2016年03月14日

はしごたんさんに向けて書いたこと

わたしは特定のだれか宛ての言及記事を、意識的に書かないようにしてきたけど。
でも今夜、ちょっと酔ってる勢いを借りて書いてみる。

人が人に異常に優しくなれるのはどういうときなのか
[blog:heartbreaking.


知ってる方も多いとおもうけど、はてなのはしごたんさんのブログです。

はしごたんさんにはいちど、わたしも言及記事を書かれているので、わたしも書いていいよね。
っておもって、これを書く言い訳をじぶんで見つけてみた。

わたしのアカウント上ではなにも書いてこなかったけど、はしごたんさんとはいぜんはツイッターを相互フォローしてたけど、そのあとで相互ブロックして、それきりになってた。
わたしとはしごたんさんのブログを両方見てる方もいるとおもうから、はしごたんさんのところで書かれてたわたしへの記事で、わたしたちになにかあったとおもわれてるとおもうけど。

実はわたしはあの記事は、言及された直後はぜんぜん気づいてなくて。
何日か経って、わたしがときどき覗いてるブログでわたしの前のはてなのブログへの言及がされてるのを見て。
それでものすっごーーーーーーーーーーい久し振りにluvlifeのアカウントの方にログインしてみたら(こっちは放置状態だったのです)、そこではしごたんさんに言及されてたことを通知で知ったのです。
アメーバブログにもリンクが貼られてたけど、アメーバはわたし、アクセス解析をほとんど覗かないから(アクセス数だけならログインした画面にでるから、だいたいはそれしか見てない)リファラーとかで気づかなかったのね。

その言及記事については、あの当時、わたしは特に反応しない選択をとったので、いまさらなにも言う気はない。
いろいろ誤解もあるなー、っておもったけど、その誤解を解くことをわたしはしなかったのだから、結果的にはしごたんさんとはこじれたまま、ツイッターでもブロックしあって、接点を断ち切ってしまった。

ブロックしたあと、あることでわたしはまたはしごたんさんの書くコトバを見に行ったけど、そこにはわたしへのはしごたんさんの感情みたいなのが書かれてて。
それは決してヘイト的なものではなくて、わたしはそのときに、ある方から言われたコトバをようやく体感で理解したのね。

その「ある方から言われたコトバ」について、これを書いてます。

ツイッターでは相互ブロックしてたから、ツイートは見てなかったけど。
ブログはたまに見に行ってた。
相互ブロック直後はしばらくほんとにそのまま離れてたけど。

わたしが見てる範囲にはしごたんさんのブログの話題が出てたから、それでまた覗いてみて。
そのときからまた、じぶんに時間があるときは覗いてみたりしてた。

『人が人に異常に優しくなれるのはどういうときなのか』


この記事のタイトル。
これがどう本文にリンクされるか。

人が人に異常に優しくなれるのはどういうときなのかというと、それはあきらかに自分より劣る者を見つけたときだ。そこには嫉妬も絶望もない、ただ心の中で見下すだけでいいのでらくでいられる。


「はしごたんさんのコトバの魅力」というのが、こんなふうにブログ上に記される。
このコトバは、あたまでおもいついた「きれいな名言」なんかじゃなくて。
この方の「体感」だ。

いましがたの「体感」がそのままこんなふうにコトバにされてる。

「いま」感じた。
それをそのまま「コトバ」にする。

その「コトバ」が「人が人に異常に優しくなれるのはどういうときなのかというと、それはあきらかに自分より劣る者を見つけたときだ。そこには嫉妬も絶望もない、ただ心の中で見下すだけでいいのでらくでいられる。」というものすごいタイトな文章になる。

このすごさ、だれかわかるーーーーー?

って、わたし、ネット中を走り回って言いたくなっちゃう。

文章を書く人、ならわかるかもしれない。
わたしもいちおうは「書く」人だから。
文章を書く、ことが好きだから。

「文章を書く」人は、その「文章」についていろいろかんがえる。
どんな文章が書けるのか、どんな文章を書きたいのか。

その文章を書く人の「憧れ」を「文章」で魅せつけてる人が「はしごたん」さんなんだよね。

わかる?

