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【首都スポ】

<首都スポ>西部ガス・花城 母校亜大とのOP戦で恩返し投

2016年3月2日 紙面から

亜大−早大 13回途中から登板し勝利投手となった亜大の花城=2015年11月18日、神宮球場で(七森祐也撮影)

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 東都大学野球リーグを戦い、野球を続ける4年生たちは卒業よりも一足早く、新天地のプロ野球、社会人野球で新たな野球人生の第一歩を踏み出している。昨秋、明治神宮大会を制して日本一になった亜大の花城直投手(4年・八重山)は、福岡県に本拠を置く西部ガスでプレー。難病の黄色靱帯(じんたい)骨化症で野球をあきらめかけながらも克服、再びマウンドに立った不屈の右腕は、恩返しの思いを胸に全国舞台を目指す。

 母校とのオープン戦。西部ガスのユニホームでマウンドに上がった花城は2イニングを1安打無失点。「頑張っているところを見せることができました」。昨年、復帰に向けて練習していたころ、手術明けにもかかわらず容赦なく指導してくれた生田勉監督(49)は試合後、笑って迎えてくれた。

 春先から両足のしびれがひかなかった花城が、黄色靱帯(じんたい)骨化症と診断されたのは3年の5月。専門医がいる北海道の病院に入院してすぐに手術。骨化した部分を取り除いた手術後の痛みは想像を絶した。夜中にベッドでうめき、肘の治療で入院していた後輩が、ずっとベッドサイドにいてくれた。

 先輩の東浜を通じて、同じ病気を克服したソフトバンク大隣憲司投手から届いた激励を胸にリハビリして復帰。最速だった148キロにはまだ届かないが、秋には145まで戻った。ラストシーズンの昨秋はリリーフエース。「最後を託せるのは、野球ができなくなる状況からはいあがって来た花城しかいない」と託されて、だれよりも輝いた。その証しが左腕の高級腕時計だ。

 話は前年の手術直後にさかのぼる。北海道へ見舞いに行った生田監督は「復帰後に1勝したら、この時計をプレゼントする」と約束した。大学日本代表のコーチとなったのを機に夫人からもらった大事な時計。翌秋の神宮大会決勝の早大戦、同点の延長13回裏1死一、三塁で登板した花城は、サヨナラピンチをしのぐと、14回に味方が挙げた1点を守って、日本一の勝ち投手になった。

 「勝ちがつきにくいリリーフ。リーグ優勝の胴上げ投手になったときにあげてしまおうかと思ったが、彼は自分でしっかり取りました」と生田監督。昨夏のユニバーシアード金メダルのときに生田監督が使っていた腕時計を左腕に巻く不屈の男は「あの場面、チームのみんなが信じてくれたから投げられたと思ってます」と振り返る。社会人野球という新しい舞台、すべての登板を支えてくれたすべての人への恩返しにする。(小原栄二)

 <花城直(はなしろ・ちょく)> 1994(平成6)年1月23日、沖縄県石垣市生まれ。右投げ右打ち。八重山高時代に最速148キロをマークしプロも注目。亜大では1年春からベンチ入りし、4年秋はリーグ戦、神宮大会ともに胴上げ投手。持ち球はスライダー、フォーク、カーブ、チェンジアップ。

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