未来を変えたい人間にとっては、"卒業"だのなんだのという儀式なんてどうでもいい。
革命だって、革命達成式典は儀式であって、本当に必要なんは、毎日毎日毎日毎日、地道に活動してきて、仲間を少しずつでも獲得していく過程やねん。
その過程が理解できとるヤツにとっては、毎日が困難の連続や。
けど、女優だってなんだって、本当になにかを勝ち取る人間は、毎日の過程を大切にする。
与えられた儀式にこだわる人間は、それが理解できん。
そういや、HKTの映画で、さしこが、
「公演目標があった、アレ意味がわからないよね」
と言うとった。
アレ観て、さしこも毎日の努力の意味が分かってないと思った。
そら、実のところ、全員で同じ公演目標なんてあるはずがない。
ひとりひとり、目標は違う。
けれども、
「今日はコレをするんだから、昨日よりはココを良くしよう。自分の夢とするこういう女優さんに一歩近づくために」
と考えるところはあるはずや。
それを個人個人が考えるのが理想なんやけど、最初の練習として、みんなで考えて唱和してみた、というのが最初の発想と考える。
なのに、その発想の意味を誰ひとり考えてないとは・・・・
田野とかさややには、確実に毎日の目標があるやろ。
ゆかるんもだいたい思うところがあるんちゃうかとは思う。
ぽんみゆのパフォーマンスが紆余曲折を経とるのも、やっぱ試行錯誤結果やと思う。
その本来あるべき試行錯誤が、伊達娘からは全く感じられん。
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