わかる人はこのネットに何人もいるはず。
だから、はしごたんさんのファンは何人もいるんだよね。

わたしははしごたんさんの文章にものすごい惹かれた。
だから、それをこのアカウントでも書いてきたし、まさかのツイッターを開始したのを知って狂喜乱舞した。
直接はしごたんさんのコトバに触れられる、とおもって。

そんなわたしが、なんではしごたんさんから離れてしまったか。

その原因はわたし自身にある。
わたしはいつのまに、つまらない理性で人のコトバを読んでたから。
「感性」のぶぶんで強烈に惹かれるものがあるのに、そこに「理性」のスイッチがはいるとたちまちじぶんの主観性を否定しだす。

わたしにはわたしのいろいろかんがえることがあって。
それに反する内容のものを見ると、そこでじぶんの意見を表明しようとしてしまう。

そういうものをはしごたんさんのコトバに感じたときがあって、そこにじぶんの意見を表明したことで、「文章」でなく「思想」の対決にしてしまった。
わたしが。

そこで、わたしがある方から言われたコトバ、というのが、わたしの中にしみこんできた。

その「ある方」っていうのは、わたしが叔母さんから与えられたiモードでインターネットというものを知った小学生のころのまえからインターネットをしてる方で。
ご自身もいろいろ「文章」を書くプロの方で。
その方と共通の知り合いの方たちともいま、わたしはツイッターで繋がってたりするし。

その方ははてなの初期のころからを知ってる。
はしごたんさんのことも、ずーっとさいしょからリアルタイムで知ってる方。

その方といぜん、お会いしたとき。
わたしがはしごたんさんのブログをじぶんの記事で取り上げたのを見て、はしごたんさんのことを語ってくれた。

彼女のコトバは「ライブ」だ、って。
いろんな人たちはじぶんのブログに書くコトバを自覚的だったり無自覚だったりして「編集」してる、って。

きれいごとしか書かない人もいる。
本音を書いてるように見せても、ちゃんとそれは「見せる」演出を施している人もいる。
炎上しないようにだれもが気をつける。そこに編集のフィルターがかかる。
じぶんで推敲して、じぶんで編集して、じぶんをプロデュースする。

無意識でもじぶんが叩かれたくないことは正当化や美化したりオブラートに包みたがる。
それが人のサガだけど、そんな計算の働かないピュアな文書がある、って。

じぶんを編集しないライブのコトバを書きつづけるのがはしごたんさん、だって。

だからじぶんに不都合なことまで書いてしまう、って。
そのことにになんの怖れもない文章、だって。

過去はもっと過激なことを書いてた、って言ってて。
それに対していろいろ怒る人もおおかったけど、ストレートに放つコトバ、というものに圧巻された人たちも少なくない、って。

はしごたんさんの書く「コトバ」にはしごたんさんのすべての魅力があるから、そこに倫理とか理性とかのアンテナをたててそんなアンテナで受信すると勿体ない、って言われたの。

わたしは接点を持つことでじぶんの思考との摩擦をかんじてしまったけど。
いろんなものがいろいろ違っていたって、はしごたんさんの放つコトバは「ライブの力」がある。

それを「人が人に異常に優しくなれるのはどういうときなのかというと、それはあきらかに自分より劣る者を見つけたときだ。そこには嫉妬も絶望もない、ただ心の中で見下すだけでいいのでらくでいられる。」というぶぶんを読んで、このコトバに感電した。

しつこく言うけど、これははしごたんさんの「体感」のコトバ、だから、だ。

そのはしごたんさんが、電子書籍を出版して、そのことでもいろいろ書いてて。
ほかに出版した方(これからする方も)との比較の話を書かれてたけど。

出版、といっても、いろんなジャンルがある。
ぜんぜんちがうジャンルは、その売れ行きもぜんぜん数値がちがうから。
エンタメや実用書と純文学的なものとは「売れる」っていう数字がぜんぜんちがうよね。
だけど、その数字だけでどっちがすごいとかどっちがダメ、とかじゃなくて。
読んだ人たちの評価こそがすべて。

