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【首都スポ】<首都スポ>埼玉から羽ばたく15歳 天才ゴルファー中島啓太2016年3月3日 紙面から
男子ゴルフの石川遼(24)=カシオ=の系譜を継ぐ、15歳の天才ゴルファーが現れた。中島啓太(埼玉・加須市立大利根中3年)は、東京・杉並学院高ゴルフ部で監督を務めた吉岡徹治さんとの出会いによって才能が磨かれ、2015年日本アマでは準優勝を飾った。日本を背負う次世代のエース候補の足跡と素顔に迫った。 (松岡祐司) 6歳から自宅近くの練習場でゴルフを始め、7歳の誕生日に両親からクラブをプレゼントされると、中島はすぐさまレッスンプロに師事した。 「握り方から教わり、上達も早くて楽しかったです。うれしくて、何発も打っていました」 8歳のときに参加したゴルフキャンプで、吉岡徹治さん(前杉並学院高ゴルフ部監督、現代々木高ゴルフ部監督)と出会った。石川遼、薗田峻輔らを育て上げたジュニア育成の名伯楽の指導を受け、中島はメキメキと頭角を現した。 9歳で出場した埼玉県ジュニアでは、思いがけず優勝した。「遊びながら練習していただけで優勝してしまったんです。楽しみながらやっていたら、不思議と結果が良かったという感じで。小学4年生の時は、全部が楽しくて仕方がなかったです」と、中島は屈託なく笑う。 自然とゴルフにのめり込んでいったが、「ゴルフ漬け」という感覚からは程遠く、練習の虫というわけでもなかった。 「やりたいときだけ練習する。やりたくないときはやらない。それは、いまも変わらないです。やりたいときだけやる。そういう姿勢を大事にしています」 1回の練習時間は、約1時間半。「ショートゲームが大好き」という言葉通り、ドライビングレンジではなく、アプローチコースでひたすら技術を磨く。量ではなく、こだわるのは質。追い込むのではなく、楽しみ、極めようとするスタイルが、中島の信念として育まれていた。 昨年7月の日本アマ(兵庫・広野GC)。関東アマの予選落ちから復活戦で出場権を得た中島は、変わらず自然体のままで驚くほど冷静だった。 「試合では全然、緊張しませんでした。先輩(角海利、代々木高)がキャディーをやってくれて、しゃべりながら遊びみたいにやっていて、本当にすごく楽しかったです」。15歳ながらもコースマネジメントにたけ、正確なショット、アプローチは絶品。悠々と勝ち上がり、周囲を驚かせた。 「内面は、まだ幼いままなんですよ」とは母・美智子さん。練習場で笑顔を振りまき、おにぎりをおいしそうにほおばる中島の姿は少年そのもの。ただ、ラウンド中は一切の感情を封印。好ショットを放っても、ミスをしても引きずらず、常に目の前の一打だけに注力する。冷静に、しかも淡々とプレーする様子はちょっと大人びている。 「吉岡先生に教わり、試合中は顔を変えないように意識してやっています。良いときも悪いときも、顔を変えないでやっていれば最後に良いことがあると思って」 今年3月に中学を卒業後、代々木高へ進学する。高校王者、日本アマ優勝、そして東京五輪へ−。一気に飛躍した若きホープには壮大な目標がのしかかってくるが、中島自身はプレーと同様、浮つくことなく、「『日本アマで優勝を目指すのか?』と、よく聞かれるんですけど、優勝は意識しません」と言い、「タイトルとかも目標はなくて、五輪も見えていません」と現実を直視している。 「高校3年間で、まずはしっかり体を作りたい。身長も伸びているし、もっと大きくなりたい。日本のツアーにも出たいし、将来的にはアジアンツアーやアメリカのツアーにも出たいけど、自分はまだまだ。吉岡先生から『一緒にやっていこう』と言われているので、これからが楽しみです」 15歳の信念は、ぶれない。ゴルフを心から楽しむ。そのために、心技体を磨き上げる。その先に、中島だけの未来が待っている。 ◇ 首都圏のアスリートを全力で応援する「首都スポ」面がトーチュウに誕生。連日、最終面で展開 PR情報
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