ホームから転落した乗客を助けようとして

01年新大久保駅転落事故、両親が語る「息子の勇気、日本人の励まし」

2015年08月10日(月) 11時00分
〈週刊女性8月18・25日号〉
2015年08月10日(月) 11時00分
〈週刊女性8月18・25日号〉

 20世紀から21世紀にかけて列島を揺るがした「大事件・事故・ブーム」のその後を追った大特集。今回は'01年東京・JR新大久保駅の乗客転落事故のその後――

【写真】李秀賢さん(奨学会提供)

【写真】李秀賢さん(奨学会提供)

「秀賢は好奇心が強くて、やりたいことは必ず実現しようとする子。“大学の授業で日本に関心を持った。どんな国か留学して確かめたい”と言うので“行ったことを後悔しないように”と送り出しました」

 と、父・李盛大(イ・ソンデ)さん(77)。

 日本と韓国の懸け橋になりたい─そんな大志を抱いた韓国人留学生・李秀賢(イ・スヒョン)さん(享年26)の夢がはかなく散ったのは、’01年1月26日の夜だった。山手線新大久保駅で、泥酔した日本人男性がホームから転落した。居合わせた秀賢さんと日本人カメラマンの男性(享年47)は線路に飛び降り救助を試みたが、電車にはねられ、3人とも死亡した。

 秀賢さんが通っていた東京・荒川区の日本語学校『赤門会』の新井時賛理事長(65)は警察からの連絡で駆けつけ、秀賢さんの遺体と対面した。

「顔だけがひどい状態で、最後の最後まで助けようとして正面衝突したのだとすぐわかりました。よほど必死だったのでしょう……」(新井さん)

 見知らぬ人のため命をなげうった2人は日韓両国から称賛され、とりわけ秀賢さんの国境を越えた勇気ある行動には、多くの人々から驚嘆の声があがった。2人の親御さんのもとへは、全国からたくさんのお見舞金が届いた。

 秀賢さんの父・盛大さんは、「息子の死を知ったときは驚きや後悔、悲しみのほうが大きかった。秀賢を誇りに思えたのは、日本のみなさんが息子をたたえ温かい言葉をかけてくれたからです」と語る。

 両親は秀賢さんの志を継ぎ、新井理事長にある依頼をした。

「ご両親から“倅(せがれ)の一生と日本人の善意を無にしないよう、いただいたお金は秀賢と同じ日本語学校生のために役立てたい”と申し出があったんです。そこで、ご両親と賛同する方からの寄付金で奨学会を立ち上げました」(新井さん)

 奨学会は秀賢さんの頭文字を取り『エルエスエイチアジア奨学会』と名づけられた。’14年までの13年間で18か国からの留学生689人に奨学金を支給した。両親は毎年、秀賢さんの命日のほか、奨学金授与式に足を運ぶ。’13年と’14年には日本の小学校を訪問し、命の大切さを考える道徳の授業に参加した。

【写真】’13年、両親は埼玉県の小学校で「生命尊重」がテーマの道徳の公開授業に参加し、交流を深めた(奨学会提供)

【写真】’13年、両親は埼玉県の小学校で「生命尊重」がテーマの道徳の公開授業に参加し、交流を深めた(奨学会提供)

「訪日するのは毎回楽しみなんです。どこかに秀賢がいるような気がして」(盛大さん)

 母・辛潤賛(シン・ユンチャン)さん(65)は秀賢さんの死後、日本語の勉強を始めた。韓国まで墓参りに来てくれる日本人に、日本語でお礼を伝えたいそうだ。秀賢さんの妹・李秀珍(イ・スジン)さん(39)は、両親を気遣い実家近くに越した。盛大さん夫婦は、2人の孫に目を細めているという。

 盛大さん一家には、異国で長男を亡くしたことをうらめしく思う気持ちはないのか。

「とんでもない、一切ありません。息子が自ら起こした行動の結果ですから。秀賢の勇気も日本人からの励ましも、この15年間、1日たりとも忘れたことはありません」

 そう言い切る盛大さんの脳裏には、ある出来事が浮かぶという。

 ’01年11月、皇居参観の際、美智子さまを乗せた車が通りかかった。皇后陛下は車から降り深々と頭を下げ、秀賢さんの両親の肩を抱いた。

「日本人を助けようとしてくださり、本当に、ありがとうございます」と手のひらを両手でそっと包まれたという。別れ際に両親を振り向いてもう1度歩みより、「日本にいる間、困ったことがございましたら、何でもお申しつけください」とつけ加えられた。

「慈悲深く、親しみのわく方でした。一生の光栄です」

 盛大さんは美智子さまの優しさに感動を覚えたという。

 秀賢さんの事故を機にするかのように、日韓は互いに関心を持ち始めた。’02年の日韓サッカーW杯共催や、『冬のソナタ』に始まる韓流ブームもあり、両国関係は改善した。ところが、近ごろ日韓関係には緊張が走りヘイトスピーチは社会問題にもなっている。両親はさぞつらいだろう。盛大さんに尋ねると、

「最近のギクシャクした関係には心が痛みますが、私たちは今後もずっと隣同士。ケンカしても仲が戻り、いい関係が続くと信じています」

 国籍なんて関係なく、ただ目の前の人を救おうとした青年。その遺志を継ぐ人たちもまた国籍も年代も関係ない、私たちであっていいはずだ。

【写真】高校の卒業式で両親と(奨学会提供)

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