ミスや思い込みが原因というには、あまりに深刻だ。

 広島県府中町の町立府中緑ケ丘中学校3年の男子生徒(当時15)が昨年12月、自ら命を絶った。学校は、この生徒が1年生のときに万引きをしたとする誤った記録に基づき、「志望校に推薦できない」と伝えていた。

 なぜこんなことが起きたのか。学校は調査報告書をまとめて謝罪したが、生徒の親は納得していない。さらに調査を進め、問題の所在を徹底的に明らかにし、関係者が納得する形で再発防止に努める必要がある。

 学校によると、13年10月、広島市内のコンビニ店で別の生徒2人が万引きをした。対応した教諭は、生徒指導の担当教諭に連絡、この教諭がパソコンに記録を入力する際、誤って男子生徒の名を記入したという。

 後日、生徒指導の会議で資料が配布され、誤りに気づいた教諭が指摘したが、元データは修正されないままだった。

 結果的に進路指導にも使われた資料で、固有名詞の誤りを放置した学校の責任は重い。

 だが問題はそれだけではない。担任教諭が十分な確認をせず進路指導にあたったことだ。

 担任は昨年11~12月に計5回、個人面談した。万引きについて、生徒が明確に否定しなかったので事実確認ができたと認識したという。面談は廊下で立ったまま、1回5分程度、話しただけだ。進路に関わる以上、プライバシーにも配慮して慎重に確認するべきだった。

 目の前の生徒を見ずに、記録を信用する。そんな本末転倒の対応が、重大な結果を招いた一因ではないか。

 情報管理のずさんさや、教員同士の連携不足、進路指導のあり方。問われる問題は多いが、見逃せないのは、学校が、生徒が法に触れる行為をすれば入試で推薦しないという基準を設けていたことだ。過ちがあればいくら頑張っても取り戻せない。それで指導といえるだろうか。

 教育には、ゼロトレランス(寛容度ゼロ)という考え方がある。非行の行為をランク付けし、段階に応じて罰則を定める生徒指導法のことだ。ルールの大切さを学ぶ効果はあるだろう。だが、罰則を一律に当てはめるだけでは、問題の根本的な解決にはならない。これを機にそのことも肝に銘じたい。

 学校教育で大切なのは、先生が生徒と一対一で人間関係を築くことだ。そのためには子どもを個人として尊重することが欠かせない。全国の学校は今回の件を他山の石とし、教育の原点を見つめ直してほしい。