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ここちよく流れる

オーストラリアでミニマリストとシンプルライフの中間をゆるゆる目指しています。

自分からのSOSのサインを知っておくこと

体-健康と美容 思考 思考-シンプル思考

毎日穏やかに過ごすことが出来たらとっても幸せです。そのためには、幸せ感度を上げて、小さなことにはくよくよしない、を心掛けていますが、知らず知らずに体や心の疲れた蓄積していることもあり、そういう兆候には早い段階で気づき対処することは大切だなぁと思います。私も先日そんなことがありました。

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台所仕事でのフィジカルなミスがサイン

もともと生活全般においてうっかりミスの多い私ですが、料理中にやけどをしたり、食器を割ったり、というミスは意外と少ないのです(当人比ですが)。生きている中でなによりも集中力が高まるのが私にとってはお料理だからだと思うのですが。

だからこそ、料理中のミスは何かのサイン。

これまでの傾向から、体の疲れが心の疲れに繋がり、フィジカルなミスにつながっているようです。先日は、ゆでたての麺の湯切の際にうっかりざるからこぼして流し台にぶちまけてしまい少しやけどしました。排水溝に流れていく麺を茫然と眺めながら、「疲れてるなー」と自覚しました。

少し手前の小さなサインを見逃さない

こうなると、もうただただ休んだ方がいいのです。ごはんを食べるよりなによりも休息。でも本当はここまでくる前に小さなサインがたくさんあったはずで、それらを見逃したり、見て見ないふりをしていたりしてたのですよね。

心のSOSと体のSOS

私は心の疲れの方が、こじらせるとどうやって直していいのかわからなくなるので、なんとなく嫌だ、違和感がある、そんな小さなSOSのうちに解決するクセがついています。逆に体は多少無理しても最終的には休息をとればリセットできる、と思っているのでついつい我慢しすぎ。若い頃はそれでもよかったかもしれないけれど、だんだんとそのキャパは落ちていることを自覚しなくてはいけない。また体の疲れが心の疲れを引き起こすこともあるので、もう少し体からのSOSに気づいてあげようと今回は反省しました。

周囲にもわかってもらうとラクになる

一般的な日本人の傾向として「疲れてる」という弱音を吐きづらいというのがあると思います。私もそれでした。疲れていると言うことで相手に気を使わせたくないから。集団の中での調和を考えるから。でもオーストラリア人の相方は疲れている時は「疲れてる」って言います。最初は「なんか頼りないな」とか「かっこ悪いなぁ」と思っていたけれど、だんだんとそれに慣れると私も「疲れてる」って言いやすくなりました。疲れているって、ネガティブなことではなく、今の状態を描写しただけの単なる事実。それだけのこと。疲れた相手に必要以上に気を使うことはないし、私が疲れていると言ってもその理由をあれこれ聞かれることはない。「疲れている」ことに特別な理由はイラナイんだもの。いつも通りしてたらいい。無理をして笑ったり元気な振りしなくていいだけで、かなり疲れは取れるものだということもわかりました。

人間、「元気でいること」が標準装備ではなく、元気な日も疲れた日もあるよね~ってことでいいのですよね。

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