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明快なお答えありがとうございます。また過去の発言の掲載お手を取らせてしまい申し訳ありません。特に3つ目は共感する部分が多く覚えておりました。
人に物を尋ねる姿勢として、失格だったと反省しております。本当に申し訳ないです。ごめんなさい。
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反省しながらお伺いするのも気が引けるのですが、もう少し聞いてもよろしいでしょうか?こういうずうずうしいところも、下町長屋のような組織で育ったものの特徴ということで、またとんちんかんなことと思えば、愛のスルーと一言コメントしてくれれば構いません。(笑い)
多様性万歳さんとはスケールも見識も及びませんが、現場の末端目線としてみていただきたいと思っています。
さて支援拒否のお気持ちはそうだろうと思います。おそらく公明支援だけではなく、教学試験を教えることも、折伏して現状の組織につけることも、財務をすることも抵抗があるのではないでしょうか、、、。(私はそう思いませんが悪に加担すると言う意味で)
信仰次元では違うと思いますが、組織人としては身は堕ちねど心は堕ち状態になり(反対かな)、結果心が非活状態、これで会員に信心の歓喜の息吹を巻き起こすことができるのか疑念を感じるところであります。
実は私も数年ほど組織に疑問を抱き、心が非活のような時がありました。(詳細は長くなるので省きますが)
そういう命のときは、組織の様々なことも否定的に捉え、自身の正当性を先生の指導に求めたり、組織の負の面をやたら強調したりして、悪いのは幹部や組織で自分は決しておかしくはないと思い込み、やたらお偉い幹部にねじ込んだりしていましたが、初心の時のあの歓喜の躍動した生命とは程遠い状態であることにある時気づきました。
そのとき思ったことは、人や組織に理想やこうあるべきだと求めちゃいけない、メリットデメリットをもし数値化するなら51点なら合格点、49点分は自分が補えばいいじゃないか、自身の一念の変化で周囲に関わっていけば49点以下でも70点80点と変えることは今までもやってきたじゃないか、、、。
そう心から思ったときに報恩感謝の念が湧きおこり、もう一度何のために信仰したんだ、何のために組織活動しているんだとの原点に立ち返り、改めて広布オカラ論の実践に励み出した次第です。このことが教会の腐敗堕落、マザーテレサの神の使いに徹する話しの件に繋がっているのです。
現場は雲の上の宗教貴族の話や、学者がやるような教義の細かい解釈よりも、現実の身近な生活の悩みや課題の克服の方が優先順位なんですよ。
次期会長がこちらの望むような方が就任されたとしても、そうでなくてもそういう方々に光を当てていくのが信仰者の姿勢であり、三代会長の想いなのではありませんか、、、。
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