はしごたんさんが気にしてた人たちの出版は、ちがうジャンルでそれぞれ才能を発揮できる書き手さんたちで。
だから、いっしょくたにして比較するのはものすごい意味のないことで。

プロでも純文学はそんなに売れないっていうじゃんー。
ブログを書いてる一般人が私小説的な純文学テイストの書籍を出してもフツーは「ぜんぜん売れない」とおもう。
はしごたんさんの書籍が売れた数値は、そのまま「はしごたんさんの書くモノ」に興味を抱く人たち、だから。
お金出してコンテンツを買ってくれる人がなかなかいない時代に、はしごたんさんが出してた数値のそれだけの人がお金払って読んでくれる、ってわたしはすごいとおもった。

わたしがこのアカウントでなんか書いて出版しても、はしごたんさんの1/3も売れない自信あるもん。

はしごたんさんが名前を出してたブログの方たちも人を惹きつける文章を書けるステキな方たちだとおもうけど、その方たちに対して卑下することなんてぜーんぜんないのにー、ってわたしはおもったの。
だから、これ書いた。

はしごたんさんはじぶんのコトバの力、じぶんで信じてないのかな。
ときどきものすごい強いコトバを使えちゃう人なのに、じぶんのコトバにどんな魔力があるか、そこにうまく気づけてないのかな、っておもった。

いろいろ見せるじぶんの弱さが、はしごたんさんのコトバに息を吹き込む。
強いコトバを放つはしごたんさんの見せるストレートな弱さに、人は惹きつけられるのだとおもう。

弱さからでる強いコトバ。
強さからでる優しいコトバ。

いろんなはしごたんさんが、その時折に、そのままストレートにコトバにあらわされる。

ブログ人格があるのだと言ってたのをわたしは目にしたけど。
でもねー。
はしごたんさんは、じぶんを誤魔化せない人だよねー、ってわたしはおもってて。

じぶんをきれいに繕うことができないところが、いろんな方向に鋭く放たれるキラキラした尖ったコトバになるんだとおもう。

そのコトバがじぶんやじぶんのだいじなテリトリに向けられると読み手はつい憤ってしまうけど、そういうことじゃないんだ、ってわたしはかんじるようになった。

はしごたんさんのコトバは編集されていないライブだ、って人から言われたコトバに、いま、ものすごい納得する。

人が生きてるときに放つコトバ。

そんなものに正しいとか間違ってるとかきれいとかきたないとかない。
そのまま、なんだよ。

そのまま、をコトバにして、そのまま放てる人がはしごたんさん。

そのコトバをそのまま受信しないともったいない、って、文章を書くことが好きなわたしはかんじる。




ここからは余談です。(だれかの真似)

トピシュさんは、そんなに意地悪い人じゃないとおもうよー。
いろいろコトバが、なんか誤解されそうな表現をするときもある方だけど。

わたしはいちど、ツイッターで話しかけられて、ものすごいびっくりして。
それまでなにも接点なんてなかったからねー。
それから少し、いろいろ見てみてみたけど。

あくまでもさいきんいろいろ見ただけのわたしがかんじるようになったことね。

この方、いろいろ鋭く人を見てるけど、けっして意地悪い目線じゃないなー、ってわたしはおもったの。
っていうか、弱い立場の人に寄り添った見方をする方だともおもう。

あのトピシュさんのコメントは、はしごたんさん側に寄り添ったコトバ、ってわたしは読みとれたのね。
はしごたんさんに直接接してる人たちは、そんなに意地悪いきもちじゃないとおもう。

余計なことだったらごめんなさい。



※シーサーからはてなに言及通知やトラックバックが送れないので、ブックマークでセルクマして、そこではしごたんさんにid通知送ります。



追記:
ブログタイトルの下見た。
市立茨田北中学校へ月曜日以降毎日電話して抗議するブログ

これ、ものすっごい同意しちゃう。

うんうんうんうん。←すっごい頷いてる



posted by みかみか at 04:15| バンコク | なんか書く | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする