を聞いて、日本軍の神がかりの論理とのあまりのちがいに愕然とし、言葉を失います。
それから70年たちましたが、この米兵と同じように国家を語れる日本人がいったいどれほどいるでしょうか。
参考:八原博通『沖縄決戦 – 高級参謀の手記』
稲垣武『沖縄 悲遇の作戦―異端の参謀八原博通』
『週刊プレイボーイ』2016年3月7日発売号
禁・無断転載

摩文仁の丘
次元の違う話ではありますが、
一般の人にとっての生命保険は『入るか、入らないか?』が最初に来ますが、
生命保険会社の人にはその問いは全く存在していなくて、最初に来るのは『どの生命保険に入るか?』ですよね。
選択肢の広さは、自分で設定できないものなのかもしれませんね。
当時の軍上層部としては、『戦争すること・戦争で勝つこと』が、自分たちの存在意義そのものであるから、『勝たないのに戦争を止める』ことがどうにも容認できずに、天皇陛下への戦況報告も恣意的なものになっていったのかもしれませんね。
後になってからは、なんだって言えるワケですが。
願わくば、ナゾの人が横槍を入れてきませんように……。
>願わくば、ナゾの人が横槍を入れてきませんように……。
横槍を入れるのが存在価値(レゾンデートル)の私が横槍を入れると、
>「国家、政府、戦争、これらはすべてビジネスです。ビジネスにならぬ国家、政府、戦争は有害無益です」
これを「イスラム国」の戦士に言えば、刺されるどころかテロの対象にすらなりかねません。
アメリカ人すべてがこのようにこのように考えているわけではないはずです。
アメリカでよく視聴されている「スタートレック」という連続SFドラマに
「クリンゴン人」と「フェレンギ人」という対照的な異星人が出てきますが、
「クリンゴン人」が名誉と力を重んじる、好戦的な戦闘種族と描かれており、
初期とは違って現在ではむしろ好意的に描かれているのに対し、
https://ja.wikipedia.org/wiki/クリンゴン人
「フェレンギ人」が嘘をつくこと・他人を騙すことに抵抗が無く、金儲けが全てに優先され、
死ぬことよりも金儲けに失敗することに恐怖心を抱くほどと描かれており、
こちらの方が「悪役」として描かれています。
「フェレンギ人」は別名「ヤンキー・トレーダー」とも称されています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/フェレンギ人
スタートレックはアメリカに深く浸透したSFドラマであり、アメリカ人の現在の精神構造を
理解するには、むしろこちらの方が適切なのでは???
文民統制であれば総選挙において組織トップが交代することで、これまでと一転して講和路線に持ちこめたかもしれないですが、軍人が自ら組織のトップになってしまうと、もう最後の最後まで自分たちで処理しないといけない羽目になるんですね。
喧嘩は買ってもいいが売ってはいけないと。自分から喧嘩を始めると、紛争の講和処理をやってくれる第三者がいなくなってしまう。。